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アルマーニの服から数十万円の商品を売れるようになった日



この世の中に生きてると、

毎日毎日誰かと比較される

もうそれが、当たり前の感情になってしまっている。いつだってそうだ、物心ついた時から私たちは競争社会の中にいる。そうしたシステムの中に生きていることは、渦中の人間でさえその多くが気付いている、周知の事実。
きっとこのnoteを読んでくれているあなたにも、もしかしたらこの人の人生って私と比べて…そんな思想が浮かんでいたりしないだろうか。

私は至って凡人で、
なんの変哲もなくて
特別な人生を歩んできたわけでも
特別な結果を出してきたわけでもない。

でも、特別ってなんだろうか。

自分にとって今日、
初めて数十万の売り上げをあげる契約がとれたそんな特別な日でも

誰かにとってはいつもと変わらない
残業を片付けた日かもしれない。

「特別」なんていうのは自分にとって
昨日やこれまでと変われた、違う結果を
得られた、そんな時のことを言う。
誰にとって、何が特別なのかの意味付けが大切になってくる。

だから誰にとっても、今日は
スペシャルデー。
どんな小さいことでもいい。今日は昨日より早く起きれたでも、あんまり話すのが得意じゃなかった人と会話が弾んだ、でも。

誰だって特別な日を過ごしたいと思うし
特別な日が積み重なったらきっと、
その人にとって「普通」な日を積み重ねた
今までの人生より特別な人生になる。

その特別は、誰かと比べて特別なんじゃなくて、昨日や昔の自分と比べて良い変化をしているということ。

世に名を轟かせる有名人でも
後世に語り継がれる人でも
みんなきっと、自分にとって特別な日々の積み重ねをしてきたんじゃないかなと思う

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私は今日うれしかった。
デパートでアルマーニの10万円の服を買ってくれた人が、最高金額のお買い物をしてくれたお客さんだったけど

記録が塗り替えられた。

別に今日特別な事をしたわけじゃない。
通勤はできないけれど、
学生の時よりは大人に対して1日に何本も
メールを打つようになったし、
いただきますを言うのと同じように、何故やるかじゃない、相手と気持ちよく話をする為の基本の基本だというものを学んだし
「私」がどう思うかじゃなくて、対峙してる「相手」がどう思うかを考える習慣がついてきた。日常でも。

出勤日の毎日が、今までと比べて
ほんの少しずつでも、「特別」だった。

今日はその特別の積み重ねが
ほんのちょっと特別な結果として出ただけだ。

この感覚を大事にしなきゃなって思う。

何年経っても。

今は必然的にこれまでと違うことばかりで
当然これまでと比べてちがう結果を出せる。

楽しくて当たり前。
だけど楽しい!を感じられてることはとっても素敵で大切なこと。
昨日と比べて今日が、数ヶ月前と比べて今日が、変化できているということだから。
この感覚をいつまでも忘れちゃいけない。

周りを見渡せば目がくらむようにキラキラしている人たちは沢山いるけれど、その人たち比べて特別であるかは何も重要じゃない。

ただ昨日と比べてどうだろう。
新しい何かを得られただろうか。
そんな「特別」を毎日積み重ねていこう。

そんな姿はきっと、私から見て眩しいように
誰かから見てキラキラしてると思うから。

その先にはきっと、”自分にとって”特別な結果が待っている。

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