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俺はお涙頂戴系の文章を書いてみたい
―――手段は選ばない、目に見える数字を産み出したいんだ…
こんにちは、「ゆるぽか!」のWoodLetterというものです。普段はYouTubeやOPENRECでゲーム実況動画を投稿・配信しています。
さて、今日の本題は「インターネットに溢れかえる感動系文章を作り上げたい」ということです。
まぁ有り体に言ってしまえば「捏造」ですね。絶対やっちゃダメですよ。
早速本題に入っていきます。
その1「登場人物を固める」
どのようなストーリーを描くとしても、最も重要なのは読者の感情移入を狙うことでしょう。バズるためにはエモーショナルであれということです。
そのためには主役は自分自身、つまり「私」である必要があると仮定します。
もしここで「私の兄から聞いた話なのですが…」としてしまった日には、完全に話の方向性がブレてしまいます。具体的に言うならば稲川淳二とかが担当する感じです。怪談苦手なんで聞いたことないですけど。
また、身近な話題であることも重要だと仮説を立てます。
仮にニューギニア島のウコヌプロ族とプンチャック族のストーリーだったとしても誰も振り向きません。その題材で感動を読者にもたらせるのならば、今すぐ文藝春秋に連絡し、芥川賞をもらうべきでしょう。太宰以外は納得します。
つぎに「身近」の範疇についてです。
確かに、長年の幼馴染とのストーリーといった内容は書き手にとっては身近かもしれません。
しかし、現実としてそんな親しい幼馴染がいる人はそう多くないことでしょう。さらに、その幼馴染との間に感動エピソードを持っている人間はきのこの山を好きな人間程度の数しかいないと推測されます(私調べ)。
そこでもたらされる最適解とは「母親」ではないでしょうか。
この記事内での「母親」とは煩わしいと感じつつも、いつも自分のことを思ってくれる、換言するならば庇護者であると定義します。優しい母親とかだと相手の母性本能やバブみに訴えかけられるのでなおGood。
したがって「ギャンブルばっかで蒸発」や「知らない男を連れ込んでは日夜酒盛り」といった現代の闇を象徴する人間は絶対に登場しません。
ていうかそんな連中が出てる感動ストーリーなんか聞いたことないでしょ。どちらかというとスカッとするなんちゃらとかだろ。
以上「私」と「母親」の二人を主な登場人物とします。これ以外にも追加で登場人物を増やしてもよいのですが、その場合ストーリーがややこしくなるという欠点を孕んでいるので、ここでは考慮しません。シンプル・イズ・ベスト。
その2「感動とはすれ違いから産まれる」
登場人物が決まったら、次にストーリーに取り掛かります。
ここで、読者のウケを狙うためには「二者間のすれ違い」こそ肝要であるという仮定をつくります。
「私と母親はいつでも、ずっと仲良し!」というストーリーも結構です。ていうか私はそっちの方が断然好きなので、ぜひそちらで書いてください。
しかし、一番てっとり早く感動を生むためには「対立」こそが最大のキーとなるのではないでしょうか。
一例を上げるならば、思春期における親への反抗です。
通常、思春期における子供の言動は「親の言うことが気に食わず、意に背くことばかりする」というものであり、これに対する親の態度は「子供の為を思って口うるさく言い続ける」といったものではないでしょうか。
ここで「余りにもステレオタイプに過ぎる見方ではないか」「今どきそんな親子がどこにいるんだ」というご批判があることは重々承知しております。
しかし、ある程度の非現実味を混ぜることが書き手にとっても書きやすく、読み手にとっても読みやすい文章を作れると私は考えます。コーヒーでもブレンドのほうが美味しいのと一緒です。私はキリマンジャロのほうが好きですけど。
さらに付け加えるならば、あえて話を難しくせずに単刀直入に訴えかけることで読み手の涙腺を簡単に揺さぶれるとも主張します。この主張は、前述の「登場人物の単純化」や「身近な舞台」にも言えることです。
その3「最後は和解せよ」
この手のお涙頂戴感動系ストーリーで定番なのは「最後に親の気持ちを理解する私」ではないでしょうか。
もしここで「よくよく考えてみたが、どう考えても母親の言ってることは間違ってる」といった結論に落とし込むと世代間の対立を煽る檄文になってしまいます。付け加えると、そういった歴史は往々にして繰り返すので、貴方の子供もそうなります。負のスパイラルです。
とにかく「対立からの和解」という内容は定番ではありますが、言い換えるならば「王道」であるとも定義できます。
そういった「王道」は往々にしてウケが良く、ましてやインターネット上でサッと読むストーリーものは「王道」であることが手にとってもらいやすくなることは、この記事を読んでくださっている方ならばもうお分かりになっていることでしょう。
さて、以上3つの要点を抑えて実際に「感動できるストーリー」を考案してみました。先に申し上げておきますと、完全にフィクションです。
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私は昔から母親っ子で、小学校に上がっても母親離れできずにいつも泣きじゃくっていたらしい。そんなときに母は、グズグズしている私を叱り飛ばすこともなく、毎日根気強く諭し続けていたらしい。
そんな私も中学校に進学して、母と対立していくことが増えていった。はじめは「ちゃんと宿題をしなさい」とか些細なことだったと思うけれども、次第に母は私の友達関係や普段の仕草にも口うるさくなってきて嫌気がさしてきた。
ある日、私が夜遅くに友達と電話していたときに、母が「いつまでもダラダラと話していないで早く寝なさい!」と言ってきた。友達と気分良く話していたのを害されたのがあまりにも気に食わず、私が「うるさいんだよ、ババア!」と叫びつけて、勢いのままに盗んだ単車にまたがって、夜の街に飛び出してしまったときの母の悲しげな顔は今でも忘れることができない。
一通り、街中のガラスというガラスを割り終わって昼頃に家に戻ってきた時のことだった。母親は私を叱り飛ばさず「お腹空いてるでしょう?シチュー温めておいたわよ」とだけ言って、食卓につくように促してきた。
バツの悪い私は、嫌々ながらもそのシチューに手を付けた。……隠し味の取り寄せたカマンベールチーズ、宮崎地鶏の鶏ガラ、そして千葉・銚子で長時間かけて発酵させた味噌… 全てが小学生の私を諭す母親と何一つ変わってなかった。その瞬間、変わってしまったのは私自身だったと気づいた。
私は思わず泣きじゃくってしまった。そして母親に今までの態度を謝った。言葉にはなってなかったと思うけど、優しい母は全てを受け入れてくれた。
…後になって気づいたことだが、夜遅くに通話する私を「うるさい!」とは言わずに「ダラダラ話さずに寝なさい」と言ったのも、私に簡潔に話しをまとめる人間になってほしいということだったのかもしれない。
今となっては母はもう遠い場所に行ってしまい、もう彼女の気持ちはわからない。だけど、私を産んだときの母と同じ年齢の今、少しは近づけたんじゃないかなと思う。
あと、ガラス代は父親が負担してくれたらしい。
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ダメだった…
なぜ私は隠し味とかどうでもいいエピソードを膨らませてしまったのだろうか。そしてなぜ話にどうでもいいオチを作ってしまうのか、あと無意識のうちに尾崎をリスペクトしてしまうのも悪い癖です。
しかし、上に挙げた3つの要点もさほど間違っているとは思えませんし、ましてや今回のストーリーも途中までは良かったと思います。家飛び出すあたりまでは。
今回の考察を改良すれば、将来的に「感動するエピソード捏造Bot」を作成することができるようになるかもしれません。
それが真の技術革新だと私は信じています、知らんけどな。
(Written by WoodLetter)
※本記事によって生じた不利益について一切の責任を負いません。
〈記事を書いた性格の悪い人〉
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