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祖父と僕の話

僕の祖父は僕が12歳の時に亡くなった。

夏休みは毎年、朝に祖父母の家に行って、夜に父親が車で迎えに来るまで、兄と田舎を駆け回っていた。

カブトムシもクワガタも虫籠一杯に獲れたし、周りが木がたくさん生えていたので探検もたくさんした。

そして、遊びに疲れたら祖父母の家に戻り、縁側で濃いめのカルピスに舌鼓をうつ。

そんな毎日を過ごしていた。

祖父は特に僕ら兄弟を可愛がってくれて、ご飯時には

「肉を食べなさい」

と言って、祖母に直ぐに肉を焼くようにお願いする。

昼食も夜ご飯も焼き肉だった。

冷凍庫は肉でパンパンで、隙間に僕ら用のアイスが入っていた。

とにかく、肉、肉。

僕ら兄弟が肉を食べる様子をニコニコと眺めつつビールを飲みながら祖父は毎日見ていた。

僕が

「じいちゃんは食べんと?」

と聞いても、頷きニコッと笑って

「いっぱい食べなさい」

と言うだけであった。

祖父は一度も僕らに怒ることはなかった。

雨どいに石を投げ込んで壊しても、壁に兄弟喧嘩でヒビをいれても、祖母が僕らに怒ると

「男の子やけん、いいやんか」

と言って庇ってくれた。

祖父母の家の裏は小さな川が流れていて、6月にもなると蛍が飛び始める。

その時期になると、祖父母の家に行き、祖父が先頭を歩き

「ほ、ほ、蛍来い。こっちの水は甘いぞ。そっちの水は辛いぞ。ほ、ほ、蛍来い」

と歌いながら川べりを進む。

しばらくすると、蛍が飛び交い始め、幻想的な風景になる。

祖父は蛍を見ずに、僕ら兄弟の顔をニコニコと見ている。

僕はそれに気づいているが、蛍を見続ける。

しばらく見た後に祖父母の家に戻ると、祖母が肉を焼いて待っている。

そして、また僕は肉を食べる。

祖父はビールを飲みながら僕らをニコニコと見る。

数年後に祖父は癌にて亡くなるのだが、晩年は入退院を繰り返した。

一時退院すると、僕の家に昼御飯を食べに来るのだが、食道の癌だったので好物の刺身を食べるのも辛そうだった。

しかし、ビールは美味しそうに飲んでいた。

痩せた祖父は相変わらず僕らをニコニコと見ていた。

僕はあの時は乾杯なんて言葉は知らなかった。

そんな僕は、今無性に祖父と乾杯がしたい。

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