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79回目の終戦記念日に。

10年前に比べて、圧倒的に減ったものがある。

戦争に関する番組だ。

私(アラフォー)が子どものころは、8月になると戦争に関する番組を目にしたと記憶している。学校では「はだしのゲン」を見て、「飛べ!千羽づる」に込められた佐々木禎子さんの思いを学んだ。

数年前だっただろうか。「はだしのゲン」が学校の図書室から撤去されたというニュースを読んだ。理由は「残酷だから」とのこと。

「残酷だから」戦争番組を放映せず、バイオレンスなドラマ・映画は放映する。矛盾を感じるのは、私だけだろうか。


長男の問い


「ねぇママ、なんで戦争なんかするの?」

8月15日の夜、小2の長男に問われた。

「理由はひとつではないけれど、『土地の奪い合い』が大きいかな」

そう答えた私に、目で「どういうこと?」と訴える彼。

ちょうど数日前、話題の「地面師たち」を目にしたところだ。地面師は人間の「所有欲」に目をつける。もっと土地を大きくしたい。もっと、もっと、もっと。

このエリアが広がると、国になる。

もっと国土を増やしたい。目をつけた先に住民がいるなら、殺してしまえばいい。この自分勝手な論理で、今もなお赤ちゃんから高齢者まで、為政者(仕掛け人)以外の尊い命が奪われ続けている。


なんとなく聴いていた、ブルーハーツ「すてごま」の歌詞にドキッとした。この歌詞、人間の最も醜い感情、戦争を好む側の心情が表現されているように思えてならない。

おろしたての戦車でブッ飛ばしてみたい
おろしたての戦車でブッ放してみたい
何か理由がなければ 正義の味方にゃなれない
誰かの敵討ちをして カッコ良くやりたいから

君 ちょっと行ってくれないか
すてごまになってくれないか
いざこざにまきこまれて
泣いてくれないか

中略

潜水艦も持ってる 魚雷も積んでる
戦闘機も持ってる 燃料はいつも
満タンにしておいてある
いつでも飛び立てるように
すべてを焼きつくすほどの爆弾が出番を待ってるぜ

中略

君 ちょっと行ってくれないか
すてごまになってくれないか
いざこざにまきこまれて
死んでくれないか

ザ・ブルーハーツ「すてごま」

息子には、自宅の部屋を例に説明した。

「ここがYくん(長男)の部屋、隣はSくん(次男)の部屋って決まっているとするよね。でもYくんが『もっと自分の部屋を広くしたい。Sくんの部屋がほしい!』と思ったとする。どうする?」

問いかけた私を見ながら、長男は「うーん、Sくんに相談してみる!」と答える。

「なるほど。それも大切やね。でも、Sくんがもし『ここは僕の部屋。兄ちゃんには自分の部屋があるでしょ!』と言ったらどうする?」

問いを重ねる私に、長男は「えー・・・」と言葉に詰まった様子。

数秒の間が空いたのち、

「諦めるかな。だって、Sくんの部屋だし。僕にはちゃんと部屋があるし」

と答えた。

「確かにそうやよね。でも、そこで『ほな相手を殺して奪い取ってしまえ』っていうのが戦争なんよ。めちゃ簡単に言えば、ね」

長男はびっくりした表情。無理もない、めちゃくちゃ自分勝手な論理だ。たとえるならば、「お前のものはオレのもの。オレのものはオレのもの」といったジャイアン的思想(あくまでもたとえ。ジャイアンは映画ではめちゃいい子ね)。

「なにそれ、めちゃくちゃじゃん!」

自分勝手さに憤慨する長男を見て、この心を持ったまま成長してほしいな、と思った。

人間のつくり直し

池上さんの番組で、戦後、ソ連兵に見つからないよう身を潜めながら朝鮮半島の38度線を越えた80代女性の証言を聞いた。

小学2年生だった彼女は、他の親が、泣き喚く子どもたちを捨てる姿を目にしたと言う。笑ってはいけない、泣いてはいけない。いい子でいなければ、自分もあの子たちのように捨てられる。

無事に帰国した彼女は親への感謝を述べると共に、戦争をなくすには「人間のつくり直しが必要」と述べた。

戦争をするも人間、やめさせようと尽力するも人間。

地球をこっぱ微塵に破壊する核兵器を生み出したのもまた、人間なのだ。

戦争の残酷さを「感じる」

数年前に90代で亡くなった祖母は、沖縄戦の経験者だった。戦後、祖母は戦争で亡くなった方々の死体を洗う仕事をして、生活費を工面したと言う。

私が生まれたころには沖縄から上阪して数十年。すっかり関西弁になり、穏やかな口調だった祖母が一度だけ、豹変したことがある。

小学6年生の修学旅行前、戦争体験をインタビューしたときだ。

「戦争の話を聞かせてほしい」と頼んだ私が見たのは、怒りをあらわにして語気を荒げる祖母。いつもの温厚な祖母からは想像つかないほど、感情を爆発させた姿だった。

当然ながら沖縄の方言になったので、内容は全く分からない。感情むき出しの祖母が怖すぎて、早々に質問を切り上げた。

ただひとつ、豹変した祖母の姿から「戦争の恐ろしさ」を感じ取った。

遠ざかる戦争体験、近づく戦争

いまや人口の約9割を、戦後生まれが占めている日本。ひと昔前に比べ、戦争の実体験を耳にする機会が少なくなっている。

一方で、数年前よりはグッと「戦争」が身近になったように感じる。

歴史から学ぶこと。美化しない、風化させないこと。

「残酷だから」で蓋をせず、事実を見せること。

今日、読了した夏目漱石の「こゝろ」、末尾の解説に『漱石は"教育は国でなく、当人のためにある"と訴えた』と記されていた。

漱石が指摘した通り、教育をコントロールされ、戦地に送り出された子どもたち。多くの人を一気に洗脳できる教育は、為政者からするとてっとり早いのかもしれない。

現代の教育にも少なからず、国の意向が入っている。ただ、あの時代と決定的に違うのは、自分でも自由に学べること。今のところ、国に都合が悪い事実を学んだからといって逮捕されはしない。

テレビが放映しなくても、祖父母から教えてもらった戦争体験を、親が子に語り継げばいい。かくいう自分だって戦後生まれ。もっと、もっと学ばなくては。



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