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東と西の薬草園 ⑥-3「峠道の貸庭」の人生峠

”不便な田舎には想像の余地がある”

レンタルガーデンのプレオープン期に早々とロッジに泊まりに来た赤石みどりは、1週間経って宿泊の延長をした。
それも3か月という長期間である。
1週間に一度レンタル品の交換などしたいので、月曜の午前中は開けてもらい、貴重品は置かないようにということで話がついた。

「更新するのも面倒くさいから、こっちに移住したいわ。でも、そうするには兄たちと話し合わないと。桜が咲くのが待ち遠しいわ。一度来てもらえば説得しやすいと思うもの」

連泊の延長を申し込みに来た時に、みどりが本気でそんなことを言うので遥は慌てて諫めた。

「山の暮らしは不便ですよ。移住するなら場所を探さないと。まずは、そうですね。3か月くらいここにお試しで住んでみて判断したらどうですか?」

遥のその場の思い付きの提案に、みどりはあっさり肯いた。

「そのくらい時間が経てば、遥さんにも私が本気でここに住みたがっているとわかってもらえるかしら」

甘い桃の香りのするフルーツフレーバーティーのカップを置いて、いたずらっぽく言ったみどりの目は真剣だった。
遥はただの富居家の山の管理人。レンタルガーデンの受付責任者ではあるが、客を拒むほどのポリシーなどないはずだった。
誰が果実町に移住して来ようとその人の自由だ。
しかし、遥は無意識に「こんな不便な田舎に移住なんてやめておけ」と言ってしまった自分に気づいて、驚いていた。不便な田舎だとわかっていて自分も戻ってきたではないか。仕事の算段も適当で、なんなら今も責任の重さに逃げ出したいと思っている。けれども、慣れてしまえば遠い街に働きに出てその街のどこかの狭いワンルームで生涯を終える自分の姿などもう遠いものになってしまった。
自分がこの町に安楽しているのに、たままたこの町に生まれなかった人を排除する権利などない。遥はお役人様でもなんでもない一般人だ。

「桜が咲くころにはお茶会かしら。兄たちの家族の分も申し込みできてうれしいわ。ピクニックなんて定年退職して以来行ったことがないもの」

「そうですか。僕なんて小学校以来ですよ。そもそも花見なんて生まれて初めてですから」

「ダム湖の桜なんてそんな期待するもんじゃないよ」

「ええ!学校の校庭より大きな桜の木が群れてるんでしょ。壮観だなあ。さくらラテを持って行こう!」

「雨天中止だから!車に乗せる荷物は後に出るごみのことまで考えて、半分のスペースが残るようにしてね」

目の前の鱈のムニエルの食べにくさに苦戦しながら釘を刺すと、「俺、晴男だから絶対雨は降りませんよ」とカエルが懲りずにいうので、遥はますます目を吊り上げた。

そんな二人のやり取りを見て、「漫才みたいですね」と評してみどりはコロコロと笑った。ランチの後は庭作業だ。土曜日は野人と一緒にカエルも手伝うので作業がはかどる。
カエルが多弁なので、会話にも困らない。
4月の第1週のイベントは桜を見にダム湖に出かけるツアーの予定だ。
そしてお茶会では桜の塩漬けとさくらラテを作る。
みどりが提案してくれた工芸茶については作れる人の見当がつかないので、保留だ。あるいは、花が咲いているうちにみどりが作り方を調べて学ぶと言っていた。

「農業訓練を受けているんでしょう。楽しそう」

作業の手を止めないまま、みどりが隣のカエルに声をかけた。
物価高騰の折、立派な野菜を育てて兄たちに自慢してやるのだと、みどりは借りている土地に花を植えるだけでは足りずに、ここ数日いくつかの大きなコンテナを買い込んで、せっせと野菜やハーブの苗を植えている。どういう組み合わせにするのがいいか、習ったばかりのカエルが教えてデザインは野人に相談できるから、「とっても贅沢な家庭教師を雇ったみたい」とみどりは毎日ご満悦だ。4月に入ればこの辺鄙なレンタルガーデンにも予約いっぱい人が訪れる予定だから、確かにみどりは先んじて今だけしかできない贅沢をしていると言える。

「どうですかね。農家になりたいわけじゃないから、こんなに学ぶ必要あるのかなって半信半疑な面もありますよ」

カエルは言葉を濁したが、どうも農業指導員と感性が合わず、ぶつかることが多いようだ。カエルは知りたがりだから、いろいろと質問をされると指導される側も鬱陶しいのかもしれない。カエルも1か月も経てば要領を得て質問しなくなったが、それでも一度出来てしまった確執は容易に解消されず、「もう行きたくない」と毎日のように電話で遥にこぼしていた。

それにしても、建築2級に宅建にシステムエンジニアやプログラマーとカエルは勉強マニアである。加えて料理については転職してプロになろうとしており、大卒資格しかない遥にすればなんとも眩しい存在だ。
カエルのような人間を生きるエネルギーに溢れているというのだろう。
趣味の園芸にも一生懸命なので過労が心配ではあるが、そうであればこそ常に息の抜き方を探しているのかもしれないと遥は最近カエルのことをそう考えるようになった。

「今は学んでいるだけだからいろいろ疑問が湧くんでしょうね。人と知識を共有できるようになってからが楽しいの」

定年まで多くのことを学んで仕事人間だったというみどりには、カエルの心境がわかるようだった。遥は嫌なら辞めればいいと言うのだが、カエルはいつまでと期限があるのだからそれまで我慢するの一点張りなのだ。趣味や転職のためにストレスを溜めるカエルの気持ちがわからなかったが、確かに我慢した先に得るものもあるのかもしれない。その我慢に心身がどこまで耐えられるかが問題だ。

「私今まで趣味でハーブを自分だけで楽しんでたなって思うんです。母が生きてきた中で朝日が昇るのを初めて見たって言って、それはきっと嘘なんですけど、来てよかったなって思いました。園芸療法っていうんですか。母が嬉しそうに毎日鉢のラナンキュラスを撫でるのを見るとレイキみたいな不思議なものを感じます。花も人もそれで元気になっているんです。介護に疲れて自分だけハーブティー。母には好きなラテをいれてあげてました。でも、毎晩一緒にハーブティーを飲む今が一番幸せ。過酷な介護生活だと思ってたけど、今が人生で一番幸せなんです」

世間的に老々介護はどう映るだろうか。母も娘もくたびれて、必死に生きているように見えるかもしれない。しかし、実際にみどりをみれば毎日朝からばっちり化粧をして、母を施設に送り届け、庭作業に精を出し、無精な管理人と昼食をとり、楽しそうに生きている。
命をかけていた仕事も、好きだった旅行も今は出来ない。老いるとはそういうことだ。しかし、晩年になって得る幸せというものもあるのだろう。こちらの空気が赤石親子にはずいぶんと合っているようだ。

田舎を田舎に住む人だけで楽しむのは正しいことだろうか。女性は移住を考えているが、必ずしもそうする必要があるか。
人生の中に一時田舎暮らしがあってもいい。観光でも十分幸せな記憶が残るだろう。
花と果物しかない町を気に入ってくれる人もいる。
田舎を届ける果実町の魔法のフルーツフレーバーティー。甘くて苦くて癖になる。
複雑でいてすっきりした味わい。面倒くさくて簡素な田舎を体現するお茶だ。

庭作業が終わると、みどりは母を施設に迎えに行った。
その間に、遥たちは4月のお茶会のメニューについて話し合った。

【春のお茶会の献立】
・苺と練乳と桜の三層のゼリー寄せ

・ドラゴンの羽をチョコレートで作った桜あんぱん

・タイムとレモンの鶏肉オリーブ焼き

・花びらとカモミールの春サラダ

・桜ラテ
井中蛙の提案
【案内チラシ内容のたたき台】
峠道の貸庭では、春のお茶会を実施します。お茶会では苺と練乳、桜のゼリーから、ドラゴンの羽をチョコレートで立体化をして飾った桜あんぱんやレモンやタイムなどの香草を使った爽やかな鶏肉のオリーブ焼き、花びらとカモミールで仕上げた春サラダ、桜ラテなどを提供する予定です。
記念すべき第1回の春の茶会のお料理はおいしさだけでなく見た目でも楽しめます!
新鮮な鶏肉をレモンとオリーブとみなさんのお好きな香草を組み合わせて焼いた味は極上です。桜ラテを飲みながら、大正時代の建築物と花咲く春庭のコラボレーションを満喫できます!
そんな素敵な春のお茶会でワクワクと驚きを皆さんも体験してください。春を感じる楽しいお茶会をご提供いたします。
文責:山脈遥

「ちょっと大げさに煽りすぎじゃないかな?ドラゴンの羽のチョコレートだって、割れたらどうするの?」

「割れても大丈夫なようにたくさん作っておけばいいのよ。果実町の『緑の手』のメンバーがみんなで協力して作るんだもの。きっと、大丈夫。カエルくんはやりたいようにやって、監修としてふんぞり返っていればいいのよ。だって、カエルくんのおかげでレンタルガーデンもお茶会も誕生したんだから。婦人会と青年会って古臭い名前もおかげでなくなったしね」

いつも4人で話し合うと途中で議論が止まることがある。しかし、二人だと言いたいことややりたいことをするだけだからスムーズだ。カエルとは議論も衝突もしやすいなと遥は感じていた。
そもそもカエルのせいで遥はレンタルガーデンの責任者になってしまった。この町に移住してきたカエルが好きにやって出来上がってきたことなのだから、楽しいばかりでなくちょっと以上の責任を感じて当然だ。

桜が咲くころ、「峠道の貸庭」は始動する。桜の前にすでに咲いている花たちはそれをいまかいまかと待っていた。
レンタル用の土地には今はまだ花も何もない。



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