【短編】続・本当に怖くない猫の話「ケロケロ」
*この話には一部暴力的な表現が含まれます。素人小説ですので、そういったものが苦手な方は決して読まれないでください。深い知識などあって、書いているわけではありません。
昼の暑さが残りつつも、頭上の夏の月が涼やかだ。暮れきらない空の上に広がる薄い雲が広がって涼し気な月を紗に隠している。
8月16日。まだパリオリンピックの興奮が冷めやらない。客を待つ間も、Tシャツジーパンの軽装で全身に汗をにじませながら、オリンピックの名シーンを回想していた。それが何かの暗示だとは思わなかった。
客たちは時間ぴったりに来た。待ち合わせの公園は何でも屋がはじめて依頼を受けた場所である。そこで今度は団体客とはじめて会うというのが感慨深い。普段、何でも屋は法人など組織からの依頼は受けない。今回はオフ会仲間だというから興味が出た。
「すみません。ケロケロとその仲間たちです。猫の帽子の何でも屋さんですか」
何でも屋は待ち合わせの目印に、ここ数か月防止にピンバッジをつけるようにしていた。今日のピンバッジは何でも屋が20代の頃にアニメになった漫画の猫のイラストが描かれたものだ。
「そうですね。こんばんは」
挨拶をしながら、何でも屋は注意深く目の前の人物とその後ろの人たちを見た。想像していたよりも目の前の客たちは若かった。公園で会おうというくらいだから、それほどのお金のない人たちなのかもしれない。最初の依頼で公園にお金持ちの同世代の30代女性が現れたのが普通ではなかったのだ。
「じゃあ、あっちの方でいいですか。椅子があるんで」
声をかけてきた男性は見れば小脇にアウトドア用の組み立て椅子を抱えていた。その後ろにいるのはみな男性なのか、黒ずくめのジャージ姿なので性別もよく分からない。ダンス愛好サークルと聞いて想像していたより、みな小柄だった。
「みなさん、こんばんは。私は4年前に失業してから何でも屋を生業にしている者です。特に猫に関する依頼を多く受けた経験があります。普段は結婚相談所の職員として働いております。今回はまず私にみなさんの話を聞いてほしいということでよろしかったでしょうか」
本日のご用件は?と聞いて、沈黙が3分続いたら、こちらから自己紹介をするというルールを何でも屋は自分の中に作った。3分は長いが、1分だとこっちが一方的に話して、要件を聞けずじまいということもあるからだ。蒸し暑さに負けず、待つことが肝心だった。
「ええと、わたしたちはですね。猫を飼うか迷っておりまして」
ダンスグループのリーダーはやけに通る高めの声で話したが、挙動は不審だった。みな一様に黒い服を着ているせいか、妙は圧迫感がある。
「猫を飼う?全員、猫の引き取りを希望されているということですか。あいにくと猫の保護活動のようなことはやってないんですが、知り合いの団体様にですね。猫の引き取り手募集をしているところがありますよ」
「いえ、あの猫は数匹でいいんです。なんなら一匹でも、みんなで助け合って飼うんで。シェアハウスしてるメンバーがいるんで、そこの建物にレッスン場もあるんで飼えるかなって?」
通りのいい声で話し方は流ちょうなのに、貧乏ゆすりする足元が落ち着かない。早口でメモも取れないが、取る必要もない。この人数で猫の引き取りがあったら、どれだけの猫が家猫になれるだろうかと薔薇色の妄想が一瞬で砕かれて、何でも屋は落ち着こうと唾を飲み込んだ。早まってはいけない。猫を引き取りたくて、夜に直接呼び出してくる客がどこにいる。念のため、交番のすぐ目の前の公園を指定したが、まるで何でも屋の方が彼らを詰問しているようにも傍からは見えているかもしれない。何でも屋は大勢の若者を前に説教できるほど肝は据わっていない。
「なるほど。保護猫施設とか譲渡会とか見学されてみますか?」
「いや、そういうことはもうしているんですよ。独り身はなかなか難しいですね。みんなで面倒見るって言っても。あと、学生はだめとか。いや、学生じゃない人間がほとんどなんですけどね」
「なるほど。一人暮らしでもきちんと責任を持って飼われるのであれば、ご紹介できる団体様があるかもしれません。誰がどんな猫を飼いたいか、お決まりですか?」
ざっとみても一〇数人はいる。譲渡会はともかくいっぺんに見学させてもらえる施設はないだろうと思われた。ネットでは引き取り手を募集している猫は調べてみたのだろうから。
「いや、あの・・・」
リーダーが口ごもった。すると、しびれを切らしたのか後ろから声が飛んできた。
「そういうことじゃないんです。猫を飼うか、死ぬかなんです」
またもや闇夜によく通る声であった。よく通る声だけにぎょっとした。何でも屋はとっさに周りが気になったのだ。職業柄悩み相談を受けた経験はここ数年で数あるが、いずれも建物の中のプライベートな空間の中のことであった。見える範囲に人気はないが、深夜でも都内の公園に人が他にいないわけない。
声の主は簡易椅子を引きずってきて、リーダーの隣に座った。
「私たちは大学や会社のサークルで集まっているんじゃないんです。ダンスで傷をなめあっているんですよ。私たちがなぜケロケロというオフ会名なのか分かりますか」
髪が背を覆うほど長く唇に異様に青いリップを引いて白い肌がますます白く見えた。みな似たような黒い服装に見えていたが、目の前にするとフリフリの黒のワンピースにひも付きの小さなハットを白髪をかぶっている独特のスタイルはもしかしたら、漫画の登場人物の仮装なのではないかと気づく。
「いや、分かりませんね。カエルを愛でるためですか?」
絶対違うだろうと予想しながら、何でも屋は思いつくままに答えた。
「一方では、そうかもしれません。小林一茶の”やせ蛙負けるな一茶ここにあり”といった心境の人間の集まりなんです」
真っ青な唇の人はそう言いながら、おもむろにワンピースの上に羽織っていた黒いジャケットの袖をめくって見せた。
「私たちは、”ケロイドの痕”を持つ者たちなんです。みなこうした痕を持っています。そして、その傷痕から逃れられないで生きているんです」
ジーッと公園の電灯に飛び込んで焼かれる虫の音がやけに大きく聞こえた。それから、真っ青な唇の人とリーダーと他の人がそれぞれ3分というしばりで自分の過去を語り始めた。いくら若くてもこれまでの人生分の恨みつらみを時計のタイマーで計って、話を切り上げるという光景はあまりにシュールであった。何でも屋は何度か「もう少しお話しくださっても結構ですよ」と提案したが、いずれも「次の方の話がありますから」と切り上げてしまった。彼らはとても遠慮深かった。その彼らの話を何でも屋は他人事としてちぎれちぎれに話半分で聞いていた。あまりにまともに受け取っては頭痛がひどくなりそうだったからだ。あるいは、胸が痛くなりそうだった。
額に汗がじっとりと滲む。
夏の夜。白い月ばかり涼しげだ。
それ以前から、それ以後を思う。
自分が自分で自覚したのはいつか。
暴力を受けた時は転機にならない。
彼らの回想の多くが中学生時代に戻っていった。
部活なんて辞めていいよと言いたい気持ちを抑えた。
口を挟むと悲惨な話が延々と続くように思われたからだ。
もしかしたら、彼らの話を遮ってしまったのは、何でも屋の沈黙だったかもしれない。
部活に強制入部の馬鹿な伝統。
飲み会と会議の席で求められる無理なプレゼン(出し物)。
先輩に苦い思い出をもつひとが多くいた。
今その先輩たちはどうやって、過ごしているだろうか。
相変わらず、靴に画鋲入れたり陰湿な嫌がらせをしているのか。
鉛筆で背中を刺したりしているのか。
お湯の入った水筒を頭にぶっかけたりするのか。
タバコを手のひらや足の裏に押し付けたりしているのか。
もうその先輩たちも法律でタバコ吸える年ですね。
中学生は吸っちゃダメだった。
中学生以前の彼らは無邪気で、その後は無慈悲な過去に囚われた大人。
「スマホの指紋認証を先輩のやつに変えられて、そのスマホを証拠にならないかと残しました」と自嘲気味に言ったモヒカン。今は縁の切れた先輩のそれを残しても何の益もない。
犯罪だろ、あんなん?
面と向かって、今さら過去の先輩に問いかける勇気はない。
彼らはなぜ当時それほど我慢したのか何でも屋にはわからなかった。
惨いケロイドの痕。
背中の傷は数知れず、胸の傷はもっと深い。それ以前から、それ以後。
高校生時代に戻っていく人もいた。
スポーツ推薦進学は最低の制度のようだ。
学校なんて辞めていいと言いたい。
部活を辞めたら強制退学のお馬鹿な伝統。
彼らは言う。
先輩。
今の得物はなんですか?
バットですか、木刀ですか。
膝の靭帯がダメになって、ボルトの金属が冷たく疼く。
喧嘩の有段者になれば人生は安牌らしい。
日本の学校は不良の溜まり場か?
職員室は彼らにとって機能していなかった。
ガラの悪さが日本の伝統なのだろうか?
ノリは暴力装置、先輩のいう伝統は圧力だ。
抑圧された学生時代から、抑圧された社会人生活へ。
あるいは家庭にも居場所がない。
転職の数は不名誉だが、一つの会社にしかない轍も誇らしくない。
社会に出ても自分も周りも碌なもんじゃなかった。
高学歴も体育会計。ちょろまかしが立派。
おちょくるデスク。会議は茶番。
会社の悪いところばかり目について、良いところを伸ばす方法が見つからない。
短所の数だけ否定されるあるはずの調書。
海外動静は常に言い訳。
流行りなんてどうでもいいだろって叫びたい。なぜ会社の宣伝に踊ってみたが必要なんだ。自分が踊れよ。巻き込むな。
茶番は時間の無駄だ。
まじめに仕事してくれよ。
出来ない自分が周囲とかみ合わずに苛立ってますます立場をなくしていく。
どうして自分はこうなんだ。
どうして自分はこうなった。
そうして昔の恨みに繋がっていく。
中には自傷行為に走った人もいた。いじめと虐待ばかりが原因でない。平々凡々な自分が時に地を這って、街並みを仰ぎ見ていると死にたいという衝動がふいに湧き起こる。
今ストーカーに追われているとか、今いじめられている、今引きこもっているなどの緊急性のある相談でないので解決の手段がない。どのみち、”ただの”何でも屋にそんなことは解決できるはずもないので、具体的な依頼をされても警察や役所に相談してみてくださいと言うだけだ。
しかし、どこに相談していいか分からないような心のなかに抱える抽象的な困難についても何と言って慰めていいか分からない。
「私が整形にハマったきっかけは顔が気に入らないって同級生にある日熱湯をかけられたことにあるんですよ。それで、何度も手術して。で、前よりきれいな顔になって。元の自分には戻れないのに、ふと『顔が気に入らない』って言われたことが甦るんです。そうすると、眠れなくなって、整形の相談の予約を翌日にはいれないと気が済まなくなるんです。そんな私が見た目なんてどうでもいいから、傷ついたかわいそうな猫を飼って幸せにしたいと思うなんて矛盾してませんか」
そんな話を聞かされて、何でも屋に何が言えただろうか。唯一の既婚者で、子供はもう小学生だという。その教育資金も整形に費やしてしまいそうな衝動が起こり自責の念にさいなまれる。きっとそんな衝動や考えは間違っていると指摘してほしいのだろうと思ったが、何でも屋にはそんなことは到底言えやしなかった。まるで経典をはじめて聞かされる信心を持ち合わせない子供のように下ばかり向かないようにするので精一杯だった。話している相手が下を向いてばかりいないのに、頭を下げてばかりいては話を拒絶することになってしまう。
それにしても聞けば聞くほど、学校というのは最低な場所である。会社でも悲惨な目に遭った人もいるが、その人たちも総じて子供の頃に学校で何かしらの嫌な目に遭っていた。家庭環境に恵まれなかった人についてはもはや居たたまれなくて何でも屋は頭の中で別のことを考えてなるべく聞き流していた。
「我々が過ごしてきた空間を考えた時に誰かしらの庭で泳がせていただけだったんですよね。彼らのレペゼンを押し付けて、迫害を受けてまな板の鯉になっていました。個性を伸ばすはずの学校や会社でそういった不良を放置しながら、同じ畑で同じ規格のニンジンを世に出荷しようとするんです。そして、大きくなったニンジンを喜ばず、規格外は排除されてしまう。その規格外は不良とは限らないわけです。まさに型にはめて湿度や温度管理されながら放置されている状態ですよね、日本の組織の現場って」
公園には屋根のついた東屋があって木製の丸テーブルを車座に囲んで何でも屋を中心にリーダーの男はそうやって話を締めくくろうとした。意味の取れない知らない単語が出てきても、何でも屋は聞き返さずに聞き流した。すると、そこで話が終わると思えば、真っ青な唇の人が再び口を開いた。
「私たちは傷を絆にして集まり、みなで何かできることを探しました。踊ることを選んだのは、言葉よりもずっと雄弁にそれでいながらしっかり傷を隠せると思ったからです。傷は消せないし、乗り越えられない。隠すしかない。そういう人間の集まりなんです」
ただし、これまでは実際に体に残った傷を見せ合って、それを隠して踊るだけで詳細を語ることはしてこなかったらしい。今日がお互いの来し方を語る契機になるのだろうか。それは分からないが、何でも屋はこれまでかいた汗が服と一緒に肌に触れるように感じはじめていた。
「この中には就職が決まっている学生も結婚を控えた人もいます。一方で私はニートです。しかし、ニートの私に相談事を持ち込んでくる人もいます。どんな立場の人もこれからどうなるか分かりません。元来、気が弱いのです。あるいは社会性がないのです。平等ばかりが求められる世の中で、我々の特性は悪目立ちでしかありません。強いこぶしを持たないようにして、極力貧相にひしゃげたカエルになって生きなければなりません。そうした将来性の見込めない、容易にどん底に落ちるかもしれない我々が猫など飼っていいものでしょうか」
話が難しいが、とりあえず再びリーダーが話に落ちをつけようとしてくれたので、何でも屋はようやく口を開いた。
「結婚相談所でもそうですが、申し込みや依頼があれば私は受けるだけです。お客様の覚悟を確認するようなことはありません。結婚を思いとどまる理由があるのであれば、そうなさればいいでしょうし、猫を飼うのを躊躇うのであれば、そうした方がいいでしょうとしか言えません。アドバイスするよりも要望に応えることを模索するんです」
過去を聞いて、「あなたに結婚は無理ですよ」とか、「猫を飼うのは無理ですよ」なんて断ったことは少なくとも何でも屋にはない。だからといって、借金があっても受け入れてくれるパートナーを探してくれとか、他害癖を受け入れてくれる相手を探しているとか言われても、要望には応えられない。「ご自分で打ち明けてみてください」と言うしかない。そして、他の要望を聞いてそれに合わせて見繕うだけだ。もちろん、実際に両者のような相談をされた経験は皆無である。
「そうですか。とりあえず、お子さんのいるご家庭とシェアハウス向きの猫がいるかご相談することは可能ですか」
リーダーの口調は話すほどに落ち着いていた。
「聞いてみますね。それでは、お話は以上になりますか」
相談の時間は2時間までと決めていた。まだ2時間は経っていないが、みなくたびれた様子だった。会話が途切れるたびにジジジと虫が電灯に近づいては焼かれる音が聞こえていた。それがたびたび話に聞き入ろうとする何でも屋の集中力を削いだ。
「そうですね。我々も帰らないと」
リーダーは安堵した様子を態度に滲ませた。いかにも統制が取れた団体のようにみな立ち上がった。椅子を持ってきたのは車で来た人たちだったようだ。
何でも屋はふと別れる際に、夜に彼らのオフ会に参加させられたのではないかと思いついた。それを口にせずに自分も駐車場に置いていた車に乗り込むと今度は公園であったことがまるで夢だったかのように思われた。真夏の夜の夢だ。夜遅くに黒ずくめの若者たちが自分に身の上相談を持ち掛けてくるなんていかにも現実味がない。しかし、見せられたケロイドの痕は生々しく脳裏に浮かんでくる。
何でも屋は心のなかで決して口にしてはいけない暴言を吐いた。まったく世の中というのは不幸にできている。理不尽だ。その理不尽を訴えるのもつらすぎる。何でも屋は車を走らせながらふつふつと怒りがわいてきた。早く帰って飼っている猫たちに会いたかった。
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