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人は言葉の中でしか生きていけない

人を好きになるということ

わたしは人を好きになった事がない人間だった。正しくは、好きという感情が何なのかわからなかった。実は今でも、正確にはわかっていない。正確さという言葉が当てはまるかどうかもわからない。この気持ちに正確なんてあるのだろうか。人を好きになるという行為自体、正しいも間違いもないのではないか。そんなことを思ってしまう自分がいる。

しかし、そんなことを言っていては、いつまで経っても正面から人と向き合う事ができない。だから自分の正直な気持ちを綴る。正解や間違いがないことを前提に。そこに自分の中で納得できる言葉がなければ、この気持ちが何なのかわからないから。


恋するということ

ずっと一緒にいたい。
そんなことを思わせてくれた人がいた。その時は、それが恋だとか愛だとか、わからなかったし考えもしなかった。ただ、一緒に過ごす時間が楽しくて、幸せだった。同じ空間にいるときは目が自然と追っているし、離れている時は声が聞きたくなる。今思えば、それは恋だったのかもしれない。

誰よりも幸せになってほしい。
これがその人を思い出した時に、ふと出てきた素直な感情である。誰よりも幸せになってほしい。どこにいてもいい、誰といてもいい、その人が幸せならそれでいい。今だからそう思う事ができる。


愛するということ

幸せに、そして懸命に、生きる姿を近くで見ていたい。
その言葉が素直に出てきたとき、わたしはこの人が好きなのだと思った。心から幸せになってほしいと願う人は少なからずいる。でもその人は違う。幸せになってほしい、だけどそれだけでなく、幸せに生きる姿を近くで見ていたい。厚かましく、見させていただきたい。できることなら、そのお手伝いをさせていただきたい。そう思う。それが今のわたしにとっての愛なのかもしれない。


「葉」を繁らせるための「根」を育てていこう

こんな言葉が何になるかなんてわからない。でも言葉にしておかなければ、この感情と向き合えない。感情が残っているうちに表しておかないと、なくなってしまった時に思い出せない。せっかく芽生えた、芽生えさせてくれた、大切な気持ちだから。丁寧に残しておきたい。人の気持ちは目に見えないから。

「何でわかってくれないの!」と怒鳴り散らしても、他人にはわからない。そんな気持ちになる事が、今後あるのかはさておき、結局人の気持ちは言葉にしないと伝わらないのである。目に見えないものが大切だと、いつか読んだ本に書いてあったが、見え方や解釈なんてその人の生きてきた境遇によって変わってしまう。
だから伝えたい、自分の言葉で自分の気持ちを。そして、この言葉を自ら振り返る時がきたならば、その時は何を想うのだろうか、さぞかし楽しみである。

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