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【連載小説】日本の花嫁Ⅰやがて社長 ⑨御耳拝借

※この話には殺人事件に絡んだ描写が出てきます。苦手な人はご注意ください。

「おい、里田、今日はさすがに残業しろ」

「なぜですか?」

「この間死体持ってきた女が脱走したんだ。同じ高校だから俺もお前も会議に呼ばれている」

「働き方改革を無視してますね。考えときます」

さすがに休日出勤を拒否したのはまずかったかと思い、早朝の5時に出勤したというのに、待ち構えていたかのように益田が警察署の暗い生活安全課のフロアに鎮座していた。

「働きたいやつがよく言うよ。そもそも行方不明者を探しに行ったんだろうが。花田由美の元勤務先は福岡だったか。福岡で何か収穫はあったのか」

「あったら、報告してますよ。真面目な仕事好きなんで」

「そうか。なるほどな。なら、俺たちは負けたかもしれんな」

「負けた?どういうことですか?」

「脱走した山田の行方を知ってるらしいぞ、花田江子さんが。よかったな、会議をさぼれる口実ができて」

「山田?花田さんがなぜ山田のことを知っているんですか?」

「山田が警察署に現れた時に現場にいただろ。それでじゃないの」

「ー急に会議に出たくなりました。残業しろなんて嫌みですね。」

里田は天井を仰いだ。

江子が先日死体を持って警察署に現れた山田日登美の脱走に気づいたのは偶然だった。
警察署の玄関から山田が出てくるのを偶然見たのだ。
半田の言う通り、江子は山田が暴れた日に警察署にいた。
それだけでなく、娘の由美がいなくなってから警察署に日勤を続けていた。
その日は日曜日だったので、ほとんど相手にしてもらえないとわかっており、早々に退散しようとした午前10時過ぎ、自分の前に警察署を出ていく山田を見た。最初は見間違いかと思った。
正面玄関から堂々と出てくる女性になぜ気づけたか、江子自身も不思議だ。しかし、気になったのはすれ違いざまにみた、女の指だ。黒いマニキュアは確かにあの日突き飛ばした女がしていたものだった。それからまだたった数日しか経っていない。

(釈放されたのだろうか)

誰も見咎めないところをみるとそうかもしれない。しかし、気になって女のあとをつけることにした。娘がいなくなってからは、警察署に通う以外することもない。
女は警察署の前を出ると急ぐわけでもなく、一般的な速度で歩きだした。気ままな散歩といった感じで、自分の思い違いだったかと江子は車をおいて、人を尾行するという酔狂な真似をしたことを後悔した。黒いマニキュアをするのが、あの日の女性だけとは限らな
い。2回の癌とそれに伴う移植手術で体力は戻らないまま、60過ぎてから薄い身体は枯れ葉のように頼りなかった。

女がラーメン屋の隣の隣の建物に入った時にはすっかり息が切れ、思考力が低下していた。そのため、何の用心もなく続けて中に入ったが、幸いなことに女には気づかれなかった。
入る前に看板を見る余裕はなかった。しかし、日々車で通りすがっていても、隣のラーメン屋の建物の商売の入れ替わりが激しいのでその隣で何をやっているか気に留めてもいなかった。
目についた椅子に腰を下ろし、鞄の中に入れて持ち歩いている水筒を取り出して水を飲んで人心地ついてあたりを見回した時には、雑貨屋かと思った。しかし、女が奥の仕切りから出てくるまで書かされたアンケートでそこが占いの館であることに気づいた。
アンケートを渡された時に、名前や住所を記入する欄がなかった。アンケートの内容も奇妙に感じたが、その後出てきた女をつけるためにアンケートを放り出して出てきたので、内容を詳しく覚えていない。
女はその後1キロメートルほど歩き、選挙事務所の中に入っていった。事務所といっても、2週間前に選挙が終わってから恐らく空き家だ。まさかここに潜伏するつもりだろうかと怪しんだが、人違いの線も捨てきれない。何しろ女、つまり山田は、そこに至るまで一切身を隠してはいないのだ。
急に正気に戻って事務所に入るのに怖気づき、そのまま何とか警察署まで歩いて車で家に帰った。しかし、どうしても気になり、朝方4時過ぎに車でまた事務所に向かったところ、途中のコンビニから出てくる山田を見たのだ。山田はコンビニを出ると車に乗り込み出発したので、そのまま車で追いかけた。
そして、山道を進むうちにさすがに尾行がばれると思い、警察署の生活安全課に電話したところ、山田が出たのだ。

しかし、山田たちが追い付いた時には、江子はすでに山田を見失っていた。それでも、山田に間違いないと思われたのは、途中立ち寄った占い館で検出された指紋が山田のものと一致したからだ。
それについて、益田は電話で連絡を受け、その場で言わない選択もできた。
しかし、指紋が一致しても警察署に死体を持ってきた女が逃走したことを公表するか慎重に議論するというので、その場で暴露してしまった。

「まあ、仕方ないですよ。留置場から逃げたといっても、犯人じゃないし、もう捕まえたんでしょう」

江子が移植した舌を操り、不明瞭な発音でそう言うと里田と益田は目を見開いた。

「どうして捕まえたってわかるんですか」

江子がまたも何か言ったが、唾がたまったのかより不明瞭で今度は二人も聞き取れなかった。

「あー、わかった。さすがに逃げたままなら、逃走を伏せないだろうってことですね」

黒田が声をあげるとその通りだというように江子はうなづいた。

「しかし、山田が殺人犯でないとはまだわかりませんけどね」

「いや、殺人犯が死体持ってこないでしょう。精神鑑定するのかもしれませんが、留置場から24時間以上抜け出せる人なんだから、俺も雰囲気的に殺人犯じゃないって気がするなあ」

「まあ、そうではありますけどね。一応、無関係のあなたは黙っていてくれませんか」

「はい、すみません。言われた意味がわかったので、発言しただけですよ。実際肯いてくださってるじゃないですか」

言い返した黒田の頭を里田が小突き、代わりにすみませんと謝った。それを見ながら、江子は黒田を家に招きいれてよかったと安堵した。山田を見失った後、江子は寝不足で体調が悪くなり、病院に行って、点滴を受け、そのまま眠り込んで、目覚めたら夕方近くになっていた。その間、ロビーで里田が待っていたと聞いたと聞いた時のバツの悪さときたらない。
自宅まで送ると言われ半田まで合流し、請われるがまま、彼女を見つけたことの顛末を話だそうとしたところ、黒田がやってきたのだ。

「いやあ、警察署に行ったらお前が今日は外に出てるっていうから、昨日の今日で福岡で手がかりが見つからなかったことを話すんだろうと思ったら、まさかの別件とはね。しかしね、何の手がかりもなかったわけではないんですよ。由美さんが前に勤めていた塾ではほかにも人がいなくなっているらしいんです」

「え?」

声をあげたのは江子ではなく、半田である。じろりときつい眼差しを里田に向けたものの、里田はそれを意に介さなかった。

「おい、俺は聞いてないぞ」

「病院で話すことじゃなかったんで。でも、すみません。先生がいなくなったって話してくれたのは、そこの塾の生徒でまだ子供なんです。学習塾ですから従業員の入れ替わりも激しいでしょうしね。それに自殺した先生がいるっていうんですが、それも偶然ないこともないんで」

黒田をもう一度叱り飛ばして里田は釈明した。

「それはそうだが、自殺した人間がいるとかお前の方が余計な情報を付け足してるがな。ま、でも、これだけ名探偵の働きをしたんですから、まずはご自身を労わってください」

江子は、黒田の発言に目をきらめかせ、里田の説明に一気に暗い顔色に戻った。なんでも情報を出せばいいというものではない。そんな江子を励ましつつ、益田は内心では自分も娘探しにひと肌脱ごうと決めていた。

山田を見つけたかもしれないと江子から電話を受けた時には、殺人事件に関して情報を提供すれば自分の娘探しにも便宜を図ってもらえるかもしれないと考えているのだろうかと穿った見方をしてしまった。だから、里田が出社してくるまで駆けつける気はなく、上に報告することも迷っていた。
しかし、蓋を開けてみれば、江子の見立ての通り、山田は白昼堂々と警察署の正面玄関から出て翌日まで近くに留まっていたということだ。念のため占い館で指紋を採り、実際にそれが山田のものと一致したと聞いて誰より驚いたのは益田だろう。
それにしても、驚くべき観察眼だ。黒い爪は目立つとはいえ、江子は見るからに視力が悪そうだ。にも拘わらず、突き飛ばされた時に、相手が爪に黒いマニキュアをしていたことを記憶し、すれ違った相手の指を一瞬垣間見てそれに酷似していることに気づくとは。
恐らく山田は玄関から出る時には袖を長くしていただろうから、防犯カメラには爪など映っておらず、帽子までかぶって姿勢でもかがめてれば、後からビデオを見ても山田とはわからなかったに違いない。

ーそれにしても、だれが脱走を手引きしたのか?

「爪といえば、山田を捕まえた時に吐き出した男の爪も黒かったですよね・・・」

「おい!」

しばらく4人とも無言で、奇しくも益田と同じように江子の慧眼に関心していた里田は爪から連想した事実をつい口に出していた。
益田に声をあげられるまでもなく、口に出してからしまったと気づいたが、耳が遠くて聞こえなかったのか否か、いや、恐らくは気を遣って江子は聞こえないふりをしてくれた。しかし、そんな気遣いとは無縁なのが黒田である。

「うわ、人間の指を飲み込んでいたのか。それは、また、ホラーだな・・・」

大きな声で復唱する黒田は心底ぞっとしたようだ。

「男の人もマニキュアするんですね」

「ええ、今時ですから気にも留めていなかったんですけど」

里田は諦めて、江子の疑問には素直に答えたが、黒田には釘を刺した。

「ああ、くれぐれも人には話さないでくれよ」

「ああ、俺も乗りかかった船だからな」

日本語の使い方がおかしいが、そこを注意する気力は里田にはなかった。口外するなと言う自分の方がずっと口が軽い。

脱走した高校の同級生山田は、警察署で暴れてすぐ署内で嘔吐した。その時に吐き出されたのが噛み千切られた男の指だった。興奮して噛み千切ったとしても、たまたま飲み込むとは考えづらい。
自分で飲み込んだとしたら、一体何のためにそんなことをしたのだろうか。
そして、男と女の揃いのマニキュアには意味があるのか。
その時はまだ、男の指爪が入れ墨であることなどその場の誰も想像していなかった。

いや、江子はまたしても偶然にして見破った。その入れ墨の事実も、「男性とお揃いで黒いマニキュアをするようなひとにしては、あの女性は地味な感じでしたけど」という重ねての江子の発言で気づいたのだ。それがわかった時、益田はもはや警察は江子を外部で雇い入れた方がいいんじゃないかと感動を通り越して恐れた。
そして、実際に江子が自分の発言した通り、名探偵になるなどとはそこに至ってもまだ想像だにしていなかったのである。

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