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なぜ、下級生は廊下を直角に歩くのか? 第2章 その6

気がつけば凍傷寸前

大阪万国博覧会の年でした。開会に先立って式典が行われ、私たち音楽学校の予科生は宝塚の伝統の緑の袴と紋付で参加しました。
当時の佐藤栄作首相を招いての式典でしたので、正装の袴姿だったのです。

三月の寒い日のことでした。
私たちは背筋をピンと伸ばして外で椅子に座って首相を待っていました。
やがて季節外れの雪が舞いはじめて……。

吹雪の中、一時間。微動だにせず背筋をピンと伸ばして

宝塚の袴は独特で、くるぶしを出して短くはくという規則になっています。大阪万博の開会前の式典でのこと。
春とはいえまだまだ寒く、その日は特に雲がたれ込めてからだの芯まで冷えきってしまうような天気でした。
正式な式典ですから紋付の上に何かを羽織ることなどできませんし、足元は足袋一枚、足首が素肌のまま出ているので、そこからしのび寄る冷えはかなりのものでした。

音楽学校での教育で、ぴくりとも動かないで姿勢を保ち続ける訓練を受けていましたので、右手で左手を軽く上から持つ状態で膝の上に置いたまま待っていました。
どのくらいの時間そのままでいたのでしょう。
首相の到着が遅れているらしく、予定を大幅に上回ってもはじまりませんでした。
そのうちに小雪がちらほら舞いはじめました。
歯の根がガタガタしてくるので思いっきり食いしばり、からだ中に力を入れていました。
やがて、手が冷たさを通り越して何も感じなくなってきたころに、ふと手の甲を見ると、小さなオレンジ色の斑点がポツポツと。
いったいどうしたんだろうと不安になってきました。
オレンジのポツポツは徐々に少しずつ増えて、両手の甲全体に広
がっていきました。しかし痛みはありません。

それでも微動だにせず待っていました。
もう限界と思ってからでも人間はがまんできるものなのですね。
限界と思っていられること自体まだ限界ではないのだと。
粉雪は本格的な雪になり、紋付の肩の部分には雪が積もっていました。
もう頭も真っ白になって無我の境地とでもいうような、そんな気持ちを感じたころ、ようやく首相が到着し、式典がはじまりました。

式典を終えたとき、着ていた紋付は縮み上がり、再び着ることができなくなってしまったという悲惨な経験でした。
後で聞いて驚いたのですが、あの「オレンジ色のポツポツ」は凍傷になる寸前の状態だったようです。 
このような状況でもだれ一人倒れることなく、ゴソゴソと動くこともなく、長時間にわたり姿勢を正しくじっとがまんできるのがジェンヌなのです。
音楽学校での毎日の規律と礼儀を守り続け積み上げてきた「忍耐力」なのです。

「なぜ、下級生は廊下を直角に歩くのか?」桐生のぼる著書より 
                        つづく・・・・

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