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国際女性デーについて

早いもので、日本を離れてから約一ヶ月が経ちました。

自分でやらなくてはいけないことが増え、もう一人でできることも結構多いのだな、と気付いたり、まだできないことを見つけたり。

「ご飯だよ」と呼ばれて、行けばご飯が用意されていること、その他様々な家事をやってくれていたことなど、ベタですが、今まで当たり前だったことが当たり前じゃなくなり、その大変さ、ありがたさを身を持って感じています。

ですがその一方で、大きなスーパーで買い物をするのは楽しいし、サッカーが上手い人が沢山いるし、スペイン語を使えるし、バルサ等のカンテラの試合は観られるし(まだ観てませんが)、生ハムを1パック全部食べられるし、海にも行けるし, etc... と、楽なことだけではありませんが、基本的には楽しく、色々な面で非常に充実しています。楽観的な性格、というのもあるかもしれません。

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↪︎スーパーで買ってきたピザに色々のせて焼きました。サラミのところが一番好きです。

少し前になりますが、僕は「国際女性デー」に出会い、そこにある社会問題について考えるきっかけになりました。

たまたま外に出ていた時、凱旋門の前でステージを作っていたのを見て、何が行われるのか気になったので聞いてみたところ、「国際女性デーのためだ」と。その時に今日はそういう日なのだな、と知りました。

知ったのは良いのですが、少なくとも僕には日本で盛んに行われているイメージがなかったので、内容や目的をよく理解しておらず、ふんわりとしたイメージしかありませんでした。

街を歩いていると、パネルを持っていたり体にペイントをしていたりする女性がたくさんいました。中には男性もいましたし、特に、自分と同じくらいか少し上くらいの若い世代の方も多くいたことが非常に印象的でした。

その出来事に影響を受け、すぐにインターネットで国際女性デーについて調べていると、「#KuToo」についての記事、投稿を目にしました。すべての会社がそう、という訳ではないと思いますが「会社ではハイヒールを履かなければいけない」という暗黙のルールに対して、そのイメージが強すぎたので、何故あんなに疲れる靴(と聞きました)を履いているのかなんて考えたこともありませんでした。

こんな風に、当たり前になりすぎて気付かないだけで、本質的ではないことが多く存在しているのだろうな、と思いました。

でもそういった、本質的でないことが定着しているのは、前の時代の常識を、正否を考えずに広めていく人がいることが大きな原因の一つだと思います。その負のループを壊すには、今まで常識とされていたことを、それは本当に本質的なことなのかどうか、改めて考える人が増えていかなければいけないと思います。

その「本当に本質的なことか、考える」というのは、僕が小さい頃から両親によく言われてきたことのひとつでもあります。

成人している方はもちろん、特に僕たちのような若い世代が正しい価値観を持つことで少しずつ変化していくはずです。とはいえ、簡単なことではないと思うので、ある程度は大人の方々が子供たちに対して考えるように促したり、正しいことを教えたりしなければならないのだと思います。

偶然の出来事から、若い世代を含めたスペインの人たちの世界的な問題に対する関心の高さに驚かされました。僕自身も、こういう文化の中で生活することで社会的な問題について考える機会も増えそうです。

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