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なんで、あの言葉を言ってしまったのか。

このnoteを読んでずっと悔やんでいることを思い出した。ずっと、ずっと、ずっと思い続けている後悔だ。ぼくも、祖父の話だ。

ぼくの祖父は、ぼくが小学校高学年のときに亡くなった。祖父は、物心がついたころには、すでに病気だった。腎臓を悪くして、入退院を繰り返していた。背が高く、顔はどこか石原裕次郎に似ていた。人工透析をしていたから顔色はすこし茶色だった。枕は"おじさん"の匂いがして、先っちょが四足になっている杖を使っていた。祖父は物知りだったから、ぼくは、いつも疑問になったことを聞いていた。

ぼくがまだ、保育園に通っていたころだったと思う。祖父母がデパートに行くという噂を耳にした。戦隊モノのロボットやミニカーやウルトラマンのおもちゃが並ぶ棚の前で、ぼくは、おもちゃ屋のチラシを床に広げ、なにを手に入れようかと嬉々として調べていた。祖父母に頼めば、「買ってもらえるにちがいない」と思い込んでいたのだ。まだ一緒に行くとも、買ってほしいとも言わない間に、ぼくはおもちゃのチラシに夢中だった。
結局、デパートについていき、おもちゃを買ってもらった。

よく疑問を聞きに行っていたぼくに、辞書をくれたのも祖父だった。

サッカーの練習のあと家に帰ったときには、母親に秘密で、こっそりポカリスエットを買ってくれた。湿布くさい硬い手で、100円玉をくれたのだ。足や肩をマッサージして、100円もらうことはあったけど、その100円は特別だった。ポカリスエットの味はいつもと同じだけど、冷たさと少しの苦さは覚えている。

ぼくが小学校高学年の頃になると、祖父は入院の期間が長くなった。あとから祖母に聞いた話だけど、祖父は、病室のテレビでサッカー日本代表試合を観ながら、「これは、ゆうまか?」と祖母に聞いていたそうだ。すこしボケてきた祖父の笑い話だった。ボケてきたということに笑っていたけれど、ぼくはそれを聞いて、こっそりと胸を熱くしていた。

そんな祖父に対して、ぼくは、言ってはいけない言葉を言ってしまった。正確には、直接祖父に言ったことではない。
たしか、亡くなる直前のお見舞いだったと思う。祖父としばらく時間を過ごしたあと、気持ちが沈んでしまいそうな病院の雰囲気にも飽き飽きし、はやく家に帰ってテレビを見たいと思っていた。

だから、言ってしまった。「ねえ、早く帰ろう」と。

祖父に聞こえていたのか、わからない。そのあと、祖父に「またくるね」とは言って、病室を出た。

そのあとしばらくして、祖父は亡くなった。亡くなった祖父をみて、涙が止まらなかった。あのときの心の苦しさは、「悲しい」では足りない。祖父との思い出が駆けめぐって、声もにおいも温度も、ぜんぶ亡くなったことが信じられなかった。
そして、病室で言ってしまった言葉を思い出した。なんであのとき、あの言葉を言ってしまったのか。もっとちがう言葉をかけられなかったのか。なんで、なんで、といつも思う。あやまりたい。もっとそこに、いたかった。

じーちゃんごめん。

***

あ!この際だから、もうひとつだけ、じーちゃん、ごめん。じーちゃんの病気のことや入院のことを書いた、小学校低学年の頃の夏休みの作文、あれ、ほとんど母が書いた。ぼくは原稿用紙に写して、ちゃんと提出した。
そうそう、それがやっかいなことに、それが担任の先生の目に留まってしまったのだ。「賞はとれなかったけど、いい作文だったから、これをあげます」と、蛍光ペンをプレゼントされてしまい、口が裂けても母に書いてもらったとは言えなくなった。もう時効だよね。これは許して!


しばらくしたら、また、実家の仏壇に話しに行くね。

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