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【連載小説】日本の花嫁Ⅰやがて社長③後姿

日本人は矛盾を愛する。総理大臣が雑巾がけをしていれば結構な謙虚な人だと思われる。貧乏人が高い志を持っていればなお結構だ。実際にはありえない場面が実現することが重宝されるから、テレビのドラマは漫画の原作が多くなり、動画配信者がこぞって炎上商法を使う。人が食べられないものを食い、人がやらない危険なことをして、人が住まない場所に住み、人がやらない無理な運動をする。そして彼らが求めるのは承認欲求を満たすこと、高い自己顕示欲の表現ではなく、他人との共感なのである。共感されて金を稼ぐ。反応を見ながら小説を書く。そこにある現代の文学性と言うものは、自分が暮らす共同体の中の多数派の意思が反映されていなければならない。あるいは、その人たちが普段抑えているような反対の意思、考えてはいけないようなことを示すことによって怖いものみたさを煽るのだ。

そのような他人と共感する娯楽よりは、孤独な自由を愛してほしいと思っていた。読書をしてまだ他の人が知らないような発想を世の中に広げて共感を得ようとかそういう高い志はなかった。誰よりも頭の良い生徒を育てようなどと思っていなかった。ただ自分の心を守る術は、生きるに苦労しないだけの手段を持ってほしいと思っていたのだ。

「国語の授業必須にしたいのよ」
由美は自身の夢をそう語った。本を読んで感想を言い合う。そこに必ずしも共感は必要ない。物語だけでなくていい。詩でも絵本でも漫画でもドラマや映画でも構わない。人間として言葉で表現することを学んでいく手助けをしたい。
「その漫画ちょっと怖くない?とかさぁ。そのミステリーを難しすぎるとかさ。すごく頭の良い人の読んだ頭のいい人の読書感想を聞きたいじゃない。すごく才能溢れた人とかこんなかわいいイラストがあるのって絵で描いてくれたら、その子がどんな感受性を持った人であるか多少言葉がたどたどしくてもわかるよね。理想は無学年でやりたい。数学は文章題だけとかね。そもそも私に難しい数学なんて教えられないし、文系だから。」
由美は自分のことをよくわかっていた。自分の欠点に葛藤しながらも、他人には理解しがたいような頑固さで強い信念を持っていた。
理想が高すぎるが故に、他人との衝突が絶えないのに、自分の欠点を補おうとするかのように常に他人に自分を開いているような多感な時期の子供たちは相手にする仕事を選んだのは母としては意外であった。
しかし、江子自身、家庭に入るのは自分に合わなかったと思ったこともある。また娘の由美についても、家庭を持つ姿が想像できないのであった。自分が死んだ後、この子は1人でどうやって生きていくのか、そんなに遠くない将来のことを考えないではない。
しかし、今娘は人生の新たな扉を開いたばかりだ。先の暗い話ばかりしてもしようがない。
「数学を教えないって言うのは無理なんじゃないの。塾には数学を教わりに来るものでしょう」
「教えないとは言ってないよ。でも数学の天才になりたいなら、私に教わっても不幸じゃないかな。まぁないだろうけど、手に余りそうな人が来たら、そう保護者に説明するよ」
言葉とは裏腹に、由美の表情には陰鬱なところはなかった。
明日になれば、由美は一国一城の主である。個人事業を始めるというのは、店を構えるかどうかにかかわらずそういうものだ。うまくいくかわからない。ただやりたいようにやればいい。

"烏合塾"

娘はホームセンターから買ってきた板に下手な習字で、塾名を書いた。
烏合の衆という言葉からとったらしい。
「あんまり良い意味で使う言葉じゃないんじゃないの。やっぱり名前を変えたら」
「いろんな人に来てもらいたいんだもん。いやたった1人でもいいから、私と違う人に会ってみたい。似たような同じ思想で染まるなんて気持ちが悪いでしょ。だからこれでいいの」
塾の看板を見つめる由美の顔に憂いはなかった。

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