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EP11バズは意図せず来るから怖い

「インスタ女子ってチェリー好きでしょ、チェリーと可愛い私見てみたいな!とりあえずチェリー乗っけとけばインスタに載せてくれんじゃね?」
すいません女子のみなさん。大分失礼なこと言ってました。はい。

パイ生地は手作り手折りで、地獄の奴隷時代寝ないでやった経験が有ったので当時のレシピでそのまま再現(ひさしぶりで下手になってた。)

ミルフィーユ試作に取り掛かった5月はアメリカンチェリーが始まる時期。ちょうどインスタ映えするからチェリーで良いやとなんとなく。

ただ載せるのもシャクだから種取って載乗せたいよねー、でもヘタ付いてた方が可愛いよねー。

浅い考えの元試したら、お尻の部分を切り落としてヘタつき種ぬきのチェリーが完成しました。
切り落とした部分はもったいないんで、コンポートにしてアクセントに中に射込みました。
いわゆるカスタードをなんとなく仕込んで、とりあえず組み立て。

なんとか倒立してますが、すぐ潰れるな、、。

カスタード修正。今度は安定した、、
内村航平ばりの王者の着地です。


味は手折りパイにカスタードですから、とりあえず美味しい。
早速インスタ店舗アカウントでアップ、翌日からオンメニューという話しに。

翌日開店そうそう1人のお客様が、、
インスタ見たんですが、チェリーのミルフィーユを食べたいと。

めっちゃ写真撮ってます。
後に有名なスイーツ系のブロガーさんであると知りました。どうやらすぐブログにあげて頂いたことは後に知りますが。
次の日からポツポツ電話が鳴り、ミルフィーユの問い合わせが結構来てますけどと。
ざわざわっ、、

今までに無い状況にスタッフざわつきます。
おそらく一発屋芸人の売れる直前もこんなふわふわした感情だったでしょう。

1日のスイーツの売り上げが爆発的に上がっていきました。そもそもパイ生地は作っていたもののミルフィーユとして仕上げた経験がなく。そもそもどうカットしたりすれば効率よく生産できるのか分からず、無駄にロス出しまくっていました。
それでも毎日限定数MAXまで売れるので、問答無用でパイ生地を作り続けました。

アウトプットこそ最高のインプットです。
一月程で効率良く、生産量もあがり、味も美味しくなっていきました。
その頃にはもはやミルフィーユ屋さん状態になり、そのついでにランチもというお客様の、料理も美味しいという声や、無理してコスパ良い料理を出していた結果基本ガラガラな日々が、ランチ予約取れない状況までお客さんの評判あがりました。
満席で、30名程入る席数と、定食的なメニュー、フレンチコース、ワンプレートもあり、デザートも基本追加される忙しさ(キッチン動線もよく無かったり、お皿の数が、足りなかったり、迎え撃つ用意が甘かった。)

ただでさえ評判を上げる為にリーズナブルなやっつけランチ価格のプレートや、コースに、己の10年程の経験全て注ぎ込んだ仕事量は、経験者もろくに居ないキッチンチームにはすぐキャパオーバーになりました。
自分自身も、仕込みはほぼ自分でこなさなきゃいけない上に、自分の料理を、考えなきゃいけない日々は心身共にすり減って行く毎日でした。しかしそれよりも評価を上げなければという謎の強迫観念(今思えばしょうもない見栄)と若手時代に培ったノンストップワークライフに慣れきった身体が合わさり。鬼の様に働いてしまっているうちに、既存のキッチンスタッフはどんどんやめていきました。
ここで僕の人生最高のしくじりが有りました。
人はやはり親の背中を見て育つ。んが、良い面と悪い面をどう取るかは本人次第という事でしょうか。
僕の仕事感の軸になる師匠は2人います。

銀座時代の、クラシックでトラディショナルなフランス料理を愛する、基礎を大事に、人には情熱をもって、できる奴もできない奴もガチンコでぶつかる(色んな意味で)いわゆるオヤジシェフ。圧倒的恐怖支配体制。グレイシー一族みたいなタイプ

青山時代の、時代の流れを読み、オリジナリティを追求しつつ、圧倒的なカリスマ性と実力と結果で示してスタッフをついて来させ、できるスタッフは重宝して、できないスタッフはシカトという。時に冷酷とも思える実力結果主義。
この時の僕は、対して結果も出していないのに、周りにめっちゃキレるけど、そもそも学生時代は単なるゲーマーで腕っぷしも弱いからさほど怖くない上に、結果出せないやつは知らねーというスタンスを取る短所✖️短所のわがままダメシェフになっていました。

中途半端な恐怖、カリスマ性もないのに怒ってばっかではすぐ人は離れます(逃げられない程怖いと僕みたいな奴も生まれる)
そもそもストイックに仕事にかける気が無かったスタッフはすぐ居なくなりました。

しかし食べログや口コミ効果でお店の評判は、着実に上がって行き、徐々にフレンチコースのみのメニュー構成になっていき、客席も絞って単価をあげてお店の方向性はしっかりレストランにしていこうと、会社としてもなりました。

それと共に意識高い20代半ばの料理人志望の子達が続々と就職希望で、来てくれて、キッチンスタッフも一新。

とはいえまともにスタッフ教育もした事ない上に日々テンパってる僕はそんなスタッフすらまともに指導できず、自分ばかり必死こいてるうちに一人、二人と辞めて行ってしまいました。

キッチンスタッフも減ってしまった秋頃、朝から忙しなく動き回り、重い荷物を持ち上げた瞬間、脳天から稲妻に打たれた様な衝撃に見舞われました。
あれ、忙し過ぎてニュータイプに目覚めてしまったのかな?と一瞬思いましたが。

奴だ、奴が来たんだ。

人生初ギックリ腰、、、、

次回ギックリ腰編、、

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