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現場疲れ


最近推しの現場に行くことに疲れを感じ始めている。写真を見たらかっこいいと思うし、芝居を見ると好きだと思える。でも現場に行くことは疲れてしまった。推しが悪いんじゃない。むしろ推しが悪かったらこんなお気持ちは出さない。

書くと長くなるので端的にまとめるが
①共演者自身が色々炎上したりしていて本当に嫌いなので、そいつと楽しそうな推しを見たくない。
②共演者の界隈が全体的に過激だったり信者的なところがあるので、あまり関わりを持ちたくない。推しの方に流れて欲しくない。
③ある個人のオタクが本当に色々あって無理すぎて、合わせてそのオタクが推している共演者自体も見ることが嫌になる。
この3つで現場に行くことに疲れることが多い。①に関してはコンテンツ自体は好きなので前は我慢していたが、本当に最近その気持ちが強い。先日私生活の事情(仕事、家庭のこと等)が被って干した時、正直いままでより悔しさはなかった。
②③に関してはその共演者が直接的要因じゃないので申し訳ないと思うところもあるが、本当に無理になっている。③に関しては無理すぎて共演者の声を聞くことやTLに情報が流れること自体も拒否するようになった。
このオタクが要因になるやつを経験して思ったのが、(大袈裟かもしれないが)オタクは推しの名前を背負っている。オタクが何かを見てはまる時「布教してもらったから」ということも多いしその逆もあるものだ。つまりオタクはオタクに影響を与えやすい。こういう風に別のオタクに思わせないためにも、自分の言動を振り返らねばならぬなと改めて感じた。

そんなこんなで今本当に疲れている。そんなに疲れるならオタクを辞めればいいのだが、オタクを辞めようにも推しが原因じゃないので踏ん切りがつかない。なんて自分は面倒な人間なんだろうかとまた嫌になる。
悶々と1人で考えるにもまとまらないので、ここにこうして書いてみた。
まあ書いたところで解決はしないし、気持ちを表せているかは分からないけれど。



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