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母のカレーは具が見えない

母はカレーが食べられない

私が子供の頃、母は仕事に忙しかった。
特に母は私が小学生の頃に癌を患い、その治療の影響が長く残っていたので、いつも疲れていた。
家の片付けや洗濯ものは手伝っていた。
一方で、料理は常に母の仕事であった。
母は特別料理上手というわけではなかった。
咽頭癌の影響で、味もよくわからなくなっていた。刺激物は食べられなかった。
しかし、母は自分が食べられない料理をよく作った。
家族のリクエストというよりもも気の向くまま、毎日忙しい中料理をすることが母の気分転換になっていたのだろう。

母は野菜を細かくするのが好きだった。生野菜のサラダなどは作らなかった。いつも火の通った温かい料理にこだわった。
大病する前には、人参ケーキをよく作ってくれた。みじん切りだけでなく、野菜をすりおろすのも好きだった。

私は風邪をあまりひかない。しかし、喉を痛めて声が朝からしょっちゅう枯れていた。母はよくりんごをすりおろしてくれた。冷蔵庫の中には、大根の蜂蜜漬けがよく作り置きされていた。
この大根の蜂蜜漬けは、喉によかった。病気をしてから母は食べられなくなったが、すりおろしたりんごは、レンジで温めて母もよく食べていた。

そして、すりおろしたリンゴで母はカレーを作った。ほとんど粉々にされた野菜とよく煮込んだカレーである。その日の夕ご飯ではなく、翌日の朝ご飯か翌日の夕飯のカレーである。母は料理がマメで、夜に翌日の子供の弁当のために、混ぜご飯の具を煮込んだりする人であった。定食屋の女将さんさながらに、翌日の料理の仕込みをしていたのは、家族が多く常に来客が絶えなかったという幼少期の生活が影響していたのかもしれない。

戦後すぐ嫁いだ祖母は、ずっと来客をもてなすのに忙しかった。

大人になった私のカレーの思い出

最近作った麻婆茄子とカレースープ。トマト缶で赤く、コンソメココナッツミルクと各種スパイス。

母は私が9歳の頃に癌になり、その後数年経つと多少の刺激物は食べられるようになった。しかし、母はそもそもカレーをご飯にかけるのが嫌いであった。
花のニッパチ、戦後生まれの母であった。栄養に特化した学校給食は当時あまり美味しくなかったらしく、カレーについてあまり良い思い出もなかった。どうにも粉っぽかったらしい。祖母は母よりもっとマメな人で、カレーやシチューも作ったそうだが、特に母の好物ではなかったようだ。

子供の頃、母の好き嫌いが多かったせいなのかどうか、祖母はとにかく野菜をよく刻んでいたらしく、母のカレーのにんじんはみじん切りであった。玉ねぎは存在を感じなかった。
小学校高学年になると、私もカレーを作り始めた。
しかし、母のように野菜を粉微塵に刻むのはめんどくさかった。じゃがいもはごろごろしている方が好みである。しかし、みじん切りにされておらず、さらに炒め形の足りない玉ねぎというのは、カレーになるとその存在感が妙に気になった。
大学生になって一人暮らしを始めた私は、カレーに玉ねぎを使わなくなった。代わりに何を入れたかと言えば、キャベツである。キャベツで作ったカレーが我ながら美味しくて、かさばるキャベツを刻むのには、玉ねぎをみじん切りにするのと同じくらい手間をかけた。何といってもキャベツは切っても切っても目にしみない。

けれども、そうやって、半玉か4分の1玉で買ってきたキャベツを全部カレーに使ってしまうと、一人暮らしではカレーの日が数日続くことになる。私はカレーを冷凍するのはあまり好きではなかった。

社会人になった時に家でしか食べることのなかったカレーを外食することを覚えた。有名なチェーン店にはいかなかった。東京や福岡で働いた時、通勤の行き帰りや移動の中でのお昼休憩で女1人で入りやすい店というと喫茶店が多かった。ちょっと古風な喫茶店になるとオムライスやサンドイッチやカレーがメニューにあった。

さらに移動販売の弁当でもカレーがよくメニューにあった。転職の合間に3ヶ月の契約パートの職に就いたときに、職場に昼ごろになるとスリランカカレーの弁当売りの人がやってきた。それが美味しくて、2日か3日に1回3カ月間スリランカカレーを食べていた。
その頃には既に時たま胃腸の不調を感じていたが、カレーのスパイスの良い香りに誘われて我慢できなかったのである。

ご飯とカレーが別になっているも感動的だった。母が刺激物に弱くなければ、その職場を辞めた後何度かお店に足を運んだ時にお土産に弁当のカレーを買いたかったくらいだ。

世の中にスープカレーと言うものがあるのは知っていたが、それともちょっと違っていた。ご飯にかけなくてもおいしいが、かけてもよく合うカレーだった。スープというにはとろみもあった。

それからタイのグリーンカレーも好きになった。店に行って日本式でない本格的なカレーを食べたこともある。どの店のカレーもとてもおいしかった。しかし、初めて食べた日本とは全く違う味のスリランカカレーほどの感動はなかった。

胃腸が弱くなければ、あのスリランカカレーがまた食べたい。しかし、私の胃腸はとても弱いので叶わぬ望みだ。あのカレーはとてもスパイシーだった。あのスリランカカレーの次くらいには、かつて母が作っていたよく刻んだ野菜がドロドロに煮込まれてを具の形がわからなくなったカレーがおいしい。

自分で片っ端から野菜をみじん切りにするのはめんどくさい。母は働きながら、なぜあれほど野菜を細かく切るのに時間を割いていたのか。手際が違うから、それほどの手間を感じなかったのか。

母はよくカレールーを2種類使っていた。私もそのほうがおいしい気がして、カレールーを2種類使う。しかし同じ味にはならないから不思議だ。

最近は、作りすぎないようにフライパン一つでできるカレーを覚えた。炒めるフライパンと煮込む鍋と洗い物が増えなくて良い。

スリランカカレーとは?

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