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#55「分断の言葉」

さとゆみさんの連載「今日もコレカラ」を読み、感じたことを書く。引用リプじゃおさまりきらない、グルグル余韻の言語化トレーニング。

彼/彼女らが変えようとしている世界において、自分が力を発揮できるような場面はもうほとんどないだろうけれど、せめて、邪魔者にならないように生きていきたい。

若い世代にしている借金【さとゆみの今日もコレカラ/第245回】


不定期で、小学生の保護者からの教育相談を受けている。この方々がほぼ間違いなく口にするのは、「モンスターペアレントと思われないか心配で」の言葉。

前職のころ。

職業を問われて「教員です」と答えると、十中八九で「モンスターペアレントとか。大変でしょ?」と返ってくる。実際に、多くの同僚は保護者からの評価におびえ、「気を悪くさせないように」そつなく仕事をこなしていた。

私だって、20代のころは保護者会のたびに冷や汗をかいたことを覚えている。保護者は怖い存在。へびに睨まれたカエルみたいに、縮こまっていたように思う。

「モンスターペアレント」のひと言が、良識ある保護者を苦しめ、教員をおびえさせる。保護者は声をあげなくなり、教員は保護者の顔色をうかがう。腹を割って話せないから、いつまでたっても「疑心暗鬼」の状態が続く。

✳︎

話はがらっと変わり。

中学の頃に所属していた女子バスケ部は、とにかく上下関係が厳しかった。最悪だったのは、1個上の先輩たち。廊下や階段で先輩に会うと、必ず立ち止まってあいさつをしなければならない。あいさつをしたところで、当たり前のように無視される。

どうせ無視されるから・・・とあいさつをしなくなると、「あんたたち、生意気すぎる」と部室裏に呼び出される。

たった1年先に生まれたことが、そんなにえらいん?

同学年の仲間と話しながら、「私たちは後輩にやさしくしよう」と誓った。先輩から後輩へ、嫌な伝統が受け継がれているのなら、私たちの代で変えればいいと。

先輩たちが引退してからは意味わからんあいさつルールを撤廃し、後輩との対等な関係が築かれていく。普通にタメ口で話す子もいたけれど、別に非難しなかった。

だけど。

数年後、後輩たちはまた、あの意味わからん主従関係を復活させたらしい。

その話を聞いて、結局「人」なんやな、と思った。

✳︎

生まれた年や場所、職業、考え方は人それぞれ。同じ学年だからといって、ひとくくりにできるわけがない。

先輩・後輩関係なく付き合いたい人もいれば、先輩風を吹かせてプライドを保ちたい人もいる。

モンスターペアレントだって同じ。確かに、無茶な要求をしてくる人はいた。麦わら帽子にグラサン、ビーチサンダルで学校公開に来て、授業中ぺちゃくちゃお喋りする人もいた(苦笑)。

でもね、そんな人ってどこにでもおらんかい?

強烈なワードでひとくくりにするって、どうなんやろう。

「多様性」が重視され、マイノリティを尊重しようという動き。多様性って、そもそも「異質の他者」を認めることよね。

ならば、少数派だけではなく、多数派の意見だって認められないとおかしくないかい?

もちろん心配りは大切やけど、必要以上に配慮を求める社会はどうかと思う。多様性と言いながら選択肢は限られ、どんどん不自由になっている。

✳︎

「言葉」に惑わされてはいけないと思う。

恋愛のアドバイスで「男性の本心は、言葉ではなく行動に現れる」って聞くけれど、これは人間の真理でもあるよね。

大義名分が必要だから、「あなたのことを思って」「平和のために」「国民のために」「都民のために」と訴える。あれをします!これをします!と、非難されそうな内容は隠し、大衆ウケのいい政策を発表する。

見るべきは行動。何をして、どのような結果を出してきたか。フォロワー数や知名度、インパクトのある言葉なんて、ぜーんぶとっぱらう。

あのヒトラーだって、演説がうまく、大衆の心をつかむのに長けていたと聞く。チラッと感じる差別的な思想も、「まさかね」「さすがにそこまではしないよね」と見逃されていく。

民主主義が行き詰まると衆愚政治に陥り、扇動政治家が現れる。彼らは耳ざわりのいい言葉で、「やってくれるかも」「この人なら、変えてくれるかも」と大衆を飲み込んでいく。

歴史が証明している。同じ失敗を繰り返してはならないよね。

✳︎

全てのベールをひっぺがし、自分の感性で向き合ってみる。

当たり前のように受け入れられている言葉は、本当か?
メディアが報じる内容は真実?
高齢者は害で、若者を苦しめる存在なの?
周囲に、そうじゃない人はいない?

自分で確かめ、考えて行動する。

子どもたちがこれ以上、つらい思いをしないように。


▼7月3日の午前7時ごろまで読めます!こちらもぜひ♪






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