EP5世の中不平等で良い
当時23歳ぐらいでしたかね、研修先のシェフは、調理科のある高校、専門も出ず18から現場、親も料理人で、料理一家、若くして有名店の副料理長を勤め上げ20代で南青山で独立、30歳にして一つ星獲得、絵に書いたようなスター街道、おまけにイケメン、身長も190近く、寝ないで飲みに行って、働いてもバリバリ動ける才能。
同業者からも天才と称されるトップオブトップ。山王沢北ぐらい欠点が見当たりません。
お店は常に満席予約は2ヶ月待ち。監獄島からモルディブに来たぐらいの衝撃を受けました。フランス料理の枠に囚われず、オリジナリティを追求する。
お任せコースのみ、リピーターには同じ料理は絶対出さない。
最新の火入れ技術、食材の組み合わせも、盛り付けも今まで見た事ないことばかりで理解不能な領域でした。
営業中のスター感も凄くて、「惚れてまうやろーーー!」って思いました。
試食も幾つかさせてもらい、食べた事ない味わいの料理の数々に感嘆しっぱなし。
今ではsnsで情報が民主化されていて世界中の情報が知れるので、この時の感動を超える体験はまだありません。知らない事があるのも悪くないと今は思います。
興奮冷め止まないままいつもの職場に戻り、いわゆる普通なフレンチにもの足りなさを感じてしまいました。(とはいえ、経験も実力も自信も無いので勉強しなければと思った)
料理書を買い漁るようになったのもこの頃。ようやく料理に興味が出てきた感じです。そんな日々を過ごしていたある日の休日、揺れました。
東日本大震災です。(自分ごとだけ綴ります、、、)
自分には幸い被害はありませんでしたが、お店は商業施設59階。余震も懸念されてる中、そんなところでフレンチ食べたい人なんてまずいません。
連日お客様も来ず、時間を持て余す日々。系列店も多いのでヘルプ行ったり、低価格のチャリティーランチをしたり、致し方ないとはいえ、やる気になってた矢先悶々とした毎日になってしまいました。
何か勉強にならんかと、再び南青山のレストランに研修をお願いしました。この状況で、迷惑かなと思いつつ連絡すると心よく受けてくれました。
行くと、震災の影響もなんのその相変わらず予約は満席、炊き出しなどの復興支援にも参加して忙しかったと、大きな企業には出来ない動きが個人店にはできると知りました。
ほんのり期待していたのですが、このお店で働けないかと思い相談してみるが、今は空きがないからと。(一流店で働ける自信も無かった)空いたら連絡するよと言って頂きました。
少し時間も経ち、日常を取り戻そうと日々過ごす中、皆不安もあり、ストレス溜まってたんでしょう、お店のマネージャー(会社の上層部でかなりの古株でスゲー性格悪いしガキ)と些細な事で大揉め、口論になった挙句下っ端の僕が
「テメーみたいなクソバカと働いてられっか!!ボケ!!」
吐き捨ててエプロン投げつけて帰りました。(真似しちゃダメ)
後ろ向きでは無かったですし、もっと最前線の店でやりたいと思っていたのもあり、、、家で落ち着いて考えてみたら
いや大分まずいな、、、まだ次も決めてないのに、、生活もあるし謝るか。
翌日、嘘が苦手な僕は管総理ばりの棒読みで謝罪します。
あれ、、めっちゃ怒っている、、笑
誠意を感じられない小手先の謝罪は人の気持ちを逆撫でします。
後日後任シェフに聞いた話、、、、
そのままマネージャーは幹部ミーティングではあいつはクビにしろと主張、
幸いマネージャー嫌い派も多いのでクビは免れることに。
その場にいた使徒シェフ「石崎はうちで預かりますよ」
バックto the ヘルーーーーーー!!!
僕の平和な日々は半年足らずで終了です。
しかも異動先のお店は本店と名称されているにもかかわらず、商業施設の恵まれた空間と違い、同業者がみたら、こんな設備と広さでやってるんですかと引かれる空間のキッチンで、今なら三密で即営業停止なせまーーーいお店でした。ポビットターンが必須スキルです。(しかも3階建)
社員からするとほぼ島流しの刑と変わりません。
僕の気持ちはベジータ様が代弁してくれてます。
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