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私の中の宝物

①思いのルーツを紐解く
感謝 (かんしゃ) … ありがたい
倹約 (けんやく) … もったいない
利他 (りた) … 人様のため
謙虚 (けんきょ) … 自分を下に
親孝行 (おやこうこう) … 親を大切に
私、林さゆりの根幹にある考え方です。これは、大好きだったおばあちゃんの口癖からきています。
私は、思い出を取り扱う事業を展開しています。思い出というものがいかに大切かを知っているからです。
人は思い出でできていますから。過去の良かったことも、嫌だったことも含め、それがあってこそ今がある。思い出(≒過去の出来事)を紐解けば、今のその人を深く知ることができます。
さて、では、今の私の思いを深く知っていただくために、まずは私のルーツを話させていただこうと思います。少し長くなりますが、お付き合いください。
▶「一番」が好きな田舎の子
1965年4月6日、私は、滋賀県の山と川と田んぼに挟まれた集落にある、小さいよろず屋さんのようなお店に生まれました。文房具もお菓子もお酒も売っている小さい地域のスーパーのような店。そこで、兄と弟、両親と、おばあちゃんと一緒に住んでいました。
昔から、とにかく「一番」になるのが好きな子でした。幼稚園に一番に行きたいからと早く送れと鞄を下げて親にせがんで早朝の誰も居ない幼稚園で1人で跳び箱を跳んでいるような少し変わった子供でした。
小学校のときには、勉強は努力すれば出来ても走りは遅くて運動会がとても嫌いでした。負けず嫌いの性格ですね。ソフトボール部でも6年生で2人補欠になったうちの1人が自分になってしまい、とても悔しい挫折を味わいました。でもその後、バスケットではずっとレギュラーになれたのでベンチの気持ちが理解出来て良かったと挫折の大切さを後で感じていたのを覚えています。
クラブ活動では、そんな風に悔しい経験もうれしい経験も、どちらもできてよかったなと感じます。
親からなにか強制的にさせられることはありませんでした。お金もそんなにないので、塾にも一切行ったことがありません。勉強の本は教科書以外何も買ってもらえなかったので、端から端まで全部暗記してみたりしました。その甲斐もあって、中学校のときには、絶対に県で一番の学校にいけるとまで言われたんです。結局、本番でうまくいかなくて一つ下の学校に行くことになったんですけどね(笑)。
▶家族の存在
さて、私のルーツを語るうえで外せないのが、両親と、そして誰よりも大好きなおばあちゃんの存在でしょう。それぞれ違った役割で、今の私を形作ってくれています。3人は、こんな人たちでした。
●お母さん
母はすごく厳しい人でした。本当に、一度も褒めてもらえたことがありません。何かお手伝いしても、お料理したら「遅い」、洗濯したら「しわが伸びていない」と。なにをしても全部駄目出しで、学校の成績でオール10を取って帰った時も、テストで学年365人中初めて一番を取った時も、「これ先生間違ってへんかちょっと聞いてき」、「これおにいちゃんやったらよかったのに」などと言われたんです。絶対褒めてもらえませんでした。
起業してからもすごく心配をかけてたので、日経新聞に載ったよと報告してみても、「なにしょうもないことしてるの」という感じでした。
そんな母でしたが、とても大切な事を教えてもらったと思っています。優しい父とおばあちゃんだけしかいなかったら、多分起業して、成功してなかったかもしれません。
母のお陰で、なにくそと思って頑張る強い心が持てました。「何くそ」と思って頑張れば、一生懸命、何でもやれました。
「学生は勉強が仕事やから一生懸命勉強する、
大人は仕事が仕事やから一生懸命仕事する、以上。」
みたいな、どんな場面でも一生懸命さが大切だと、教わった気がします。
●お父さん
父は、とても優しい人でした。足るを知っていて、我先にという人が多い時代に、「お先にどうぞ」と常に言えるような人でした。何も言わない人で、全く怒らないし、子供達のことを信じているという感じでした。兄や弟がタバコ吸ってるというのを知っても、ちゃんとやめよるやろと思っているほど。ガミガミ言われるよりも、ずっとそっちの方が良いな、と、子供心に感じてました。
●おばあちゃん
私が人生で最も影響を受けたのは、おばあちゃんだと思っています。私は、とても[b]おばあちゃん子でした。父と同じく、すごく優しいおばあちゃんでした。
2・3歳のときに、私がはしかにかかってしまったときに、兄と弟にうつさないため、家の離れにおばあちゃんと同じ部屋で寝かされたことがきっかけで、おばあちゃん子になりました。
毎朝早くに、おばあちゃんと畑に出ていって、キンカンとイチジクのような実をもいで来て、神様にお供えして「まんまんちゃんあーん(お祈りの言葉)」をしていたんです。朝は神様に「今日1日無事健康で過ごさせていただきますように」、夕方にお供えを下げに行って、「今日1日無事で過ごさせていただいてありがとうございます」と言っていました。私は、今でもこの習慣を続けています。

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