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#42「もう来てもいいよ、能登」

さとゆみさんの連載「今日もコレカラ」を読み、感じたことを書く。引用リプじゃおさまりきらない、グルグル余韻の言語化トレーニング。

家が潰れ、屋根の頂点にあたる棟の部分が自分の足元にあるのをみると、頭がぐわんとねじれるような感覚になる。

言葉を失っていると、運転手さんが「輪島のほうは、もっとひどいです」と言う。

能登に行ってきました【さとゆみの今日もコレカラ/第232回】


この表現。
読んでいる私も思わず、頭がぐわんとした。

これがきっと、「読者を現場に連れていく」ということなんやろうな。




「能登にこないでください」

私もこの発言に影響されたひとりだ。
もちろん行ける状況ではなかったけれど、むやみやたらに動いたらかえって迷惑になるんやな、と思った。

何をすればいいのか分からない。
わずかながらの募金ぐらいしか思いつかない。

何かしたい、けれど、迷惑をかけたら本末転倒。
悩むうちに月日は流れ、「何かしたい」思いが少しずつ、日常に埋もれていく。


✳︎

数日前の「今日もコレカラ」で能登の現状を知った。同時に、結局なんにもせず、傍観者になっていた自分を反省する。その日から能登のニュースを調べ、信頼できるかを判断し、拡散するようにしている。

そんなとき、ある学校関係者が作成した動画に出会った。

「半年が経過した今、能登半島地震のニュースはほとんど報道されなくなっています。しかし、能登の復興は、全然進んでいません」

現実を思い知る。

同時に、子どもたちの現状が伝えられる。家を失い、職を失い、やる気をなくした親のもとで、貧困に直面する子どもたち。わずかな揺れや赤いランプ、物音に取り乱す場面も少なくないという。

集団での生活が強いられる避難所では、当然ながらプライベートな空間などない。窃盗や、性犯罪などもあったそうだ。

これ、遠い外国の出来事ではない。全て、この日本で、わずか半年ほどの間に起きている現実。そして、今も続いている。

私は何をしているんやろう。何ができるかは分からないけれど、足を運んで自分の目で確かめるべきではないか。

「もう来てもいいよ能登」

なに、言わせとんねん。なぁ自分よ。

どんな思いで、能登の人たちはこのハッシュタグを考えたのだろう。

「来ないで」と言われたからといって、約半年間、何もしなかった自分。


状況なんて、変わるに決まっているやん。
ニュースで報道しなくたって、今は自分でいくらでも調べられる。


調べる。知る。できることを考える。


能登に行きたいな。

▼6月20日の午前7時ごろまで読めます!こちらもぜひ♪






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