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「猫様のクチバシ」第四回 人生が山にあるということ

田舎暮らしには、まずどういったイメージを描かれるでしょうか。
私にとって田舎とは容易に出ていけない、外界と隔絶された場所です。
山間地に育ったので、山を抜けなければ隣県にはいけません。
四方を山に囲まれて地平線を臨むことはできません。
山の外の世界は見通しがよいのに、なぜ山に帰って来たのか、私は自分で分かりません。
なぜ人は山で暮らすのか。
改めて考えさせられるいい映画でした。

#映画感想文
#山の郵便配達

【概要】
80年代初頭の中国・湖南省西部の山間地帯。長年、責任と誇りを胸に郵便配達をしてきた男にも引退の時が近づいていた。ある日、男はその仕事を息子に引き継がせるため、息子とともに自らの最後の仕事へと出発する。それは一度の配達に2泊3日を要する過酷な道のり。重い郵便袋を背に、愛犬を連れ、険しい山道を辿り、いくつもの村を訪ねる。

映画の冒頭の風景は1980年代というより、いつか日本の映画で見た昭和初期くらい、1930年頃の風景に見えた。
家屋はなぜかところどころ焼けこげ、服は川で一生懸命洗濯した人間の手の痕がわかるみたいに汚れてはいないが、のびきって村人のシャツはどれも色褪せていた。

しかし、山の風景は日本と変わらず見慣れたものだった。前開きの布ボタンは中国らしい装束ではあるが、さっぱりした短髪の男性たちは日本の男性と変わりがない。
郵便配達の親子で歩く前は旅の道連れは父にとって"次男坊"という愛犬一匹だったのだろう。
その次男坊は郵便配達の道をよく心得ていた。
しかし、息子が呼んでも出発しようとはしない。
息子は諦めて一人で出発しようとするが、心配になった父はやむなく息子の郵便配達に次男坊と一緒について行くことにした。

大きな編笠に布製のくたびれたバックパック。
父は息子との旅路で、これまでの郵便配達の道程を思い出す。そこで妻や多くの人たちに出会った。

息子にとっては、父は郵便配達で常に家にいない人だった。父の新たな面に戸惑いつつも新鮮で、教えられた事は生真面目に頷いた。
偶に旅の最中に父の言葉に納得いかなかったり、話すこともなく父に話しかけられてもカセットテープで音楽を聴いて知らないふりをしたりした。

「これだけは、守れ。愚痴は溢すな」

父は初めて郵便配達する息子にルールを教えこもうとする。父は息子に継がせるつもりはなかった。大事な一人息子である。母も都会に出ても良いし、今は他に仕事があると諭した。
しかし、息子は過酷な山の郵便配達の道を選んだ。公務員だからいいというのだが、それだけで選んだわけではないだろう。

郵便配達の道は車が通る道とは別の道だ。
人家のないような道を歩く。
ヘリの時代に歩いて届ける。
バスはあてにならず、待つ時間がもったいないからだ。

川を渡る時は、次男坊の後をついて行く。
次男坊はシェパード犬に見えた。

私は80年代生まれである。
近所にシェパードを飼っている人がいて、川で泳がせている姿をよく見た。私が子どもの頃は日本でもシェパードは役人の犬だった。
シェパードを見ると警察犬と呼んでいた。
だから、小学生になって秋田犬を飼うようになってからは偶に父と川で秋田犬を泳がせていた。中型犬くらい小柄な秋田犬のメスで、10歳で癌になって死ぬまでは非常に頑健で忠実で賢く、我が家にはもったいないほど可愛い犬だった。警察犬より忠犬だと思っていたくらいだ。

しかし、映画のシェパードはさすがである。
まるで猫のように泥濘んだ崖を上って行った。
崖の上には家の仕事のために中学を中退した少年がいた。
誠実で賢く、通信教育で大学の勉強をしており、新聞記者になって世界中を飛び回りたいという夢を持っていた。
父にとってはもう最後の郵便配達。
過酷な山の上に住む少年とは、郵便配達を辞めたらもう会う事はない。

山村に住むと、付き合いが深いようでいて断然している事が分かる。山ばかりだと隣の村とも山で隔たれている。同じ山の麓の住人の噂はすぐに出回るが、山奥で都会の怪しい事業者が何かしていてもそれを何十年と知らずに生きられる。

私は学生の頃数回、映画の中の青年のように郵便配達袋にそっくりなバッグパックを背負って山を歩いた事がある。やはり、車道ではなく、藪を分け入って進んだ。
山の近くに住むと山に憧れは薄くなるが、やはり少し険しい山を登ってみたいという願望は持つものだ。20キロから40キロの荷物も、食事をすればだんだんと軽くなる。重いのはほとんど水のせいだった。
山の郵便配達は村に寄って水をもらうから、ぶら下げた水筒で済むようだった。

「山に住む人たちには山以外何もない」
「山に暮らせば困難は考えて乗り越える」

どこか噛み合わない親子の会話。

郵便配達をすると、いろんな村の事情を知る。
事を荒立てたくないという息子。役人としてそれではいけない、平等に対応しろという父。

穏やかな親子である。
私が親と二人でいたら、1時間に1回は口論になる。

この仕事はおそらくもう中国ではなくなってしまっただろうか。
日本では駅で弁当販売の仕事があり、一日中足を棒にして駅のホームに佇んでいる人がいる。
人々は弁当を買ったり買わなかったりして、行き過ぎるだけ。
それもまた、過酷で孤独な仕事である。

イギリスには孤独担当大臣というものがあるそうだ。さもありなんと思う。

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