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【連載小説】日本の花嫁Ⅰやがて社長 ⑦片靨(かたえくぼ)

「体面のために一文無しになったら目も当てられないぜ。真面目に貯めた金を真面目だから体面気にして真剣に取り返しに来ないだろうと思われたんなら、そんなの相手の思う壺じゃないか。俺はそれを許せない」

詐欺の被害届を出して吹っ切れたのか、黒田は毎晩里田の仕事終わりを待って足繁く警察署に通った。
田舎の警察署とはいえ、刑事課に配属されたばかりの里田陽太郎は警察署内に持ち込まれた謎のキャリーケース遺体の担当になってとても暇とはいえなかった。しかし、外回りより書類仕事が多いのは暇の証明との発言はどこかのIT実業家だったか。報告書の作成は最低限で済み、勤務時間を過ぎて残業することはほとんどなかった。

自殺やレジャー施設などで見つかった変死体の処理を任されたくらいしか経験がないのに、「この前まで県警にいたし、本庁を経験しているから大丈夫だろ!」と県警とのやり取りまで任されて気疲れする。

さらにその気疲れを倍増させるのは、諸々の状況だ。
まずは、黒田が会議室で毎日通される行き過ぎた配慮。
親が学校の校長で地元の名士の息子だから人目につかないように気遣われているというのは理由の一つだ。
彼が、金を赤肘史奈から取り返せないなら週刊誌に暴露すると脅すので、話はずっと平行線だった。

「いなくなった署員の一人も探し出せないなんて警察の能力を疑うよ」

「お前が疑っているのは、俺の能力なんだろうか」

「お前は、運命共同体だと思ってる。能力というより自分の金を取り戻すことを最優先にすべきじゃないか。結婚詐欺で全財産盗まれたなんで、警察官としてのプライドが傷つくだろう」

「警察官の前にお前のその言葉で今、人間としてのプライドが傷ついた」

「でも、警察の沽券にかかわるからって詐欺の訴えを取り下げさせようとするのは違うだろ?」

「まあ、確かに・・・」

黒田の言うことは正論なので、里田は言葉が見つからない。女が警察署で暴れた件で県警の担当者と会ってまず言われたことは、「訴えを取り下げろ」ということだった。無論、里田と黒田が赤肘に金をだまし取られた方の話だ。警察署の事務員が同署の職員と付き合って金をだまし取ったというのは不祥事で、さらにその友人が先に金をだまし取られていたとなるとなおさらだ。調べれば、もっと被害者がいるかもしれないが、県警では調べる気がないようだ。
黒田に流されて自分も被害届を出した陽太郎であったが、”警察の不祥事”という言葉のインパクトが大きく、次には言われるがまま里田を説得して訴えを取り下げさせようとした。
しかし、それに黙って従う樹ではなかった。県警の不正義に憤り、「週刊誌に情報を売るか、SNSで暴露しますからね」と署長に直談判という名の脅しをしのだ。驚くべき行動力だ。

「公務員として働けば、だまし取られた以上の金が稼げるんだからなんて詭弁だろ。お前なんて、親に洗いざらい話して生活費を借りる羽目になったんだから。そこまでいうなら、警察が貸してやれよ。挙句の果てに、俺たちならすぐ出世できるだろうって。女に騙されて間抜けになれば出世できる世の中はあんまり間抜けだろ」

黒田は最近自暴自棄になっているのか、自棄にならないよう自分を励ますつもりか、よく間抜けという言葉を連発する。それは、つまり里田も間抜けと言われていることになるが、不思議とそれが嫌でなく、毎日のように「警察につけられた傷は警察に治させるんだ」とよくわからない説得を黒田から受けるうちに里田も流される気になっていた。

流されるというのは、無論、黒田にだ。とりあえず、訴えは取り下げないで様子を見ればいい。大体、警察なんて辞めたっていいと考えているぐらいだから、出世など餌にされても何も感じない。出世したければ、地元になど戻って来ない。

「それで、表彰はやっぱり受けないのか」

「受けるわけないだろう。賞状もらったって腹は膨れないんだ。俺は少しでも金を取返したいんだよ」

黒田の金は学生の時にアルバイトで貯めた金であった。4年で1千万円という目標を達成した時の感慨はずっと残っていて、公務員試験に合格した当時の一瞬の喜びを押し流していた。

「大体、犯人を捕まえたってわけでもないし、表彰されたってよくわからないだろう」

先日署内で女が暴れた件で取り押さえた黒田を表彰するという話が出ていた。女は刃物を持っていたが、言動からしてキャリーバッグの中の男性を殺したのだとは思いきれなかった。殺した男の遺体を警察に持ってきて「調べてほしい」というのも妙だ。現場に居合わせた黒田からは、表彰はさておき「捜査っていうのはどうなってるんだよ」と聞かれるのだが、どうなっているのか里田自身もわからない状況だった。女は精神病院送りにされ、県警担当者の接待をしているが、一体何を調べているのかもわからない。署内に缶詰にされた里田が知り合いをづてに聞いたところでは、非常にまじめな女性だということだった。

「わからないもんだよな。みんな真面目な人だったっていう女がさ。金を盗んだり、死体を持って現れたりするんだから」

「まあな。でも、本当にまじめで心配してあげなければならない人もいるんだろう。花田さんはどうなったんだ」

「ああ、まだ戻らないらしい」

「それって、事件だよ。本当にいなくなるような人じゃないらしい」

いつぞや捜索願を出してきた体の悪そうな60台の女性の娘が花田由美と言った。進学高と呼べる高校が一つしかない田舎にはありがちなことだが、彼女も里田たちと同じ高校の出身の先輩だった。周囲の評判は極めて真面目。
学業の成績が目立っていいというよりは、正義感が強いタイプだったようだ。それこそ裏表があるわけでもなく、一匹狼で、社会に出てあまりうまくやっていけず、個人で塾をやろうとしていた矢先に失踪したらしい。
母親の言う通り、いなくなる理由がないのだ。いなくなって1か月経つが、その間に金を引き出した形跡もない。事件だと思って里田も調べているのだが、成人女性の手がかりをつかむのは簡単でなく、長期戦になって見つからないままかもしれないぞと周囲からは言われていた。

「花田さんも剣道部だったらしいんだよな」

「そうなのか。知らなかったが」

「中学生の時な。合わなくて辞めたらしい。運動は苦手だったみたいだ。休み時間はじっと本を読んでいるタイプで、行動範囲は狭かったみたいだな。学生の時から長期休みのたびに、家に帰ってきていたらしい。実家には二日と空けずに電話していたらしいし、そんな人間の金遣いとか交友関係なんてたかが知れてるだろ」

「驚いたな。お前、本当に警察官に向いているよ。俺より刑事みたいだ。どうやって調べたんだ」

「まあ、高校に勤めてるんだから、当時の先生も残っているしな。いなくなったらしいんですけどって言ったら、知り合いづてになんか聞いてきてくれるもんさ。地元にいりゃどっかでつながってるだろ。なんか、気の毒でさ。金はかえって来てほしいけど、あの女よりは花田さんが無事に戻ってきてほしいような気持ちになってる」

知りたい人間の情報をすぐ拾って来られる黒田の社交性の高さは警察官の里田が見習うべき点だ。俺より黒田の方が警察官の向いているなどと愚痴ってみても、すぐには立場を入れ替えられないのだから、里田としても警察官を辞めない間は真面目に仕事に取り組むつもりだ。

「お前、いいやつだな。俺もさ、実は3千万円盗られたけど優先なのは人の命かなとは思うんだ」

剣道の腕前も学業も黒田に勝るものを持っているが、社会に出てからの能力はどうだろうか。少なくとも、この間の騒動で黒田の実戦力は高かった。黒田がいなければ、怪我を負い、女にいらぬ罪を増やすことになっていたことを里田は反省していた。

「花田さんのお母さんがさ。明日、娘さんの前の職場に行ってみるって言ってたんだ。有給とって、俺明日ついて行くつもりなんだよ」

「そうか。じゃあ、俺も行こうかな」

「は?授業をさぼれないだろ、先生が」

「いや、明日明後日は体育祭の振り替えで休みなんだ。今日は本当疲れたよ。前の職場って行ったら福岡だろ?俺も出版社に行こうと思ってたんだ」

「職場のことまで知ってるのか・・・。お前本当に情報通だな。ってそんなことより、まさか本当に金を盗られたことを週刊誌に売るつもりか」

「違うよ。差し入れをもらいに行くんだ。この間、俺がここで捕まえた人、熱心に読んでる雑誌があるらしくてさ。差し入れようかと。その出版社が学校の同僚の先生の親せきの息子さんが勤めてるところでさ」

「雑誌差し入れるために、なんで雑誌社に直接行くんだよ」

「こっちじゃ売ってないらしくて、取り寄せになるんだ。取りに行くのは気分転換だよ。最新号だよ。発売前だ」

「どんな雑誌なんだ」

「知らん。まあ、俺も人助けについて行かせろ。同じ土地に生まれて住んでいる者同士だからな」

黒田に言われて元から断る気のなかった里田はにやりと口の端に笑みを浮かべた。どのみち捜査などではなく、休みの日に里田がやりたくてやることだ。地域の困っている人を助けるというのが、警察官になって里田がもっともやりたかったことではある。交番勤務に憧れていたのに、なんだかんだとすっ飛ばされてしまった。

黒田はその里田に靨が浮かんでいるのを見て、ふっと思い出したことがあったが口には出さなかった。あの日、キャリーバッグの中で死んでいた男の頬に靨のような皺が浮かんでいたのである。里田が思っていたより気が弱いので勇ましいことばかり言っているが、黒田はあの日の暴れた女や死んでいた男の顔を何度も思い出していた。脳裏に焼き付いた映像はなかなか消えてくれず、その恐怖を紛らわすために、こうも警察に入り浸っているのかもしれなかった。

社交性とか細かい能力に違いはあれど、里田と黒田は人間性が似通っていたために同じ女にひっかかったのだろうか。同情を寄せる対象も同じだった。

しかし、里田のその小さな親切は実現しなかった。女は送られた病院から忽然と姿を消してしまったのである。

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