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生きていくことは輝きばかりではない

始まりがあれば終わりがある。
前向きな表現として捉えられることが多いこの言葉だが、わたしはこの言葉に虚しさを感じてしまう。すべての物事に対して、なんだか哀しく、そして儚く思えてくる時がある。

始まったばかりなのに、終わったあとのことを想像してしまう。これからという時なのに、なくなってしまう時を考えてしまう。生まれてくる命に、終わりの姿をみてしまう。

終わることがわかっているから、時間を大切にできるのだと感じる時もある。

わたしとしては、何も考えずにそのひとときを楽しみたい。だけどその気持ちとは裏腹に、一刻一刻をしみじみと感じてしまう自分がいる。大切にしたい気持ちと隣り合わせに、終わってしまう今を虚しく思ってしまうのである。

ずっと続いて欲しいと思うことに価値はない。なぜならずっと続くものなんて存在しないから。そこに価値を見出したいのなら、終わりがあるということを知っていなければならない。終わるという哀しみを押し殺して、始めなければならない。

今、一緒にいる人と永遠に一緒にいられるなんてあり得ない。だから、一緒にいることのできる今を大切に生きるしかない。

終わりを知るということは儚さと共に生きていくということ。人として生まれてきた以上、遅かれ早かれ命は尽きる。儚いけれど、こればかりは仕方がない。永遠の命は諦めるしかない。そして終わるまでは生きると決めなければならない。だったらきれいに終わってやろう。こんなねじ曲がり切った感性とそれを封印している身体を、きれいに棺桶に宿す時まで、生き続けなければならない。

人としての燈を消すときは、美しい煙となろう。
その煙を、微笑んで見届けてくれる人と生涯を共にしよう。

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