複数のフィールドを持つという事
いきなり過去の自分を裏切るようなことを言います。が、
「スポーツの喜びを超える仕事をする」
これはナンセンスだなぁと。
それを求める必要がないことに、やっと
気付きました。
”心から楽しいと思う瞬間”を仕事が上回らなくてはいけないと思ってきたけれど、互いがその瞬間を超えることはないと思います。
そして、その瞬間の楽しさ・喜びを競う必要もないと思います。
スポーツを愛する人はその魅力を信じているからこそ、スポーツにはスポーツでしか得られない感動があることを知っているし
それと同じ感情をほかに求めるべきではないのだと思います。
学生時代を思い出して、部活をしていた時が一番だったと言う人。その人の言う「楽しさ」は仕事には代えられないもので、また仕事にもスポーツには代われない喜びがあるように感じるのです。
それは、社会から自分が求められるという事であり、自分のしたことで誰かを幸せにできるという事。その手段は何か、模索の旅は続いていく。
私にとっての競技スポーツは、自分と仲間、そして関わってくれる人たちの喜びを生み出すものです。
しかし仕事には、自分の力で大多数の誰かを幸せにできる計り知れない喜びがある。
私にとって競技スポーツをすることと
仕事をすることで得られる喜びは
全く別物なのです。
これが今の解釈。
株式会社ドーム社長の安田秀一さんが贈る言葉
ここで言いたいのはきっと、
競技も、仕事も、その他の活動も
「人生という試合」の中にある1つ1つの勝負のフィールドだということ。
それぞれの勝負で得たものが、人生という試合を勝ち抜いていくための「人間力」という武器になる。
目の前のフィールドがすべてだ!と思って没頭し、人生という試合にはまだ見ぬフィールドがいくらでも転がっている!
と思って挑戦する。そんなポリシーが、私たちの持つ「人間力」を、深く・広くしてくれるのだと思います。
1つの分野で太い幹が、また複数の分野でいくつもの幹が、「人間力」として育まれていくのだと思います。
そして各々の分野で得る学びは独立したものではなく、他の分野でも生かされます。なぜならそこで得ているものは、競技力やビジネススキルといった表面的な技能以上に、生きていくために必要なスキルだから。
人生という1つの試合を味わい尽くすには、
自分にとって喜びを感じられるフィールドを捨ててはいけません。
喜びを感じられるフィールドでは、努力を努力と思わずに没頭するからです。必然的に技術も人間力も磨かれていきます。
何より、自分の人生を満ち足りたものにしてくれます。
それぞれの喜びは相互交換不可能です。
今まで私は、スポーツに代わる喜びを仕事に求めようとしていました。
しかしそれぞれの喜びは、そのものでしか埋められない。
だから「仕事」で、スポーツの喜びを埋めようとは思わない。その逆も然り。
そして私は、スポーツと仕事の双方のフィールドで人間力を培いたいと思います。私には、1本の太い幹よりそれぞれの幹を育てる生き方が、合っている。
これが、私が競技を続けていきたいと思う一つの理由です。
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