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「生きる意味」とは何なのか。考えたほうがいいのか??

お久しぶりです。Yum@です。

今日は「生きる意味」について考えていきます。

何も考えるものがなくなった時や自分のメンタルがマイナス寄りになったときに、「自分が生きる意味って何なのだろう??」と考えてしまった経験のある方は多いと思います。

この記事では僕が今考えている「人生の生きる意味」と「そのことについて考えたほうがいいのか」についてお話していきます。

結論的には、普遍的な「人生の生きる意味」はなくて、「今抱えている目標に向かって頑張ること」が人生の生きる意味となるのではないかと僕は考えています。

このように考えている理由や、この結論の具体的なことについて今から語って行きます。

P.S. 今回の記事は途中から有料にしようと思ってます笑


自分の過去に考えていた「人生の意味」

僕が最初に「人生の意味」について深く考えてしまったのは、受験期の勉強をしなくてはならなかった時です。

正直、受験合格というのはかなり長期的な目標であるし、そんなに勉強も面白くなく、なんで勉強しなきゃいけないんだろうと考えていました。

そんな中で、Youtubeを見漁り、ひろゆきさんやDaigoさん、djふぉいさんなどから影響を受けて、考えた結論は「人生の意味」は「自分が楽しく生きること」となりました。

自分が楽しく生きるために、自分の行きたい大学に入って、自分の人生を満喫するために、今頑張るのだと思い、自分の答えにたどり着き、「まあいっかそれで」と思ってました。

今からでも、その答えは決して間違いではないし、良い考え方だと思います。
しかし、なんかふわふわしていて、「今なんのために生きているの」と聞かれた時に咄嗟にその答えが出てこないと思ってました。

要するに、その答えは自分の本心では違うと思ってたんだと思います。


「人生の意味」の転換点

大学に入ってから僕は、楽しいサークルに入って羽目を外して、大学生みたいなことをしてみたり、学祭の企画の責任者をやってみたり、飲食バイト、家庭教師バイトをやってみたり、ブログでお金を稼いでみたり、各種SNS(Instagram, X, note, Youtube, discord)をやってみたり、別のサークルに入ってみたり、サークルを作ってみたり、またこれからですが、短期留学に行く予定があったり(手続きはすべて終わった)と様々なことを経験しました。

そこで大きく自分の中で変わったことがあります。

自分は別に「楽しく生きるために生きているわけではない」ということです。

大学初期は「楽しい=正義」だと思って、楽しく生きるために遊びも勉強もって感じでした。

でも、ふと思いました。

もしも宝くじがあたったとして、お金は無限にありますという状態になったら、自分はどうするのだろう。

自分は楽しむを軸にして生きているのだから、全部楽しいことに使っちゃえってなるのか??

「そんな人生って面白いのか???」と思ってしまいました。

やっぱり人生ってどうなるのか予想がつかないってことが一番面白いと思うのです。

自分のメンタルがハイになる時は気持ちいいですが、自分の人生の意味を「楽しむこと」にしてしまうと、やはり未来がある程度見える、漫画で言うとクソ漫画の展開になってしまうのです。

※自分の中で楽しいときって言うのは「自分が笑っているとき」「自分のメンタルがハイになるとき」というイメージです。

※自分の中で面白いって言うのは興味深いってことで「その出来事を後から考えると、凄い!!ってなるとき」です。
例えば漫画の伏線回収とか、そんなイメージです。

やっぱり漫画でもそうですが、わからないことをするからこそ、面白いって実感できるのではないでしょうか?


※参考にしてほしい動画

こちらは、「未来の見える人生、クソ漫画理論」を考えるときに参考になる良い動画があったので、紹介します。

やはり、生きるなら将来がわからない人生を生きたいのです。


「人生の意味」は考えるべきなのか

僕が今考える「人生の意味」について掘り下げる前に。
そもそも「人生の意味」なんて考えるべきなのでしょうか?

僕は、自分なりの答えを出したほうが良いと考えています。

特にあなたが理屈っぽい人なら答えを出さないとモヤモヤしてしまうと思います。

「人生の意味」は複雑過ぎる問題です。

でもここで、単純化して言語化しておくことで、人間はその簡潔化された答えに対して頼ることができます。

例えば、家族を一番に考えたい人だったら「家族第一」という格言のもと、意思決定をすることが容易です。

別に「家族第一」というのは100%正しいわけでもないと思います。しかし、「家族第一」という言葉に頼ることで自分の意思決定を容易にし、生きやすくしていることが想像できると思います。

だから、僕は「人生の意味」を単純化して言語化することは、今後を生きる上での道しるべとなり、より生きやすくなるのだと考えています。

僕が今考える「人生の意味」

僕は大学1年の11月あたりから、ジョージメンズコーチなどのyoutube動画に触発され、様々な習慣を取り入れていく中で、気づいたことがあります。

それは、目標に向かって何かをしている自分が一番好きだし、振り返るときに面白いということです。

そう、だから僕の「人生の意味」というのは「今掲げている目標を成し遂げていくこと」なのです。

だから人によっては違うのは当然だし、その目標は自分で立てていくことに意味があると思います。

目標を立てて何かをやってなりたい自分になっていくことは、部分部分で見れば楽しくはないけれど、「自分が行動した」という事実で自分に対して「自信」がつくし、失敗しても、後から笑い話にできます。

人生で重視していることが「楽しさ」→「誇り」に変わり、人生の成長を感じます笑。

最後に

僕は最近、人間って食物連鎖の頂点すぎるよなと思います。

他の生物は生きるのに必死で、生きる意味を考える暇もない種がほとんどです。

人間だけが、「自分の生きる意味」だったり、「自分は生きていていいのか」なんて考えてしまいます。

僕は、他の種に比べて、「死」というものが身近ではないというのが大きな問題だと思っています。

でも、生物は常に誰かの屍の山の上に生存しています。

例えば僕は、今日の夜ご飯に「生姜焼き」を食べました。

でも、僕はブタを殺していません。

捌いてもいません。

ただ、スーパーに売っている処理されたキレイなブタ肉を買って、食べています。

日本で普通に生活していると、きれいな部分しか見えず、なんとなく食事してしまいます。

家畜はたいてい、頸動脈を切って失血死させるそうです。

もちろん麻酔無しで。

先日、学校で任意のカエルの解剖の実験をやりました。
麻酔したアフリカツメガエルで解剖するのですが、生体反応はあり、嫌がる動きもします。そんな中、カエルを解剖します。

やはり生物を殺すことはかなりきついです。

しかしこれが本来、人が毎日加担していることであり、「生きる」ということです。

正直このような事実は、小学生のうちに教えるべき事柄であると思っています。

そうすれば、給食を残すなんてことしないし、食品ロスも、不必要な大食いもなくなると思います。

やはり、死んでいる生物のことを少しでも考えて食事する行為って生きていくうえで、大切なことだと思います。

そして、日々の食事に感謝して、日々目標を持てたら、大切に人生を生きて行くことができるでしょう!!

お互いにいい人生にしようぜ!!!!!

「人生の意味」は「今抱えている目標に向かって頑張ること」

以上で終わります!

最後までお読みいただきありがとうございます!






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