#49「好む自由、好まぬ自由」
他人からの評価にビクビクしたり、心を踊らせらたりするアホらしさ。
自分の軸がない生き方は、ほんましんどい。
小学生のころ。
当たり前のように、「みんなから好かれたい」と思っていた。だれからも愛される人を目指し、少々嫌なことを言われようが、グッと飲み込んで笑顔をつくる。
だから、「嫌われる」のが怖くて、クラスメイトがこっちを見て話していたら
「もしかして、私のことを噂しているんかな」
なんて思っていた。自意識過剰にもほどがある。
一方、30年ほど歳を重ねた私は、「好き・嫌いは仕方ないよね」と思う。みんなから好かれるなんて、そもそも無理な話。
だって、好き・嫌いなんて思いっきり主観よね。例えばコーヒーでも、毎日飲まないとダメなぐらい大好きな人がいれば、1滴も飲めないっていう人もいる。
だからって、コーヒーが悪いんではない。苦手な人に合わせて味を変えていくと、もはや最初のコーヒーではなくなるだろう。
合う人がいるんやから、合わない人だっている。ただそれだけの話。
✳︎
「人に好かれるのが良いことで、嫌われるのは悪いこと」
それ、だれが決めたん?
出どころ不明な「常識」にとらわれ、自分を縛りつけるなんてアホくさい。
そりゃ、人として尊敬していて、憧れるような人に嫌われたら、反省すべき点はあるだろう。
一方、あんまり関わりたくないって人から嫌われるのは、当然のことよなぁ。だって、「カラー」が違うんやもん。相容れなくて当たり前。哀しむ必要すらない。ステージが違うんよ。
ライターも同じよね。
一生懸命書いた文章だからこそ、ついつい自分を重ねてしまう。
けれど、文章が受け入れられなかったからといって、自分がダメなのではない。シンプルに「その相手には」合わなかっただけ。
人の数だけある評価に一喜一憂し、個性をそぐなんて本末転倒。
評価されるために書くの?
書きたいから、書くの?
私は後者。書きたいから、書いている。
読むも自由、読まぬも自由。されど、我は書き続けるのじゃ。
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