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珈琲と屋上養蜂のコラボミステリー


都市養蜂は現実世界でブーム 


都会のビルの屋上で蜂を育てる養蜂。都市養蜂というそうだ。
畑や田んぼの多い田舎と違って農薬の影響を受けないことから好まれるようになった。
日本でも百貨店のビルの屋上であちこち行われていて、東京、大阪、福岡では都市養蜂の蜂蜜として名前をつけて売られているようだ。
しかし、この都市養蜂。日本が発祥ではなさそうだ。
どこが発祥かは分からなかったが、欧米で人気で、特にNYやパリで盛ん。
環境保護活動の一環として、都市養蜂やその他の都市農法は好まれているらしい
パリでは特にルーブル美術館やオペラ座の屋上で養蜂されるほどらしいから、芸術を鑑賞する場所の見えない屋根の上でそんなことが行われているというだけで物語が始まりそうだ。
美術館に忍び込んだ怪盗が屋上で蜂の巣を蹴飛ばして蜂に刺されてほうほうの体で逃げ出して、その先でスポットを浴びて御用になったりするんじゃないか。

魅力的な養蜂とカフェとミステリーの舞台

しかし、この本の舞台はNY。
そんな古典的な話ではなく、近代的な街で行われている養蜂場で実際に起こった事故をもとにミステリーが描かれている。謎解きをするのはカフェの経営者(マネージャー)のクレア。
協力者は共同経営者(バイヤー)である彼女の元夫マテオ。さらに、刑事である現在の恋人マイク。
屋上養蜂経営者の愛称はビー(ベアトリス)というのだから出来すぎている。ビーはクレアたちにはとても親切だが、その地位に上り詰めるまでにはちょっとした因縁があった。
クレアのカフェの欠かせないスパイスである良質な蜂蜜を提供してくれるビー。けれども都市養蜂の女王がその蜂蜜を作りだすために犠牲になっているものがあるとしたら?
コーヒーの新しいフレーバーをやっと開発したところで、蜂たちの襲撃で店は大混乱。ビーのビルに行ってみると、蜂の巣は台無しになってビーが床に倒れていた。
ビーから蜂たちの世話を託されたクレア。
でも気がかりなのは、蜂と入院したビーの容態ばかりでなく、蜂たちの巣がなぜ荒らされたのか、その真相だ。
事件のことが気にかかっても、カフェの経営は疎かにできない。
コーヒーハウスでその日の第一号のお客様を迎えることがマネージャーとしてのクレアの務め。
髪をポニーテールにしばって、ベーカリーの配送を受け取って、その日のエスプレッソの調整をし、ブレックファストブレンドをいれるのだ。
朝のラッシュに対応した後は、オフィスの事務作業に専念し、生豆の焙煎をしたりする。そのすべてを完璧にこなさなければ気が済まないのがクレアだった。

ネタバレしつつコーヒーを飲みながらの感想を

カフェインフリーのオーガニックコーヒー。本の中のカスタネダ・コーヒーが本当に実在するのか、つい検索をしてみてしまった。
すると「ドンファンの教え」カルロス・カスタネダさんの本をカフェで読んだとのネットのブログがいくつか出てきた。
コーヒーを飲みながら、読書をする人が多いようだとそのブログを読み始めると、またぞろ自分の手元の本が読み進まない。

それにしても欧米の健康志向について、様々な情報が散りばめられたミステリーである。
日本の古典的な探偵ドラマのように、現場に残された手がかりやトリックを見破っていくものではなく、被害者の人間関係を洗い出しながら、登場人物の仮説の語りによって真実に近づいていく。登場人物は歩きまわっているが、安楽椅子探偵に近いものを感じる。実際に会わなくても、電話やメールで聞き出せることが多いからだ。
しかし実際に歩きまわることによって、食にまつわるいろいろなエピソードが出てくるのが魅力である。蜂蜜の種類や健康食品。

最近のベジタリアンは、肉だけでなく魚も、それどころか牛乳も卵も食べないという人が多いと聞く。その事は以前から知っていたが、アメリカでオーガニックな代替食開発がそれほど進んでいるというのは本で読んでみると驚きの連続である。

植物性タンパク質を原料とする魚を使わない切り身。小麦粉を使わないチョコレートブラウニー。アボカドを原料としたチョコレートファッジ・フロスティングをトッピングしたスイーツ。ベジタリアンの市場は大きく、そこまで開発する価値があるのだ。そして、極めつけは架空のコーヒーだ。

小説に登場したのはベジタリアンのための食品だけでなかった。もっと緩やかな健康志向のロカボの人たちのためのコーヒー。カフェインフリーで廃坑になった炭鉱を再利用して、食用キノコだけを使って独自の工程でアメリカ国内で作られているのが、カスタナネダ・コーヒーだった。そんな理想のコーヒーが美味しく出来上がるのであれば、ぜひ飲んでみたいと思ってしまった。
食物と同じだけ、いやもっと1日のうちに飲み物に費やす時間は長い。
その飲み物が健康的で環境破壊をしなくてさらに美味しければ、人生と言うのは充実するだろう。

だからといって、この物語の主人公を珈琲店のマネージャー、クレアと同様、私の人生からコーヒーを締め出す事はまだまだ難しい。

コーヒーに都市農法の安全な美味しいコーヒーが欠かせないとしても、コーヒー自体がとても安全で環境に優しいということにはならない。それでも、少し位のリスクを犯してもカフェインを摂取するという人生の魅力にはあらがえないものだ。

珈琲店の経営者たちはこの物語の中でその事実と戦っている。良質な蜂蜜が彼らの経営する珈琲店に欠かせないならば、その蜂蜜を作る人を脅かす事件の解明も欠かすことができないのだ。
人生にはスリルが必要だ。そのスリルはコーヒーに含まれるカフェインのような適量を超えると中毒性を起こすような無自覚な願望である。
ーとは書かれていないが、喫茶店のマネージャーに事件が似合うのはミステリーとコーヒーにそういう因果関係があるからなのではないか。

クレアの大事な友人である都市養蜂の女王ビー(ベアトリス)・ヘスティングを襲い、彼女の大事な蜂を奪ったのが誰なのか。喫茶店のマネージャーのクレアは真相を突き止めずにはいられない。彼女は何より大事なビーの蜂たちの保護を任されたのだ。
季節は折りしも秋。蜂が元気に活動する時期ではなく、自分たちの安全な巣が脅かされ、寒さに弱い蜂たちは、暖を求めて、クレアの働く喫茶店の焙煎室の排煙筒に逃げ込んできた。
店の中に蜂が大挙してきて、店員たちは大パニック。その蜂の出所の見当はすぐに着いたものの、予期せぬ事故というより、蜂の飼い主であるビーが何者かに襲われて、病院で意識不明の状態に陥るなどとは想像もしていなかった。
ビーが自殺を図ったと決めつける警察の対応もクレアは許せなかった。
ビーの意識がすぐに戻れば真実を明かされたかもしれないが、被害者の意識が戻るまで黙って待っていられないのが、ミステリーの主人公というものだ。

主人公のクレアは、離婚しているが新しい警部補のパートナーがいて、立派に娘を育てあげており、前の旦那とも同じ珈琲店の経営者として良好な関係を築いている。努力家で前向きで、好感の持てる人物だ。困難に対して目を背けず、恐るべきパワーで向かっていく。恋人の警部補との関係がうまくいかなくなっても、相手に避けられても、自分から会いに行って、彼を理解することをあきらめないのだ。

そのクレアの前進する姿に、読者もパワーをもらえる。たいていのミステリーが持つ暗さというのがこの小説にはない
主人公のクレアが十分に大人であるにもかかわらず、過去に囚われていないからだろう。好奇心いっぱいで、事件を解明する間も、その途中で知っていく事実にときめいてる姿が目に浮かぶようだ。
蜂蜜の味にそれほど違いがあるということもこの小説を読んで驚かされた。そして、クレアがベジタリアン向けの食品やロカボ(緩やかな糖質制限)の食品も自らマネージャーを務める珈琲店に導入できないかあれこれ考えたりしているのが読んでいて楽しい。

都市農法の理想とたちはだかる壁。「街は農園ではない、ミスター・ワイアット。都会で農作物を栽培するのにかかる費用は他所から運ぶ輸送費よりもはるかに高くつく」
とある登場人物の言葉は事実かもしれない。

ビルの屋上に土を運んだり、自分するように養蜂したり、蜂が逃げ出さないように設備を整えたり、現実にはそこそこ設備投資にお金がかかるのではないか。最近ではベランダ菜園が流行っているが、私もアパート暮らしの時にやってはいたものの、蜂や土を買ったり、肥料を買ったり、そこそこお金がかかってて買った方が安いのかなと思ったものだ。でもそれでもやってみたくなるのは、家庭菜園や都市農業にそれだけの魅力があるからだろう。
自然が美観を壊すというより、自然がなく虫がいないのが美的であると考える一部の都会人のその感性が壊れているのかもしれない

醜い農業タワー。その言葉の方が確かに醜い。けれど近代的な美しい建物の上で、少なからず人間に危険な蜂を育てたり農業をする必要は無いと考える人も確かにいるのではないか。

フードバンクというフレーズも最近はよく耳にする。特に世界が疫病の流行で自粛生活に入ってからは、フードロスを少なくするという考えは急速に広まったように思う。
それが誰かが意図して起こしたものか、自然発生したものか世界で議論されることはほとんどない。
良いことはどんどん推進すれば良いと思われる。そのシステムや思想に欠陥があるとわかって初めて議論がなされるのだ。

一方で、安定的な食糧供給が幻想だとしたら、必ずいつでもどこからでも食料都会に輸送できるとは限らない。都会でも、実際に育てて食料を確保するということも一部では必要かもしれない、と考えている人たちが間違っているとも言えないだろう。

読み物として楽しいだけでなく、非常に勉強になるミステリーだ。私は読み進めるのにちょっと時間がかかったが、ぜひ中高生以上の日本の若い人たちにも読んでもらいたい作品だ。大人ならば尚の事読んで楽しいと思う。

最近はSDGsの言葉がよく聞かれる。サスティナブル、持続可能な農業社会の観点から、この小説に共感する人もいれば、そもそも持続可能とは何か、社会で一般的に言われていることに普段から懐疑的な人もいるだろう。そういう人が読んでも自分と異なる感性を知ることができて興味深いと思う。ちなみに私は、SDGsにはどちらかと言えば懐疑的な方である。それでもこの本は面白かった。

環境問題に熱心な購買者がいることをビジネスチャンスとしか捉えていない人も現実にいそうだ。消費者はそういう悪徳な人を見分けられるよう確かに賢くならなければならない。

謎解きは定型で

大切にしている蜂たちと共に襲われたビー。病院で手厚い看護を受けているもののそのショックは計り知れない。自殺と断定した警察の捜査に納得いかないクレアは、まず、ビーの直近の人間関係から洗い出す。
ビーと一番近しい姪のスーザンは旅行で連絡が取れない。手探りの状態で体当たりで真相解明に乗り出す。
恨みを持つ人間は、最近の仕事上の付き合いがある人間から考えるべきなのか。
ビーの昔の恋人。行方知れずのスーザンの恋人。
調べていくうちに、大切な友人であるビーがどのようにして、その地位を築いてきたのか、良い側面ばかりでなく、悪い評判までひもといていくことになる。都市養蜂の女王は果たして悪人なのか、善人なのか。

動機が過去の思い出話に行き着くと言うのは、ミステリーでよくあるパターンだ。人間関係の歴史を遡り過去の恨みに行き着く。しかし、真相は?

都市農法とは似つかわしくない、合成麻薬の話題もミステリーなら現代の定番だ。
さらに手掛かりがSNSにあることも。

麻薬の話題が最初に出てくると、そちらに読者の視点が集中してしまうので、終盤に怒涛の展開があり、全体は蜂蜜や都市農法など読者にとって目新しい知識が続いて飽きが来ないのが良かった。

しかも、事件の真相にも都市農法は絡んでいる。事業拡大で自転車操業の都市農法。イカサマ。魅力的なスタートアップに見せたいための不相応な広報費。都市農法に見せかけて投資家からの資金調達と公的資金を得る。

ここまで複雑な成り行きの真相を解明しておいて、名探偵クレアが少しうかつなのは、物語を盛り上げるためのコーヒースパイスのようなものだ。

最後に1つ言っておきたい。
電話やメッセージで誰かに呼び出されても、一人で見晴らしの良い高い場所には行ってはいけない。
誰かと待ち合わせるなら、カフェ或いは珈琲店がいい
しかし、猫と探偵は高いところが好む。

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