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続・本当に怖くない猫の話 part.1

夏の休日、何でも屋は海釣りの帰りに依頼人の家に寄った。

今週は毎日家を行き来していることに何でも屋も依頼人も気づいていなかった。

「ずいぶんと日焼けで赤くなってますね。痛そうです」

「顔だけですから、大丈夫ですよ。アジが大量に釣れたんで、料理してもらおうと持ってきました」

何でも屋は釣り道具一式をいそいそと下ろして、クーラーボックスを開いて見せた。

「アジがいっぱい釣れたんですよ。料理してもらおうと思って持ってきました」

クーラーボックスから立ち上る臭気に依頼人は思わず口元を抑えた。

「ずいぶんとたくさんですね。100匹以上いるんじゃないですか」

「もう入れ食いで」

何でも屋は上機嫌に答えた。

「ーこんなにたくさん魚をさばくのは大変ですよ。せめて内臓を出してもらえますか。それから料理しますから」

言いにくそうにしながらも、必ず手伝ってもらうぞという依頼人の断固たる意志を何でも屋は感じた。

ここ数か月、仕事のない日は海釣りに出かけるのが趣味になっていた。こんなに魚が釣れたのは初めてで有頂天だったところ、依頼人の言葉で少し頭が冷えた。きっと喜んでくれると思っていたのだ。何でも屋は料理があまり得意ではない。魚などほとんど捌いたことがない。そもそもクーラーボックスの魚を全部食べきれるだろうか。

「うちの冷凍庫に入りきれるかな?」

何でも屋が大量の魚を見下ろして不安になって聞くと、依頼人は表情を和らげた。

「いいですよ。全部アジフライにして、うちの冷凍庫で保管しておきます。今日も夕飯を食べていかれるでしょう。残ったフライはしばらくお弁当ですね。二人分作りますから」

職場が同じなので、弁当の受け渡しは楽だ。結婚相談所にしばらく揚げ物の匂いが漂うかもしれないと思うと依頼人はため息が漏れた。その弁当の匂いを消すために、相談所の所長が相談所に消臭剤と芳香剤を振りまくのが用意に想像できたからだ。揚げ物は確かになかなか匂いが取れないが、依頼人は芳香剤の匂いの方が苦手だった。さらに、それほど匂いを気にするくせに、所長は揚げ物やニンニクなどスパイスの効いた料理が大好きだ。中学生の息子の弁当と一緒に弁当を作って持ってくれば良いところ、ほぼ毎日ランチは近所の持ち帰りランチを注文するのだった。

「所長にもアジフライおすそ分けしましょう。好きそうだから」

依頼人がそう言い、何でも屋が台所に持っていくためにクーラーボックスの蓋を閉めようとした時のことだった。

シュッと茶色いものが横切った。

「危ないじゃないか」

クーラーボックスの蓋に挟まれそうになった猫を何でも屋は両手で抱え上げた。猫は口にまるまるとしたアジを一匹くわえていた。そこですかさず、依頼人が猫の口から魚を取り上げた。

「あれ、これ外にいたシマシマの猫じゃないですか」

「あー、その猫、人間に飼われてたみたいで、人間の食べ物を狙うんですよ」

「え?野良猫じゃないんですか?」

「そうなんです。とりあえず、その猫が狙うから魚や釣り道具を台所に運びましょう」

依頼人に促され、何でも屋は釣り道具と今日の釣果を抱え、まとわりつく猫を払いのけてまるで猫から人間の方が逃げるみたいにして台所に入った。

「まったく、食い意地がすごいんだから。実は、拾わないって言ってたんですけど、3週間前にワクチン接種させて庭の温室で飼ってたんです。でも観葉植物は猫によくないでしょう?飼わないつもりでも家に入れてあげたくなって、昨日避妊手術を受けさせに行ったんです。そうしたら、避妊手術をしてあったんですよ。あのシマシマ猫」

拾いたかったなら一人暮らしの家なのだから、隠さないで素直にそうすればよかったのにと何でも屋は思ったが、すぐにそう簡単なものでもないと思いなおした。野良猫を次々と拾っていたらきりがないからだ。お金があっても、世話をする人間の手には限りがある。日本中の人が猫を飼うようになっても、産み増えるのをどうにかしなければ野良猫問題は解決しない。

しかし、拾わない拾わないと言いながら、痩せていく猫を見てついに保護してしまう依頼人。辞めない辞めないと言っている人に限って、部活や会社を辞める人と似たようなものだろうか。意志が強い人ほど、受け流すのが下手で折れやすかったりする。

何でも屋は依頼人から2匹の猫を預かっている。今日は依頼人の家に朝から預けてーいや、戻してー夕方、この家に来てから玄関先で挨拶をしたっきりどこかに消えてしまった。
猫たちは、広い屋敷を堪能しているのだろう。その二匹の代わりに、依頼人は白い老猫を飼い始めた。
先住の老猫は依頼人の寝室とリビングしかほとんど行き来しない。リビングに姿がなかったところを見ると、寝室にいるのだろう。その老猫が多数病気を抱えているために、依頼人は元気な猫を手放したのだが、しょっちゅう訪問して連れてくる何でも屋に預けた時点で、猫たちにとって寝床がちょっと替わったくらいの変化しかなかった。猫たちの移動のために、何でも屋も車を購入して、以前より移動が便利になり、この屋敷に来ることもますます増えた。

「シマシマ猫って調べたら、麦わらっていう柄みたいですよ。しかもあの猫目の周りと腹毛と顎の下が白い三毛でしょう。黒と茶色の薄い縞模様が洒落てるし、避妊手術してあったなら、誰かの飼い猫で逃げ出したんじゃないですかね」

「そうなんですよ。それで、昨日、SNSで迷い猫保護しましたって記事を書いてみたり、つぶやいたり、近所の人にも聞いてみたんですけど、まだ何も分からないんですよね。それで、ちょっと様子を見て、飼い主が見つからなかったら、いよいよ何でも屋さんに飼い主探ししてもらおうと思ってはいたんです。でも、獣医さんには新聞広告とか探偵に頼むお金があれば飼ってあげた方が手っ取り早いですよと言われちゃって」

獣医の言うことは一理ある。確かに猫をなくした人がいるなら気の毒だが、拾った人が金をかけてその飼い主を探すという義理はない。探すお金があれば、飼ってあげられる。依頼人は金持ちだから、飼い主探しをする金があるのが悩ましいが、捨て猫かもしれない猫のためになるかどうか分からない金をずっと出し続けるのも妙だ。ないもの探しは、見つかるまで終わりがなく、ないものを見つけられることはない。

「そうですね。近所の人に聞いたなら、しばらく待ってみてもいいんじゃないですか」

何でも屋にそう言われ、依頼人は魚をさばきながら、ほっと表情を緩ませたが、すぐに真剣な顔つきに戻った。開きにされたアジに卵とパン粉をつけて何でも屋が次々と油に放り込む。台所に生臭さを上回る油臭さが充満していた。

台所の閉じた扉からさっきまでカリカリ引っ掻くような音が聞こえていた。きっと新入りのシマシマ猫のしわざだろう。食に貪欲な猫らしい猫だ。アニメの歌のようにお魚くわえた猫を何でも屋は初めて見た。

いや、違う。海辺でそんな猫を見たことはあったが、自分では魚を与えなかったので、近くで見るのが新鮮だったのだ。

「確かに特徴的な猫だから、飼い主がいるなら、すぐに見つかると思うんです。あの猫って面白いんですよ」

アジフライを次々揚げても、次々と魚がさばかれる。長い調理の間、依頼人はシマシマ猫のプロファイリングを何でも屋に聞かせた。

「昨日ちょうど、刺身を買ってきたんです。そしたら、玄関に袋を置いた途端に飛び掛かってきて、すぐに刺身を開けちゃったんですよ。昨日も、アジを真っ先にくわえていきました。アジが好き。つまり、海釣りをする男性の家で飼われていたんじゃないですかね。それで、そこの家ではよく人間の食べ物をもらってたんじゃないでしょうか。特に釣ってきた魚を。避妊手術済みだから、そんなにいい加減に飼っていたわけじゃないと思うんです。温室にテーブルと椅子があるじゃないですか。猫用に使い古したビーズクッションを置いてみたんです。そしたら、すぐに使って、ぼふっと飛び込むみたいな仕草をするんですよ。スプリングマットのベッドのある家に飼われていたんじゃないですかね。いや、待ってください。椅子の上から飛び込んでいたんで、出窓のある家で飼われていて、その出窓からベッドに飛び込む習慣があったのかもしれませんね。脱走したと仮定して、それにしても人懐っこくて、一日中人間のあとをついて回るんです。もしかして、一日家に人がいる家庭で飼われていたんじゃないでしょうか。あんまり触られたがらないんですけど、持ち上げると攻撃してこないんです。だから、釣りをする人はちょっと猫を手荒に撫でる男性で、さらに介護用ベッドを使っている家にずっといる親と同居していたんじゃないでしょうか。外にいて、子供についていくということもなかったので、子供のいるような家庭ではなくて、中学生以上の大きなお子さんのいる家庭。うん、でも、高齢者夫婦の家で飼われていることが濃厚じゃないでしょうか。外に慣れてなくて、迷い猫になったなら、ほとんど完全室内外だったのかもしれません。年配の方は猫を外に出したがる人が多いですから、そこまで気を付けていた場合は、50代以下の家族が同居していた可能性もありますよね」

ずいぶんと豊かな想像力である。むぎわら猫がどんな家に飼われていたか、依頼人は自分の想像の範疇のことをつらつらと述べ立てた。

クッションに飛び込む癖から、出窓があり、スプリングマットのあるベッドに寝ていたか。介護用ベッドのある家か。蹴りぐるみ好きなのは、遊んだことがあるからではないか。いや、大きいクッションでも噛んだり蹴ったりするので、クッションのたくさん置いてある家に住んでいたのかもしれない。

大きな3人掛け用のソファのある家ではないか。しかし、ソファでは爪とぎをしないので、きっと布張りのソファではない家だろう。あるいは、リビングには猫をいれなかったか。

話しているうちに、思い込みが強くなって、依頼人の中では、外出のままならない80代以上の足の悪い老婦人とその母を介護する早期定年退職した55歳以上の男性のいる家に飼われていた猫であるという結論に至った。

「この屋敷の敷地自体が森の中ですからね。近所って言っても、猫には冒険でしょうね。それで、海釣り好きの母親を介護している男性の家で猫がいなくなっていないか、聞いて見ますか」

猫を迷子にした犯人と言ったら人聞きが悪いが、迷い猫探しではなく、猫を探している人を探すのは何でも屋にとっては、かえって探偵らしい仕事のように感じなくもない。別段、探偵になりたくて何でも屋になったわけではなかったが、読書好きなので、小説の影響でちょっと探偵らしい仕事に憧れを持っていた。

「うーん。警察の事情聴取じゃあるまいし、あなた猫なくしていませんか?って乗り込むのも失礼ですよね。そして、猫を探している人を探してわたしがお金を払うのもあべこべかなあという気がしたり。そんな善人でもないので」

想像を逞しくしていた依頼人が、それほど猫をなくした人探しに熱心でないと気づいて、何でも屋は少しだけがっかりした。「猫探してませんか?」と聞いて回るのも楽しそうだと思ったのだ。しかし、やはり猫を探している人がいるかも分からないのに、探している人を探すというのは確かに変な話である。世の中、迷い猫を見つけたらどうしているのか。揚げ終わったアジフライを皿に盛り付け、猫用に茹でた白身魚も身をほぐして皿に盛り付け、何でも屋はそれだけネットでちょっと調べてみようと心に決めた。

アジフライとカワハギの刺身とアラのみそ汁の豪華な食事。贅沢で満足な食卓だったが、つけたテレビのニュースは暗かった。食べるのに夢中で、会話も弾まなかったところ、人間が食事を終えて、食器を洗っている依頼人に代わって猫たちのトイレの掃除と食事の世話を担当した何でも屋はいつになく手間取った。

三毛猫のセミが二口で食事をやめてしまったのである。それを1歳になったばかりのネコクロが自分の食事も済ませないまま、おこぼれに預かっていたところ、自分の食事を素早く終えたシマシマの麦わら猫がネコクロに猫パンチを食らわせて追い払い、残りのごはんをすべて自分の腹に納めてしまった。ネコクロは自分の皿に戻って食べたが、それも少しだけ残したので、やはり新入りが食べてしまった。

その晩は、お腹いっぱいで、移動が面倒になって、何でも屋は依頼人の家に泊まった。どうせ明日は日曜で、仕事に行くわけでもない。夜中まで、依頼人とネット配信の映画をテレビで見た。

眠りについたのは、夜中の0時をとっくに回ってから。何でも屋は猫たち、特にセミ猫のしつこい鳴き声で叩き起こされて、数時間しか寝ないまま、猫たちの朝ごはんを準備した。

しかし、セミ猫は昨夜も食べていないのに、他人を呼び出しておいて、やはり数口しか食べなかった。老猫の白猫は変わらずのマイペースで、ゆっくり綺麗に食べた。

人間も猫もストレスで食欲不振になるか、過多になるかのどちらかである。セミ猫は前者で、新入り猫は後者なのかもしれない。

その日で麦わら猫の飼い主探しの話は終わってしまい、依頼人も猫の飼い主探しの依頼を何でも屋にしてくることもなかった。そして、その後またひと月麦わら猫の飼い主は見つからなかった。

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