優しさに生かされている

月並みな事しか書けないけれど。

でもそんな当たり前の中にきちんと言葉にしておくに値する、大切な気付きがある。

「人からの優しさに本当に生かされている」
ということ。

最近の私は、この優しさをくれる人たちを裏切りたくなくて一生懸命生きていこうと、日々のモチベーションになっている。

上司家族チームメイト

しかもこの「優しさ」は、付き合いが長いから、信頼しているから与えられるものでもないと思う。どんなご縁かは分からないけれど、関わることができたその相手がもともと持っている優しさ。

上司に、体調が良くないと前日になって伝えてしまった。(本来であれば欠勤に切り替えなくてはいけないが間に合わず)こっそり、「在宅勤務になっているけど家でゆっくりしてていいよ。」と言ってくれた。

同期で会社に来れなくなってしまっている子がいるのだが、「会社は利益を求めているから…しょうがないけど冷たいんだよねぇ。」と言いながら、その上司が同期の家まで時々顔を見に行っているのを知ってる。

福利厚生が良い、などの言葉に込められる優しさではないと思った。

先日家族と3対1で口論になった。
自分の図々しさには嫌気が差す。最近忙しく生活している私が、家族に対して一線を引いて1人違う生活をしている事に対してだった。

「家族とはいえ他人だと思って生活している」
そんな言葉を吐いた。傷つけるだろうなと思った。けれど相手に依存せず自分を持って生活していくためには必要な事と考えていて…(時間や生活の切り盛りにおいて)伝え方があったよなと反省した。

返ってきたのは、
「皆あなたがそうやってキラキラ活動していて、これからこんな事を頑張る、こんなことができたと報告してくれる話が家族を明るくしてるんだよ。今までもこれからも。」という言葉だった。

あー私は、無償の優しさに包まれて生活しているなぁと。自覚した瞬間だった。家族に背いている事自体には触れず、笑顔でこの言葉をかけられた。惨敗だった。

先日加入したチーム。

自分の仕事の都合で、遠方で練習だった日に途中から参加した。その日に加入した。
帰りは皆行きに来た車で帰る人が殆どだったから、行きと同じようにバス&電車で1人帰ろうと思っていた。

ダウンをしていたら、「どこ住みだっけ?あっ、じゃあ〇〇カーね。」当たり前のように私は車の人員に入れてもらっていた。
さりげなく、でも温かい対応が滲みた。

これまでの人間関係を総入れ替えするかのように、生活環境が変化している。

そんな中で、引っ越してから顔を負わせなくなった地元の人が仕事を心配してノルマを助けてくれたり。
新しく出会った人が当たり前のようにかけてくれる言葉に救われたり。

日々、「優しさ」に触れている。

これまでの人付き合い全てが続いていくことは残念ながらないと思う。環境が変わり価値観の違いがはっきりしてくるにつれて昔の付き合いがなくなっていくことは必然的であり、良い変化と捉えて良いと思っている。

だけどどんな時も忘れてはいけないのは、優しさを与えてくれる人がそばにいるということ。そんな人たちを大切にすべきということ。

結果で返すのか、私自らが支えになれるようにするのか、形は分からないけれど。

それをまた返していくことで、続いていく関係になるのかなと思う。

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