続・本当に怖くない猫の話「三毛猫美容室」
猫と人間の結婚相談所「ハッピー+」が開業して、もう3年が過ぎた。何でも屋が何でも屋の仕事を始めて、4年が過ぎたということだ。
依頼人の父親からこの仕事に誘われて、アルバイト感覚で始めた契約社員であったが、もはやこちらが本業だと意識から逃れられないと途中までは思っていた。
しかしながら、案外と何でも屋の仕事も尽きないものだ。
疫病流行の収束とともに、買い物代行の仕事はほとんどなくなった。
しかし、ペット関連の依頼は毎月やってくる。
「ブラッシングの仕方を教えてほしいということですか。そちらは動物病院やペット用品の販売店などでお聞きになった方がよろしいかと存じますが・・・」
結婚相談所の受付で猫だけの依頼を受けたのはさすがの何でも屋も初めてだ。担当スタッフを名指して来た時に、何か嫌な予感がしていたのである。今朝遅刻しかけて髪があちこち飛び跳ねたままの頭を低くして弱り顔で両手を組んでテーブルに乗せた。こちらが困った顔を見せれば、相手が引いてくれることはここ数年の間で結婚相談所スタッフのスキルとして学んだ。
「いえ、教えていただくというか、ブラッシングしているところをうちの猫に見せてもらえるだけでいいんです。使ってらっしゃるブラシとか教えてもらえたら・・・。うちの、、、この子、長毛なんですけど、ブラッシングを嫌がって困っているんです」
ネイルなどの飾りのない短く爪を摘んだ指先をいじいじともてあそんでいた30歳イラストレーターの女性は足元に置いていた格子模様の布製のケージから大きな猫を取り出した。
「わあ、真っ白できれいな猫ですね。いつぐらいから飼ってらっしゃるんですか」
二人の後ろから声をかけてきたのは、何でも屋の一番最初の依頼人だ。今は同じ結婚相談所のスタッフとして働いていた。衝立で仕切られたとなりの隣のブースで別の客の対応をしていたのが、ちょうど終わって出てきた。
「うーん、見かけるようになったのが1年くらい前?その時は既に大人だったですかね。うちの家の周りをうろちょろしていた頃から世話していたから、ひざに乗ってきたところを捕まえて、洗って・・・家の中で飼うようになったのはまだ3か月くらいでしょうか。うちは、千葉の湘南の方にある古い一軒家なんですよ。誰かが捨てたラガマフィンとかかなと思ったんですけど、獣医さんによれば雑種じゃないかって。ちょうどよくなってきましたけど、捕まえた時は毛が一部抜け落ちてて、皮膚病の治療も必要で大変でした」
大変だったと言いながら、世話が受付のカウンターで上品にお座りした愛猫が自慢で仕方ないようだ。しかし、そのイラストレーターのいう通りおとなしく抱き上げられた割に、彼女が背中を撫でようとするとぺしっと滑らかな猫パンチを繰り出してきた。
「これはまだパンチが優しい方なんです。ブラッシングしようとすると逃げ回るんですよ。それほど攻撃的な性格ではないんですけど、無理やりやるとずっとうなり声で、ブラッシングの秘訣が聞きたいと思ってやってきたんです。あ、もちろん、相談所の会員登録もしますよ。独身ですから。お願いします」
イラストレーターはまくしたてると、思い出したように記入途中だった会員登録の申し込み書に取り組み始めた。
(別にペットの困りごとの依頼なら、会員登録しなくてもここでも何でも屋としても相談に乗るんだが)
申し込み書を受け取って何でも屋は首をひねった。猫のブラッシングが優先の依頼とはいえ、独身なら会員登録はついで以上かもしれない。わざわざ千葉から東京まで遠すぎるなどと余計なお節介をしなくてもいいだろう。
ブラッシングの実演は相談所の猫部屋でなく、同僚の依頼人の家で行うことになった。富豪の娘で都内の外れの一軒家に一人暮らしだ。
猫が一匹二匹増えてスペースに困ることはない。
何でも屋の事務所として住所登録していいと言われたので、今年からその言葉に甘えることになった。何でも屋も埼玉の一軒家に一人暮らししているが、到底客を迎えられる事務所の仕様にはなっていない。
依頼人の家もいささか豪邸すぎるものの、「古い家の維持管理を手伝っている」と説明すればそれほど追及されずに済んだ。また、依頼人の方も一人暮らしの屋敷と思われない方が都合がいい。
「ーこの猫、オッドアイなんですね」
何でも屋は最初気づきもしなかったが、依頼人の家の客間の椅子も机も輸入の年代ものだ。
それを惜しみなく猫たちの寛ぎ場所として与えて、自分は立膝をついたまま依頼人は繁々とイラストレーターの猫を見た。ブラッシング嫌いのオッドアイは、なぜか飼い主より依頼人に素直に触らせた。
雑種にしては見た目優美だ。ゴロゴロとご機嫌に喉を鳴らして依頼人に撫でられながら寝そべっていても可愛らしい。長毛で全身がほぼ白。頭の上にだけ黒色が入っている。
「そうなんですよ。金眼銀目なんです。私も知らなかったんですけど、青い目の方って聴覚障害を患う事があるらしくて。うちの猫も耳が悪いからまだ名前を覚えてくれてないんですよ。オッドアイって虹彩異色症っていうんで、ご興味があればネットで調べてみてください。強い光が目に入ってはダメ、長毛種だからブラッシングを欠かしたらダメ、ましてや外に出して飼うなんてとんでもないって、毛が抜けて可哀想だったから病院に連れて行ったら叱られるみたいに説明を獣医さんから滔々と受けました。あー、これは、もう外に戻せないなと悟りましたね」
イラストレーターによるとその長毛猫はメスで、いつのまにか庭で子猫を産んで育てていたそうだ。飼い猫じゃないかと見ていたが、子猫を産んだら庭から離れる様子もない。かといって子猫三匹と飼うのもなと迷っているうちに、いつのまにか子猫は巣立って行って姿が見えなくなったそうだ。そのタイミングで距離を縮め、とうとう触る事に成功したらしい。
「さあ、どうですか。ブラッシング参考になるでしょうか。うちの三毛猫は新聞敷いたらこの通り飛び込んで来て寝っ転がるので、呼ぶ手間がかからないんですよ」
「なるほど。新聞いただいてもいいですか。うちの白いのも寝るかしら」
「どうぞ。ブラシも新品ですから、使ってみてください」
依頼人が新聞を差し出すと長毛猫はひったくるようにして新聞に飛びつき、なぜか三毛猫をブラッシングしている何でも屋にお腹を向けて寝そべった。
導かれるように三毛猫をブラッシングしていたブラシを差し出したら、長毛猫が猫パンチで叩き落として来たので何でも屋はなんとなくほっとした。見知らぬ猫をブラッシングする自信はない。
「あ、できた、できた!いや、やっぱり、ダメでした。1分ともちません」
イラストレーターは一瞬だけ長毛猫がブラッシングをさせてくれたので、歓声をあげた。しかし、それはひと撫で、ふた撫で、3回撫でさせてくれただけでブラッシングとも呼べないものだった。
とはいえ、ブラシで撫でられる感触を覚えてくれたのは幸いだ。
イラストレーターは初回であっさりブラッシングを出来たら、「なんだ、本当はできるんじゃないか」とバツが悪い思いをしたかもしれない。ブラシを変えてちょっと撫でさせてくれただけで、良かったのだ。
それと比べて、いつまでもブラッシングを所望する三毛猫のセミ猫様。
セミ猫が気持ちよさそうにしているから、長毛猫のブラシに対する警戒心が薄れたのだとすれば、三毛猫様のご利益もなかなか侮れないものがある。
「うん。でも、少しはブラシをかけさせてくれたじゃないですか」
「そうですね。希望が見えてきたかもしれません。これで、この子の子供たちが見つかっても、ブラシをかけてあげられるかも。その前に3匹養う甲斐性が私にあるかなんですけどね」
ペットを飼うとその面倒を一人でみるのはやはり不安だ。配偶者が得られるところまでいかなくても、猫飼いの知り合いができないかと思い、彼女は「ハッピー+」の門を叩いたのだという。
イラストレーターの彼女にとって初めて飼う猫だった。
長毛で気品漂うので、毛が生えそろえばセレブ向きの相談所に連れて行ってもかまわないのではないかと思ったのだそうだ。
「毛並みがよくなったら、出かけやすくなりますよね。なぜかキャリーではおとなしい猫なんですよ。猫好きさんとかが集まるカフェに行ってみたいな」
家に籠って仕事をしているので、猫を飼って孤独が癒され、夢が広がっているようだ。ここで「ペットを飼うとますます出かけなくなりますよ」というのは無粋なので、何でも屋も口は出さなかった。何でも屋など、家に猫が来て仕事が増えたのだ。
「でも、ネットで調べてみたら、この子がラガマフィン系だとしてもそんなに高貴な猫でもないらしいんですよ。ラガマフィンはアメリカ生まれの猫で。名の由来は悪趣味で「ボロを着た子ども」なんだとか。悪趣味な冗談で後から品種名を変更出来なかったらしんです。「いたずらっ子」という意味が一般的ではあるらしいんですけど。でも、性格を調べても、全然いたずらっ子じゃなくて、おとなしい猫ですからね」
「ボロを着ているようには見えませんね。ふさふさのしっぽが可愛いじゃないですか」
「そうですよね。でも、可愛いからなあ。どこかの飼い猫じゃないかって、ネットにものせて、近所のアパートの管理人さんとかにも聞いて回ったんですけどね。うちの子でずっといてくれるかどうか」
依頼人の言葉に同意したものの、イラストレーターの女性は表情を曇らせた。
ラガマフィンの白にある疑惑。彼女が拾ったのはほとんど真っ白のオッドアイのラガマフィンに似た猫だ。その猫がもとは飼い猫でなかったとして、その親猫はやはりラガマフィンなどの長毛血統で誰かがわざと避妊せずに繁殖させているのではないか。
ブリーダー登録をせず繁殖させ、白の子猫だけ拾ってオッドアイを狙っているのではないか。
白猫は長く生きられないという。飼い猫となればそれほどでもないが、毛玉症などにかかりやすい長毛はやはり外に向かないのだ。
子猫は最初3匹だった。そのうち2匹に減って、巣立った。いなくなった1匹は真っ白な子猫だったのだ。カラスなど、猛禽に食べられたのかもしれない。白は自然界では目立つ色だ。
でも、人間が白だけ拾っていったとしたら?それは善意だろうか。
どこかで生きているかもしれないと思うことで、かえって気持ちが暗くなってしまう。それはやはり、彼女に子猫たちを助けてあげられなかったという贖罪の気持ちが強くあるからだろうか。
他の二匹のブルータビーホワイト。クリーム色に薄い灰縞の猫たちだった。
母猫は頭に黒が入ったシルバータビー。いや、ほぼホワイトだ。
金眼銀目。
青目側に聴覚異常。
イラストレーターに話を聞きながら、スマホでラガマフィンについて調べていると何でも屋も暗い気持ちになっていった。
可愛い猫の写真なのに、背負っている背景が明るくない。
「猫も人間も見た目じゃないんですけどね。私はイラストレーターなんて仕事をしてますけど、猫を飼ったから猫のイラストを描くなんて安直なことはしたくないんですよ。私は主に植物のイラストを描いてます」
そう言って彼女が見せてくれたイラストと仕事部屋の写真。
仕事部屋にも猫が映っているほかの部屋の写真にも植物は一つもなかった。
猫を飼い始めたから撤去したのだろうか。
そうだとしても、身近にない植物より目の前にる猫のイラストの方が簡単ではないのか。
絵心のない何でも屋にはその辺の画家の信条は分からない。
イラストレーターは、何でも屋が使っている猫ブラシのメーカーをメモしてコンビニで新聞を買うようにすると言って、帰っていった。
キャリーの中には、やはり何でも屋おすすめの100均のボールが1個入っている。何でも屋が彼女を千葉の家まで車で送ることになった。依頼人の家は駅から距離があり、彼女が帰る時は既にバスが終わっていた。
ぽつぽつと猫について話しながら、会話が途切れがちの車内でリンリンとたまに長毛猫がボールに戯れて中の鈴の音がした。
イラストレーターは、相談所で縁があって、1年後に結婚した。
新婚の写真には長毛の猫の他にもっと毛の短いブルータビーホワイトの青眼の猫の写真が映っていたが、それがその長毛猫の子どもかは分からない。
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