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「窓辺の猫」第六十三回  猫は産まなくても育てられる

すべてに無冠

 キャットレディーは言葉面だけで見れば名誉な言葉かもしれない。思ったより、猫は子育て上手だと思う。産んでない雌猫も子だくさんの雄猫も子猫の扱いが上手い。一方で産んだ母猫は子離れが難しい例もあるようだ。
 ただし、産まないと育てる機会が少ないわけで、人も猫も一匹一人だと母や父に関する称号は全てにおいて得られない。群れで暮らさないと社会生活は限定され永遠に無冠のロンリーウルフだ。

 しかし、産んだ人や猫は孤独以上にもっとも苦労が絶えないだろう。社会からはともかく子どもからの尊敬は産んだだけで勝ちえないとしたら、母として一人の人間として子育ても仕事もその生き方で模範を見せねばならないのだ。

 一方で人より猫であった方が見直してもらうのは簡単かもしれない。つれない三毛猫は、案外子猫あしらいが上手だった。相手の自立心を育てるのがうまかった。構い過ぎず、戸惑いつつも出来ないと手伝ってあげる。しつこくされれば、仕方なく遊んであげる。気まぐれにこちらから遊んであげると子猫から大変喜ばれる。

産みの母の立場 

 三毛猫先輩が好かれすぎたのだろうか。産みの母のチョウさんの姿が見えない。一度一匹リリースしてその翌日からのことだ。すみかを変えたなら仕方ない。姉猫は気が立っていて、アゲハちゃんは姉のハチさんを見ると逃げ回っていたようだ。ハチさんが一番偉そうにしているのでつまり家より外の方が隠れ住んで自由になれない状態だ。だが、父のカエルくんはメスにはどこまでも優しいので縄張りから去るほどではないようだ。

 ハチさんに遠慮したか、アゲハちゃんに遠慮したかは分からない。チョウさんもいつかはひょっこり戻ってくるかもしれない。あれだけカエルくんに頼って見えていたのに、カエルくんから離れたのは意外だ。

猫はいつから自立するか

 アゲハちゃんはかなりの甘えん坊であった。捕まえるまでいつもチョウさんにくっついていた。一方で野良猫らしくいつもお腹を空かせていたので、ごはんでつるのは簡単だった。シジミちゃんとチョウさんはもう少しごはんも警戒していた。毒味役は常にカエルくんである。

 考えてもみなかったが、避妊手術したメス猫は家族から放すと群れで暮らせなくなる率が高くなるんだろうか。セミ猫が他の猫に寛容なのは人間と暮らしているから群れに慣れていたか。カエルくんは相変わらずに見えるが、そう言えば去勢してからセミ猫はカエルくんが窓にきても吠えなくなった。もしかして、私が気づかないだけでカエルくんにだいぶ変化があったのか。

 年に2回も3回も出産を続ける猫はそれはそれで子育てばかりで孤独なんじゃないかと考えていた。しかし、チョウさんを見れば身体は二回の出産でだいぶ疲れたようだが、子育ては子どもたちも夫も手伝ってくれたようだ。4匹も5匹もあるいはそれ以上でも10匹も育てあげたら十分だと考えていた。しかし、子どもがいなくなった後の喪失感はどうだろう。元々子どもを持たない私以上なんじゃないか。群れで暮らさなくなって楽になって出ていったんだろうか。

 或いは血縁と違う地縁が他に出来て別の猫の縄張りに入ったのか。チョウさんが戻ってくるか次第で、孤独の在処がわかるような気がする。戻って来なかったら、やはり家族だけでは埋められないものがあるのだ。或いはそれは子育ての間はどうにかなっても、本質的にその猫や人間の性格に関わっているのかもしれない。

 以前は、セミ猫は多分外に出せばそれなりに暮らすだろうが、縄張り意識が強いので喧嘩で命を落とすだろうと思い込んでいた。しかし、今は仲間を作れる可能性もあるのかもしれないと考えている。セミ猫は他の猫から子猫や仲間を奪える。それは慕われる教師の範囲を超えている。一方で奪えなくても、孤独を楽しめる女王様かもしれない。

 アゲハちゃんをリリースしたら、シジミちゃんよりしばらくセミ猫の方がアゲハちゃんを探して玄関先に出たがっていた。

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