見出し画像

きっと多数派じゃない猫を見ていると自分がゆるされているような錯覚を覚える

こっちが食事をしていると猫がそれをじっと見ていることがあります。

それをよく”猫が物ほしそうにこちらを見ている”と表現されることがありますが、私は大抵の場合、そうではないと思っています。

1.猫は人間を観察して真似することを面白がる

猫はこちらを観察しているのです。

狩人の習性のある猫は確かにこちらの動きをうかがっています。時には飛び掛かってからかってやろうと思っていることもしばしばです。

名前を読んだら喜んで駆け寄ってきたかと思えばそのまま寝入ってしまうこともあります。

そうやって駆け寄ってきて平たくなってこちらを見上げている猫は、私が食べているものを欲しがっているわけではないのです。

現にうちのセミ猫は、牛乳の入ったコップを置きっぱなしにするとコップのふちをこっそり舐めにきたりすることはありますが、人間の食べ物を欲しがったことはありません。刺身ですら見向きもしません。

拾った時からマタタビすら近寄らずに警戒していたので、性格的にとても慎重なのかもしれません。

しかし、一方では好奇心旺盛で、こちらの動きを真似してみることも多いです。子猫の頃は扉の取っ手に飛びついて開けようとしていたのですが、何度か失敗しただけで諦めてしまったのは、痛恨の極みでした。基本的にものを壊してはいけないと教わっているので、扉に傷をつけて怒られるのが嫌だったのでしょう。

最近では、何度かカリカリのキャットフードをすくって食べる姿を目撃しました。家族は笑っていましたが、うまくすくえて口にもっていけた時の達成感は相当なものだろうなと思うと、そのいじらしさに涙はこぼれないけど、撫でてやりたくなります。

お皿の下にキャットフードを隠すのは、ごはんにほこりがついてそれを食べるのという行為自体体調が心配だし、隠したことを忘れたカリカリにカビが生えるし(たまにソファーの下に隠されている)、カリカリが床に落とされて床が汚れるしと良いことはないので叱るのですが、よくもまあ陶器の下に猫の手でカリカリをいれられたなと感心する部分もあります。

食べるときに猫は、時折顔を振る癖があります。それで動画を見てもカリカリをこぼす猫は多いようですが、うちのセミ猫は皿からご飯をこぼすのを嫌います。手でカリカリをすくって食べるのに!?と非常に疑問ではありますが、子猫の頃はそもそも皿から落ちたご飯は決して食べない潔癖な猫だったのです。今はお腹がすいたら、落ちているカリカリを食べることもありますが、人間が通りかかると、「そこに落ちているカリカリを拾って皿に入れてたもれ」という顔で見上げてきます。

自分でドアを開けて出ていかないし、人間が皿に入れたご飯しか食べないし、まったく偉い猫様だ、感心感心。

とか、書いていたら、猫が盛大にご飯を吐き戻しました。普段父が家にいないときはご飯は夕方までかけてちょっとずつ食べるのですが、父がいると、父か私があげたごはんを急いで食べてまだもらってない振りしてご飯をせしめるのです。今回もそれをやって、食べすぎて吐いたみたいです。

悪い猫です。

と、思ったら、父が違うというので、単純になぜか急いで食べたみたいです。食欲の秋なんですかね。

2.犬も猫も呼べば来るけどどこが違うのか

犬を飼っていた時には、子どもだったせいか、あまり犬の行動に感動することはありませんでした。お手やお座りをすぐ覚えても当たり前だと思ったし、「素直な犬でよかった」と子どもらしくない感想を抱いていました。

うちの犬は、お金持ちの家庭でないのにドッグフードにこだわるたちで、今の猫よりずっとグルメでした。秋田犬の方は活発だったので、庭の裏にリールをひいて走り回れるようにつないでいましたが、秋はご飯が気に入らないと特に朝ごはんを全部残して、庭に落ちた柿を食べてやり過ごし、学校から帰るとご飯をくれとワンワン吠えました。吠えられたって、すぐ新しいご飯は買いにいけないんですけどね。猫がご飯を好き嫌いしたことはまだないのですが、比べて、犬のご飯をすべて残されるともったいないが極まりないです。特に犬を飼ったことがあるご家庭ならわかると思いますが、犬はしょっちゅう薬を飲ませなければならないので、そのときにも缶詰とかお高いご飯をただでさえ買うのに、さらにおいしくないらしいカリカリに缶詰を混ぜなければならないとなると結構な出費です。さらに混ぜてもひっくり返された日には、諦めてカリカリを庭に埋めるしかなかったです。ゴミに出すには犬の餌の袋は大きいですからね。「やっぱり安いご飯はおいしくなかったか」とかえって出費がかさむたびに母が嘆いていました。比べて、猫はご飯の出費が段違いに安い。2Kgの餌を買って、何十日もつんだとこっちの方が飽きるくらいです。もちろん、私が高級な餌を買わないことも理由でしょうが。

秋田犬を真似してかどうか、後からきた雑種の犬も気に入らないごはんはよく残していました。一度は、秋田犬の方のご飯に手を出して、口に噛みつかれて大流血したので、それ以来近くに繋ぐことはしませんでしたが、散歩中は特に仲が良く、秋田犬が死んでしまってからは、散歩に興味を失ってしまいました。中型犬でもう8歳超えていたので、単純に身体も衰えていたのかもしれませんが、その後1年ちょっとで私もちょうど大学に進学して家を離れてしまい、さらに1年してすぐに犬が死んでしまった時は、もっと実家に帰って可愛がってやるべきだったと数年何度も思い出しては泣きました。

それはさておき、犬と猫のどちらが自己主張がはっきりしているかといえば、やはり犬かなという気がします。喜んでいるときや不機嫌な時が、犬ははっきりわかっていました。

比べて猫は、ご飯を吐くのすら邪魔にならないようにどこかへ行くし、こちらがスキンシップをとっている以外の時は何を考えているのかわかりません。

それは、多分、猫は群れで暮らす動物ではないからだろうと思うのです。

犬は名前を呼んだらそれだけで喜んでくれました。スキンシップがお互いの絆を高めることだと知っていたのです。気が乗らないときでさえ、パタパタと義務的に尻尾で挨拶をしてくれました。

比べて猫は、名前を呼んだらほぼ来てはくれるものの、こちらが何か喜ばせることをしてあげないと、無駄に呼ぶなとばかりにどっかに行くか寝てしまいます。何か自分にメリットがないと動かないのは、集団生活をしない動物ならではじゃないかと思うようになりました。尻尾で返事をすることもありますが、「あんまり私をわずらわせないでね」という声が聞こえてきそうな風情です。

もちろん、ボールを取ってきてみせてくれたり、ブラッシングや洗う時おとなしかったり、こちらを喜ばせるようなこともしれくれますが、それは自分が喜ばされてうれしかったからその見返りではないかと思うのです。お中元みたいにお互いに贈り合うもの。

比べて犬は、プレゼントなどという大げさな行為でなく、挨拶をして、番犬をして、意志を伝え、自らの性格を表します。

犬の方が賢いと言われるのは、やはり集団生活もできる社会性の高さかなと思います。時に寝ることが優先で、お手入れを拒否する猫の姿を見ると、犬はブラッシングのためなら寝ていてもすぐ立ち上がったのになあとため息が出る気持ちになります。

どちらが好きということはありません。けれども、ちょっと弱い猫の方に共感してしまうのは、私が弱い人間だからかもしれません。呼ばれたらすぐ返事をする、それだけのことに不満を感じるのは私のプライドが無駄に高いせいなのでしょうか。

3.noteにスキはできるけど、ヤフコメやTwitterのいいねがなかなか押せなくなった

noteが日記や小説やイラストなどの純粋な表現の場としたら、Yahoo!のコメント欄やTwitterは世の中のものを良いか悪いか、スキか嫌いか意見を言うだけの場なんですよね。時にその感情の理由が間違った認識から来ていたとしても、自己表現をしているつもりはないから、ただ、世の中そうだろうと思っただけという悪気無い気持ちで終わってします。

これがnoteで他人のノンフィクションを書いている人がいたら、その人の生い立ちが全く違うとかいうことになると、さすがに自責の念に駆られたりすると思うんですよね。

もちろん、ブログの世界にも嘘はあるかもしれないんですが、スキな人が見ているだけなので、その読者との世界で完結します。

けれど、特にグッドボタンを集めるトップコメント欄というのは、その記事を読まなくても目に入ります。Twitterで知りたい情報を探すときも全く関係ない宣伝をくっつけているのが目に入ってしまいます。

私は、子供の頃から大げさに話をしてしまうことがあるので、ここ1ヶ月ヤフコメに書き込みをするようになってから、自戒を込めてnoteにメモを残すようにしました。そんなにいいねもつかないですが、badが多いともしかしたら人を不快にしているかもしれないので、絶対に残したいと情報に自信があるもの以外は消すようにしています。

よく言われていることですが、日本語で書かれていても日本人が描いているとは限らない、いいねすら日本人がしているとは限らないということがあります。Twitterは特にユーザーが世界中にいるので、他国から情報を操作される可能性はずっと指摘されてきましたが、ヤフーもそんな疑惑がないわけではないですね。

誤字脱字はまだしも、文法のおかしい意見もよく散見されます。参考になるなと思ったコメントもいいねがいっぱいついているなと思ったら、返信欄を見てみると間違いを指摘するコメントがあって、その人が正しいということも多々ありました。

そうなるともううっかり”いいね”が押せないなと思うようになりました。これは、こういう考え方をできるんじゃないかという意見はかけるんですが、間違った情報にいいねがたくさんついているとしたら、それに乗っかりたくはないです。良いと思った意見ももしかしたら、認識ちがいかもとか思ってしまいますね。

そうでなくとも、結構いいねが一番ついているトップコメントの意見に賛同できないことがあります

わたしがひねくれているんだろうなと思うものの、そっち側の多数派になりたくないと思ってしまうんです。そうするとますますいいねが押せない。猫の情報にすら押せません。

元々匿名だったり実際に接触する事の少ないネットの世界ですから、そのすべて悪い方向にいかないとしても悪用する人はいるわけです。

政治家の方の中にはブログを書いて、Twitterはその宣伝をするだけという方もいらっしゃいます。意見は意見箱で募集するということですね。

それも悪くないなと思うようになりました。

その方の意見すべてに賛同できるわけではないのですが、生き方はやはり尊敬できます。

まあ、石破茂さんなんですけどね。

ご自身では「ポスト安倍と名前があげられることは光栄」と謙遜されていましたが、そもそも安倍首相の対抗馬でしたから、石破さんが首相だったら今自民党政権はどうなっていただろうかと思うことはあります。

国防軍とか憲法改正は、「うーん、良さそうにも聞こえるけど、今の自民党の現状じゃあ怖いなあ」と思いますが。

最近買った石破茂議員の「政策至上主義」という著書にこんなことが書かれていました。

『「ポスト安倍」として名前をあげられるのは光栄なことですし、そのためには、もっとうまく立ち回ることもできたのかもしれません。望まれる通りに大臣を務め、党内でも波風を立てず、余計なことは言わない・・・一つずつスタンプカードにスタンプをためるようにして、何らかの「実績」を積み、「商品」と交換してもらうというのも、世の中を渡るひとつのやり方でしょう。その方が政治家として快適に生きられるのかもしれません。しかし、それでは何のために政治家になったのかわからなくなってしまいます。』

教育についてや社会保障、地方創生の在り方などは非常に現実に即していて共感できるのですが、やはり憲法改正など”誰かの手にゆだねる”ということを信じすぎているんじゃないかという疑念はぬぐえません。

上の言葉のほかに、『国民は丁寧に説明をすればわかってくれる』というものもありました。そうであったら、素敵なんですけどね。

猫になりたいんじゃなくて、みんな猫みたいだな・・・って思います。弱いのに、集団になって生きられない。自由であろうとするほど、コミュニケーションをとることが難しい。短命な野良と縛られた飼い猫と、どちらが正しいのかはわかっていますが、そううまいようには生きられませんね。



よろしければサポートお願いします。いただいたものはクリエーター活動の費用にさせていただきます。