見出し画像

EP8.天才ですから

新しい環境での日々はまた違う辛さがたくさんありました。

ここでの日々は、僕に違う柱がたったような気がしております。

個人店のオーナーシェフの戦い方、クリエイティブな料理、毎日のように新作を考える生みの苦しみ、オリジナリティとはなんぞや?

前店のシェフは、結果が出なくてもプロセスに努力が見えれば汲み取ってくれる優しさがありました。(ついでにビンタかキックも)

今のシェフは、結果出すのなんて当たり前で、姿勢も伴ってないと意味ないと、ある意味厳しい人でした。そして教えることなく、自分でたどり着くことに意味があると。

悟飯を荒野に放り出すピッコロさんのようです(決して見守らないが)

不器用な僕はなかなか馴染めなかったのですが、幸いフレンチの基礎がわかるスタッフがいなかったのと、あまりに汚い厨房を休日返上で綺麗にしてたり、仕込みしてたりしてるうちに姿勢の方は認めてくれたのか、段々コミニケーションも増えてきたり、古いスタッフが辞めたりでシェフの横でストーブ前のポジションに昇格していきました。(給料は上がらず)

通常営業以外の定休日のイベントなどには助手につかせていただいたり、なんとなく2番手っぽいことをさせてもらいました。

ここからが大変ながらも貴重な体験でした。

お任せコースのみ、同じ料理は出さないということがどれほど大変か知っていきます。

まず顧客リスト。来店回数や好み、何を食べたか、誰と来たか、あらゆる情報が載っていて、しかも東京でもリピート率が異常に高く、月1予約のお客様だけでほぼ満席になっています。(100回目の人とかいた)

営業後料理を出し終わると、シェフは次の日の予約リストと、履歴を見て次の日のメニューを考えます。

ここでハードリピーターがいると新作を無理くり捻り出す作業が始まります。

最初は、早く決めてくんないと帰れないわーぐらいにしか考えてなく、スタッフは掃除などしてるのですが、なかなか決まらないとシェフのメニュー待ちで帰れなくなります。メニューが決まらないと発注も出来ませんから。しかも大体試作なしでぶっつけ本番。シェフの行動パターンは

1素材だけ発注指令パターン

2ざっくりイメージ伝えられ、パーツ試作しといてパターン

3メニュー表に『?』と書いてあって当日機嫌悪いパターン

これで当日迎えるので営業はグチャグチャです。

プラス自分は、アミューズとメインの付け合わせはなぜか自分で考えなければならないという、特別待遇。仕込みも明らかに多いので仕事量がまたもやパンク気味です。そもそも料理考える権利なんてありませんでしたから。

しかし前店の寝れない日々に比べれば、毎日終電では帰れてるのでなんとかこなしていましたが、休日仕事をしていたらシェフと遭遇。

シェフ「そういう働き方辞めな?他の奴余裕あるんだから、使って行かないと永遠にしんどいよ」

以前までだったら人より仕事多くても、意地でも終わらせろとパンチされていたので何も疑問なくやっていたのですがそりゃそうだと思いつつ、奴隷マインドが染み付いていてそのまま自分で頑張ってしまっていました。(今思えば、人使えないとこの先きびしいよという、生産性あげろというアドバイスに、当時気付いてなかった)

そんな日々も2年も経つとある程度慣れつつも、シェフのファンキーな思想にはなかなかついて行けず苦戦していました。凡人と天才の差を嫌というほど知っていきます。よくそんなこと考えつくなと。

しかしながらそんな天才な人でも、個性とかオリジナリティを常に悩んでいる姿をそばで見ていて、自分の個性ってなんだろうかと考えたりするようになりました。美味しいとはなんだろうと。

みてもよくわからない奇想天外な料理ってまぁ食べると美味しいことはそんなないので。

でもお客さんは喜んでる。。。味見してもそんな美味しくないよなーと。。。

当時は face book全盛で、写真を見て誰の料理かわかる料理をみんな目指していたからかも、

「東京で美味い料理作ってるだけで満足してたら消えるだけなんだよ」

シェフがよく言ってました。

「センスねーなてめーは」

シェフにアホほど言われました。

恐怖を刷り込まれた使徒シェフと真逆すぎて脳みそプチパニックでしたが、繁盛させてるシェフの言葉は重みもある。自分がシェフならどうするだろうか、、そんな事も思いながら試作にも取り組み始めて、採用されることも増えてきて少し楽しんで取り組めるようになり、新作を考えることが自分ごとになってきました。

そうするとシェフの態度や、たまにいう本音みたいなことが理解できる気がしました。

クラシカルなフレンチと、クリエイティブな最前線の両方を経験して、自分に少し自信もついた気がしてきた頃、お店の移転の話しがあがりました。

シェフには二番手できて欲しいと言われて嬉しかったですが、28歳、フランスに30までに行ってみたいという気持ちがあり、ワーホリで行こうと決めていたので移転までで退職という道を選びました。



次の日からシカトされました。

アメミヤの冷やし中華始めました並の哀愁を感じつつ、まあ仕方ないと思い残りの日々を過ごしました。


次回初フランス編



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?