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EP9ジュ ヌ パール パ フォンセ

私はフランス語が話せません。

タイトルは、フランス語をカタカナ表記にしたものになります。

僕がフランスで一番使った言葉です。(どんだけネガティブ思考)

そもそも何故フランス行ってみたかったかと言えば、the!なんとなく、まあぁ一回ぐら行っとかないとフランス料理やるのに説得力ないやろーー。という世の中の空気に負けた感じ、、、

はっきり言いますが、確かな目標と語学に対する努力を注ぐつもりの無いそこの僕。行かなくてもいいよと今なら止める。笑

青山のお店を退職した僕は、ワーホリVISAを申請しつつ、フランス語学校(結局全七回)に通いつつ、ちょっとバイトしつつというふわふわな日々を過ごしていました。

ここで始めてノートパソコン購入。ビザ取得には必要ということで慣れない作業をこなしつつ、当時2016年、YouTubeの誘惑に負けないよう頑張りました。「やべー、永遠に動画みてられるやん」笑

当時のワーホリビザってどうすればいいのかイマイチ情報が薄くて、ノーヒントで『たけしの挑戦状』プレイしてんのかというぐらい意味不明。ひたすらググって調べてNG行為を調べて申請にこぎつけなんとか取得。

初パスポートも取得。仕事以外ほぼ寝てるだけの10年でしたので、ようやくシャバに出た気分。

あっという間に出発の日、、、格安チケットのため、トルコ経由の片道21時間の初国際線。

ターキッシュ航空のりかえだったんですがここが人生で一番不安になりました。もう日本語通じません。謎のアラビア文字しかないもので。ひたすら周りに離されないようついていきました。謎に汗だくです。早くも帰りたくなってきました。笑

ラウンジのスタバは天国に見えました。

なんとかフランス、シャルルドゴールからパリ市内に着きます。地球の歩き方パリ編をブックオフでゲットしといたかいがありました。

専門の同期がパリで働いていたので、居候させてもらいつつ仕事を探そうと思ってました。

友達にパリ生活のインフラ系のレクチャーを受け、初日終了、、

友達は朝から仕事に行き、初の孤独パリの朝、、とりあえずなんか食べるかと思い、スーパーに行って適当にクロワッサンと飲み物を買って公園で食す。

「うまっっ」

日本のガチのパン屋のクロワッサンぐらいのレベルが、スーパーで100円で買える、、、これがフランスか!!衝撃を受けました(単純)

バケットなんかも不思議に美味しいんですね。チーズも安いから永遠にパンとチーズ食べてられます。

んが、ひと月で飽きます!DNAには勝てません。大体の日本人は納豆が食べたくて仕方なくなります。パリはアジア人が多いので、アジア食品店も至る所にあるので、以降帰国まで家ではほぼ和食。(味噌汁最高)

なんとか仕事も見つけ、家も決まり生きてくことはできるようになりました。

できないフランス語で食べ歩きしたり、バカンス時には南仏に行ってみたり、パリで知り合った友達と隣国に行ってみたり、美術館行ったり。今までの人生でしてこなかった経験をして人生観変わりました!!

と、普通ならなるでしょう。侮らないでください。

私、青春のほとんどをパワプロに捧げた引きこもり体質のダメ野郎東京代表のような男ですから。

こんな体験してなお、「ほーーー、、、」ぐらいにしか感じてなかったです。

ガチモナリザを前にしてあくびしてました。

モナコの真っ青な海を前にしても「泳げねーしな、地黒だけど焼けると痛いから部屋帰りてー」ぐらいに感じました。

文化、芸術、音楽とかそういうのに向いてないんですね、、

一方で、マルシェで食材に触れたり、料理道具店など見たりするのは楽しくて、

やっぱり俺料理の仕事が好きだ、今度は嘘じゃないっすと思いました。

パリ数店で働いて、食べ歩きしたりして思ったのは、

日本人の方がならすと全然仕事できるし、めっちゃサボるやついるし、日本のレストランの方が全然美味しい、食材はフランスおいしいというが、違いがあるだけで差は無い気がするし、何より住みやすい、便利。同じクオリティーなら2、3割日本の方が安い

これはそのままダメな部分にも通じていて、コスパがいいが故に、労働側に利益少ない、給料上がらない、生産者も安く買い叩かれる、働きても減る、食材ロスも多いとか。(24時間営業とかなんやねん)

やっぱ日本でしか生きてけねー。再確認しました。なんの未練もなく日本に帰れるわと思い、ビザが切れるまではいろんなところに食べに行こうと決め、10年の貯金がほぼ0になるまで食べて帰りました。8キロ太りました。

ビザも期限が迫り帰国、、空港に向かうバスでウトウト、、、、手荷物をバスに忘れました。。。。

めちゃめちゃ焦りましたが奇跡的にパスポート、財布、スマホ、チケットはポケットに突っ込んでいたので、まさかの手ぶらで帰国となりました。

渡仏のために買ったパソコンは諦めました

あんまいい事なかったかなーとも思いますが、やはり海外生活を少しは経験して変わった面もあるし、未体験のことにも億劫にならずに取り組めるようにもなったし、多少自己主張することも出来る様になったかと思いますし、日本でシェフでやりたいなと思い帰国。。漠然と海外行きたい勢はお気をつけてください。(行って良かったけど、もっと充実させられたなという感じ)

お金がないので実家にひとまず避難、、帰国してとりあえず引っ越ししたいので手早く稼ぎたいとバイト探しつつ次のお店を探そうと思っていたら、銀座時代(奴隷時代)の同僚から連絡があり、銀座に5年ぶりにバイトで復帰。

地獄再び

相変わらず使徒シェフ健在、、暴れてます。。

相変わらずキレてんなーー、、バイトでよかったと余裕かましていたら・・・

シェフ「何余裕かましてんだよこの野郎、さすがフランス帰りだねーーー何様?何年経とうがフランス行こうがお前は一生奴隷だからよ!!!バイトだからって調子こくなよクソガキ!!!」

3ヶ月で8キロ痩せました。

30歳に徹夜はつらいぜぇーーとエガちゃんばりにテンションあげて日本の厳しさを思い出すいいリハビリ。時給1000円で38万(過少申告)稼ぐ相変わらずの労基違反

なんやかんやありーの、初めてシェフとして働くことが決まりました。

ターニングポイント2です


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