見出し画像

#54「チャレンジング・ロード」

さとゆみさんの連載「今日もコレカラ」を読み、感じたことを書く。引用リプじゃおさまりきらない、グルグル余韻の言語化トレーニング。

自分の人生の舵を自分に取り戻す。ベクトルを自分に向け直す。そのために必要だった人生曲線。あなただったら、曲線の縦軸に何を入れますか? そしてこれまでの人生をどう評価しますか?

人生の浮き沈みの縦軸【さとゆみの今日もコレカラ/第243回】



思いっきり好きなことだけをして、遊びまくる経験って大切やなぁと思う。"挑戦"のない生き方がどれだけ無意味で、虚しいかを体感できる。


10代で自由をもとめて遊びまくった結果、「何かに挑戦しているときほど、ワクワクする自分」に気付いた。学校は面倒やから行かない、やりたいことをして嫌なことはしない。とてつもなく自由なはずなのに、心は、とんでもなく苦しかった。

やりたいことだけする、好きなことばっかりするって、「成長」の面からするとマイナスなんかも。楽しいはずやのに、不思議やね。

そう思って、選択したのが「教育」の道。先生なんて大っ嫌いで、学校には体育と休み時間、給食が楽しみで行っていたようなもん。人前で話すのは苦手やし、子どもだって好きではなかった(当時)。

先生だけは、ごめんや。

一方で、振り払っても、振り払っても、消えない「劣等生だからこそ、できることがあるんやないか?」との思い。

私のように、いわゆる優等生教師の心ないひと言や決めつけに傷つき、可能性を奪われている人は少なくないだろう。「あなたのため」との大義名分で、木っ端微塵に意欲をそがれ、自滅に追いやられた人もいるかもしれない。

泣き寝入りするしかない?
「自分が弱かったから仕方ない」と諦めるしかない?

諦めたら結局、何も変わらない。この「挫折」経験だって、あら〜かわいそう。ついてなかったわねっていう同情話に成り下がる。

坂道をコロコローッと転げ落ち、学年上位からあっという間におちこぼれた自分。でも、終わってはいない。まだ可能性はある。

それなら、ここから這い上がり、劣等生の心を持った教師になればいい。だれが無理って言っても、本人が半ば諦めていても「あなたならきっと大丈夫」って応援する人になりたい。これが私の原点。今も変わりはない。

✳︎

「進路」というと、自分の好き・得意分野を選ぶのが一般的だろう。けれど私はあえて、1番嫌いで苦手な道を進路に選んだ。

嫌いで苦手な分野は、挑戦の連続。挑戦は少なからず「成長」につながる。

「どの道が、最も自分を成長させるか」

進路の基準はここにあった。

嫌い〜、苦手〜と思って選んだ教育の道だったけれど。

実際に足を踏み入れてみると、教える楽しさはもちろん、意外と子ども好きな自分に気付いた。一方的に教えるのは苦手やけど、ほんまの楽しさは子どもの考えを引き出し、全体の学びを深めるところにあるんよね。

教師が教える、子どもは学ぶ、ではない。毎日のように、子どもたちの考え方や行動に学ばされる。きれいごとではなく、凝り固まった「大人」の頭をほぐしてもらっていた。こんなに成長を感じる世界はないなぁ、と思ったんよね。

✳︎

家庭の事情で教職から離れ、「第二の挑戦」をスタートした。ITに無頓着で、トレンドにも詳しくない。けれど、どうせならやったことがない分野に飛び込み、新たな世界を見てみたい。

そう思って選んだライターの道は、「挑戦」の連続。

「書くスキル」にはてっぺんがないから、死ぬまでずーっと挑戦し続けられる。生き方や価値観が反映される「書く仕事」は、一生成長し続けたい自分にピッタリだ。だって、いい文章を書きたいなら、自分の感性・価値観を磨くしかない。

あとね。

停滞するとズドーンと気持ちが沈む私には、安定性のないフリーランスがピッタリかも。不安定だからマンネリが許されず、何かに挑み続けるしかないから。

成長基準で生きるコツは、自分を「挑戦せざるを得ない」状況に追い込むこと。挑戦の先には、結果はどうあれ「成長」がある。

今んとこ、「成長基準」の生き方に悔いはない。

▼7月2日の午前7時ごろまで読めます!こちらもぜひ♪





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?