見出し画像

我が家の庭の風景 part.63

ハーブガーデンはイギリス発祥らしい。
園芸をする人には常識かもしれないが、この事実は、個人的には意外だった。イギリスに健康的なイメージがないからだ。
現代人も多くそうなのかわからないが、ガーデニングの本場である英国人が憧れるのは、郊外に小さなコテージを持ち、そこで様々な草木に囲まれて暮らすことなのだそうだ。
確かにイギリス映画ではそんな暮らしがよく描かれているイメージはある。
しかし、ハーブを生活に活用して健康的に暮らしているというイメージにまで至らなかった。

イギリスは日本と同じ島国である。そのため大陸にあるヨーロッパ諸国と比べ、文化的に劣っていると思われていることがかつてはあったようだ。しかしながら、今は大逆転。皇室といえば世界中の人がイギリスを思い浮かべ、英国連邦国家が世界中にあってイギリスの王は世界の王とも思えるほどだ。
時代の転換期に起きた革命や植民地政策が後の時代に良いものをもたらした国なのかもしれない。

しかし、イギリスが幸せな国というイメージは失礼ながらない。繰り返すが、ハーブを活用して美食を重んじているなんていう風には思えない。アメリカと同じジャンクフードの国だと思っていた。
手芸に園芸にお菓子作りにと、多芸に秀でた国なのに、健康的に思えないのは何故なのだろう。

考えてみるに、アジアには薬草を庭で育てるというイメージがない。山で山菜採りするついでに、薬草も採ってくるような感じだ。かつては貴重な薬草は危険な崖っぷちに生えていて、それを竜玉のごときものとして命がけでとってくるのが昔話や漫画の定番だった。

しかし、イギリスでは薬草は管理して育てるものなのだ。必要な時にいちいち探しに出かけるのではなく、管理していつでも困らないようにしておくのは合理的である。

場当たり的に、何かあった時に対症療法するのではなく、常日ごろから生活全体に健康を心掛ける思考が根付いているのだろう。
心を豊かにするものを見て、嗅いで、食べて、利用して、いいものをどんどん取り入れていく国なのかもしれない。

日本だと利便性のためにはある程度のストレスを受け入れなければならず、不便も苦労も健康のためには仕方がないという考えもあるかもしれない。

けれども、逆境に打ち勝つために自ら困難を作り出したり、身体を痛めつけたり、明らかに合理的でない行動をするのは私自身も理解しがたいところがある。

お百度参りとか、滝行とかストレスを受けることによって叶うものなど何があるのか。それでも、そういうストレス行為に憧れてみたりするのだ。

調べるほどに、英国庭園(イングリッシュガーデン)の考え方は健康的で取り入れやすいものだなと思う。しかし、一方で日本の庭らしさってものもあるよなと思ったりする。

全然手入れの行き届かない雑草だらけの庭なのだけれど、イギリス庭園にあるような植物で埋め尽くして、雑草を目立たなくするのもなんだか違うような気がしてきた。

大体イギリス人だってそれだけ健康に対する理解が深いのに、ジャンクフード食べてお菓子は甘くてワーカーホリックだったり、バカンスで羽目を外しすぎたり、極端な動物や植物の愛で方をしたりと、およそ健康で文化的とかけ離れているところも見て取れる。もちろん、イギリス人の全員がそうでなくて、素晴らしく豊かな生活をしている人もきっといるだろう。

けれども「薔薇のない英国(風)庭園」を私は作りたいのか、自分で自分に問いかけてしまう。雑草を楽に目立たなくするにはそれしかないのか。

最近、身体が非常に重い。試行錯誤してやり直すという自信がないから悩んでしまう。

そもそも私は英国風の暮らしに憧れているのか?
庭を持て余しているので、ハーブをたくさん植えすぎて目的がよくわからなくなってきた。そうこうしているうちに、梅雨がきてハーブがダメになってしまうから、ハーブ園を作りたいなら鉢に植え替えて軒下に避難させなければならない。雨ざらしではダメになってしまうはずだが、そういえばイギリスは雨が多いんじゃなかったか。気温が違うから、ダメになるのか。育て方をうまくすれば雨に耐えられる庭になるのか。
今年はまだ例年になく雨が少ないからこのままでもいいんじゃないかとつい怠惰な思考に陥る。

梅雨の時期は植え替えて、秋にまた植えなおすのか。
それは面倒だなと思うが、ハーブが健康に役に立つならそうしなければならないだろう。なんだか、億劫だ。


よろしければサポートお願いします。いただいたものはクリエーター活動の費用にさせていただきます。