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楽しみな思い出

2021年3月31日をもちまして12年弱住んだ東京を離れまして。
いやぁいろいろあったね〜、あんな事やこんな事。
沢山の思い出を胸に感慨深く東京を離れる、
なんて事はなく。
感覚は不思議と地続きなんですよね。

東京に住む以前は熊本に住んでて、
そういえば熊本を離れる時もそんな感じだったなぁと。
思い出っていつ思い出になるんだろう。
そもそも思い出ってなんなんだろうか。

僕は熊本に住んでる時も割と引っ越しの多い方で。幼稚園の年長まで住んでいた戸建ての実家に帰ってきたのは小5の時。
思い出に浸るとかそんなシャレたこと、もちろん興味なしのガキンチョの僕が久しぶりに戻った実家で感じたのは郷愁。びっくりだ。

幼稚園当時、両親と祖母、兄姉兄僕、犬や猫、ニワトリとか諸々とで住んでいた実家はとても広くて、贅沢な遊び場だった。
両親が共働きで兄弟とも歳が離れていたのもあり、祖母と2人きりで過ごす時間が長かった。
祖母はボケてて(ここら辺の話しはめちゃめちゃ面白いのでまた別で書きたいと思う)もちろんそんな概念がない僕は面白い祖母が大好きだった。祖母に沢山イタズラをして、家の階段の手すり、押し入れ、天井、ベッドのトランポリン、庭の倉庫や木の上、茂みの中、さまざまなアトラクションを駆使し、いつもVS祖母で奮闘していた。
祖母も躍起になって僕に張り合ってくれるのだけれど、僕が誰かにイジメられたりするといつも僕を抱いて覆い被さってまもってくれた。
そんな祖母も入院する事になり、兄姉兄も早いうちに熊本を離れる事になったりで、実家の戸建てから引っ越したのだ。
からの〜、、
小5。

なのだけれど、まぁ〜小さい。インディージョーンズばりにスライディングをかましたあの階段の手すりも、世界を見渡せた木の上も、黒豹が息を潜めていた庭の茂みも、空を飛べるあのベッドも、全部が小さくてもうあの時の実家ではないのだと思った。
ただあの時の映像や景色が頭の中に鮮明に浮かぶ。匂いとか、声とか、その時の気持ちとか。
今思うと鮮明に浮かんだそれが実際に起きた事かどうかは疑わしい部分もあるのだけれど、
小5の僕は、愛しさと切なさと(何かの歌詞だな)何か失くした事を自覚したような、そしてすごく大切なものを受け取ったような、正に心強さのような(小室哲哉すごいな)
心の郷愁とも言えるそれはきっと思い出だと思う。

12年弱住んだ東京。
今はまだ地続きでいるのだけれど、きっと思い出になる時がくる。
その時に最近までいた東京をどう見るのだろうか、どう思うのだろうか。
楽しみだ!

#思い出 #日記 #股旅 #游久

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