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【小説】 さよなら川辺川 ⑲

茶色くしなびた外側の葉っぱを見ると、触った時のぬるっとした感触が思い出されて収穫するのが嫌だなと思う。

特に、制服に着替えてしまっているとなおさらだ。

しかし、自分で採ってこないと朝ごはんに出してもらえないから仕方ない。普段花を摘む用の剪定ばさみでザクザクと乱暴に切り込みをいれ、制服にくっつかないように鮎美は重たく大きな白菜を持ち上げた。

白菜と大根の味噌汁が鮎美は好きだ。最近は、おおおばあちゃんに教わって、ぶりと大根の煮物も自分で作ってみた。煮物はお母さんより自分の方が上手にできるんじゃないかと思ったくらい上出来だった。

野菜はすっかり、大樹の畑に頼っている。いつでも収穫して良いと言われているし、大樹も自分の具合が悪い時などはちゃっかり鮎美に世話を頼んできたりする。それ自体は、それほど負担ではない。草むしりも虫取りもおおおばあちゃんと無言でやっていればあっという間だ。

けれども、大きな喜びの時であるはずの収穫の時が鮎美はなぜだか反面憂鬱だった。かがみ込んで土にぎりぎりまで顔を近づけて側の虫の形や動きを観察し、ぎざぎざででこぼこな野菜の表面を見なければならない。

なるべく農薬を使わないでと言ったのは、鮎美なのだから、世話に手間がかかって手伝わされても野菜に虫が食っていても、鮎美のせいだ。だから、だれに不満を打ち明けるわけにもいかないので、ただ、収穫の時に大きな矛盾した気持ちを自分の中に閉じ込めるしかできなかった。

でもそれとなく、大樹に相談してみたことがある。

「それをするのがすごく好きなのに、他人に言われてもやるのが面倒くさくなるのはどうしてなのかな。私がなまけ者だから?」

「みんなそうなんじゃないの。面倒くさいときなんて誰でもあるよ。でも、それでも面倒くさい時でもがんばる人が努力家っていわれるんじゃないかな」

大樹は最近もっともらしいことを言うようになった。絶対あゆさんの影響だよと周りが言うが、鮎美には特に自覚はない。

大樹の言葉を聞くと、私は怠け者じゃないけど、努力家じゃないんだなと鮎美は励まされるより、反省した。

最近鮎美は反省することが多い。母の言う通り、自分はあまり他人の話に聞く耳を持たない人間なのかもしれないと思うようになった。

「おはよう。今日は新聞部の活動の前に昼休みに集まってくれるよね」

教室に入るなり美空に言われて、鮎美は黙って頷いた。その気乗りしない感じは美空にも伝わったらしく、美空もそれだけ言うとすぐに席に戻ってホームルームの準備を始めた。

『これからの町の暮らし研究部』、略してわが町研究部は結局新聞部と呼ばれることになった。いや、それも元祖と呼ぶべきだろうか。

二つに分けた部活であってが1ヶ月ちょっともしないうちにお互いに協力する体制になった。新聞部は放送部が取材した内容を新聞紙面に載せ、放送部は新聞部が紙面会議の記事ネタを元に取材先を決めるという構図ができていた。

やりたいことで二つに分けようと鮎美が言ったとき、反対の声は上がらなかったが、皆少し寂しかったのかもしれない。もう協力して仲良くなんてできないだろうと思っていたのに、離れた方が協力しあえるなんて皮肉なものである。

それでいて、新たなトラブルが持ち上がっていた。夏休み後に入部してきた3年生が今だ部活に顔を出すのである。

2月になると、推薦入学で進学が決まった先輩が学校内でちらほら出てきた。驚くべきことに部内では10人の先輩の中で7人もが、推薦で合格が決まってしまったのである。

「町の研究部のことが話しやすかった」

という先輩が多かったようである。それが合否に関係したとは思わない。どのみち鮎美は寮に入らなければならない郡部外の学校に推薦で進学する予定もないし、関係がないと思っていた。

それでも、他の部員はその話が面白くない人と内申のためになるんだと思っている人と鮎美のように無関心な人と3つに分かれているようである。

何より、未だ部活に顔を出す先輩たちが、先週修学旅行から帰ってきたばかりというのも、ひっかかっている人が多いようだった。

「修学旅行で感染した人のウィルスが移るかもしれないからさ」

「半分返ってきた修学旅行代で冬休み旅行に行ってきたとか信じられない。部活の遠征もまだ行っているらしいし。遊びの延長で部活に来てほしくないよね」

そういう声に関して、鮎美はなんて言っていいかわからない。最近では部活内での鮎美の発言の機会はどんどん減り、剣道部で海人が来られないときにだけ進行役を任されるくらいのものになっていた。

「人それぞれの事情があるんだからお互いに気づかいあいながら生きていくしかないんじゃないかな」

鮎美は呼び出された部活前の会議というか、愚痴ぐち会でそんなことを言ってみたが、3年生にはもう部活に来てもらいたくないというのがみんなの総意らしかった。

それでいて、3年生全員の受験の合否が出た後に、送別会はしなければならないという。

みんなが本当にコロナを心配しているのか、心配していないのか鮎美にはちっとも理解できない。塾では卒業会中止になったらしいし3年生が可哀想だからねなんて言っているけれども、塾でできないことがなぜ学校で許されるのか。塾に行っていない鮎美に言わせればそもそも塾の卒業会があることがうらやましいことでもないのだ。

でも、そこまで本音では話せない。少し意見を言ってしまっただけでも、白けた目でみられるのだから。だったら、もうみんな自分たちで決めてくれたら良いのに、鮎美に意見を聞きたがるのだ。

卒業会ができないことより、部活の後輩に嫌がられて部活に来られないことの方が可哀想だろう。だから、一貫して、先輩たちを部活に出入り禁止するわけにはいかないと言い続けてきた。

高校生になった先輩たちがこの部活にたまに顔を出してくれたら、部活の活動の幅も広がり様々な知見を得られると鮎美は思っていた。だけど、そう言うと、「またあゆさんが他人と違うことを言い出した」という顔をされてしまう。

だから、鮎美は意見を言うより、自分にできる行動をすることにした。部活前の3年生たちが顔を出す前に、鮎美は断って図書部室を抜け出した。

そしてこっそり校舎裏の掃除用具入れの後ろに行った。

「先輩、学校でお菓子は禁止ですよ」

”受験が終わった新聞部と放送部の数人が校舎裏でお菓子パーティーをしている”

と葉月から聞かされた時、鮎美は耳を疑った。

「それって、もう噂になってるの?」

「ううん。多分、まだ私しか見てないよ。でも、初めてじゃなかったみたい。先生たちとか部員に見つかったらまずいよね」

まずいだろう。中学校でお菓子の間食は認められていない。たまに部室やトイレでこっそり食べている人は知っているが、校舎裏はいかにも悪いことを隠れてやっていますと言わんばかりだ。

お菓子の間食くらいで、高校の合否の取り消しなんてないだろうが、卒業会は取り止めになってしまうかもしれないし、ますます先輩たちを十把一絡じっぱひとからげにして部活に来てほしくないという部員が増えるかもしれなかった。

疫病の感染が怖いならそう思う人は来ないならよい。手洗い消毒して、マスクをつけて部室に入るというルールを守らない人は先輩だろうが、同級生だろうが、部室にいれなければ良いのだ。けれども、そんな注意はみんな鮎美や海人に任せきりだった。

『こんなところでお菓子を食べていたら、卒業パーティーのお菓子会の計画がなくなっちゃいますよ』

自分たちが損することになることを気づいた方がよい。卒業前に学校の先生たちに思い切り叱られて嫌な思いをして卒業したくないだろう。

けれども、鮎美はそこまで先輩たちを断じることができなかった。

「ごめんね。もうしないからね。みんなに言った?」

「謝らなくて良いです。それに言いつけたりしません」

こんなやり取りはもう3回目だ。鮎美はここ一週間ほど昼休みと授業終わりの先輩たちが校舎裏に行きそうな時間帯を見計らって注意しに行くが、いつも一足遅れてしまい、先輩たちはお菓子の袋を開けてしまっていた。

(言いつけたら、もう先輩たち、中学校にこれませんよ。それでいいんですか)

バツが悪そうな顔をしながら、未練たらしくのろのろとお菓子を片付けて学校かばんに入れる先輩たちが校舎裏から移動して部室に向かうのを後ろから見張りながら、鮎美はこのまま部活に行きたくないなと思ってしまう。でも、部活に行って先輩たちを見張っていなければ、先輩たちがうっかり部活でお菓子を開けたら、先生に言いつけるの言いつけないの、部活動にもう顔を出してほしくないだのの議論が燃え上がってしまうだろう。そんなことで、自分たちの評判を下げたたくはなかった。悪い先輩たちじゃないのだ。ただ、ちょっと注意力散漫なだけ。他に学校でお菓子をこっそり食べている人はいるだろうし、ちょっと怒られるだけですむくらいのやり方を考えればいいのにと思う。コロナ禍でなければ、部活でお菓子を食べるくらい鮎美も見逃したかったと思う。でも、そういう考え方自体、大樹が最近言うように鮎美は甘いのかもしれない。

鮎美は大樹にも先輩たちのことを言えなかった。大樹がもしうっかり母親の梨江に話したら、大樹の病気のことで心配症な梨江が部活に行くことを止めたりするかもしれないからだ。

「もしかしたら、うちの部活、結構コロナにかかる可能性高いかもしれないよ」

鮎美は大樹に最近そんな風に言った。

「でも、その時はその時だよね。コロナにかかって重症化して死ぬかもしれないけど、それを恐れたら、おれは学校も行けないし、将来働けなくなるかもしれない。自分の選択を今後後悔しないかわからないけど、俺、この学校に転校して本当によかったって感謝してるから、とりあえず学校に通いたいんだ」

大樹は梨江に約束して部活には二日に1度しか通わないことになっている。学校に一人でも感染者が出たら、1週間は学校に行かないことを約束したそうだ。でも、部活はともかく、1週間も休む約束なんて大樹は従うつもりはないと言っていた。

今日は、大樹が部活に来ない日で、海人は剣道部で来られない日だ。

今日行っておかなければ、状況を把握できなくて後から話を聞いてもわからなくて困るのは自分だった。

顧問の山上先生は、時々「林さんがいれば先生の出番はないな」なんて冗談を言う。

母の道子は、鮎美はちょっと他人より大人になるのが早いからずれてしまっているのだと言う。

おおおばあちゃんは、つらいことはただ流して忘れていかなければ生きていけないと言う。

おおおばあちゃんみたいに、束の間つらいことを忘れて一瞬を楽しんで生きるなんて器用なことを鮎美はできる気がしなかった。

なんで隣町みたいに学校は先輩たちの修学旅行を中止してくれなかったのだろう。それについて議論することは新聞部や放送部に関係ないし、無駄だと思う。

自分が大人だとかはどうでもいい。他の人と合わないせいだとして、帰宅するなり自分が最近毎日大泣きしてしまうのが鮎美は不思議だった。

何か特別他人に言われたわけでも、喧嘩したわけでも、新しいことを見聞きしたわけでもない。

けれども、今日は早矢を抱っこしながら鮎美は声をあげてわんわん泣いてしまった。そんなことは物心ついてから初めてのことだった。鮎美はどちらかと言えば、ぼんやりとした子どもだと母にも思われていた。

「早矢がもう少し大きくなったら、うちも猫を飼いたい」

そんなことを食事の席で唐突に言って、食事を残すと部屋に閉じこもって布団に入って泣きの続きを始めた。読書を始めても涙が止まらず、布団の中で本を読むのをやめなさいと母の道子が夜中に注意しにきても、読書がやめられず、涙も止まらなかった。

道子はきっと、感動する話を読んで泣いているのだと思っただろう。

「その本、お母さんにも明日貸してね」

と言われ、その時だけ鮎美は少し笑った。


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