行末

こっそりと思っていることを書きます。

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最近の記事

最近、発言がしにくい空気になってない?

最近、あまりにも発言をしにくい空気が蔓延りすぎている気がする。ちょっとした発言を1つしただけで「その発言は〇〇の方への配慮がないです」「〇〇をバカにしている」のようなコメントが散見される。 たしかに「配慮がない」というのも分かる部分はあるのだけど、世の中に完璧な文や発言なんてものはないのだから、すべてに完璧を求めていたら息苦しくなっちゃうなって思う。 受け取り手にも、相応に受け流して60%くらいで適当に聞くくらいの、ゆるさがあったほうが余裕をもって聞ける。なんなら異世界の

    • 「ボケたい」感情の根源にあるのは承認されたい欲求なのだ

      自分は「ボケたい」と言う衝動が割とある人間だ。それこそ幼少期からそんな感じだったと親から聞いたことがあるので、生まれ持ったボケ体質はあると思う。が、それに加えて「ボケたい」と思う感情に「承認してほしい」の気持ちが含まれていることに気づいた。 気のおけない仲となればなるだけボケる頻度も上がるんだけど、恋人同士になったりするとなおさら上がる。普通の会話もしつつ、小ボケをかなり挟む。息をするようにボケるのだ。周りのみんなは優しいから付き合ってくれる、やさしさに感謝。 「承認して

      • 妥協ができるのは、実は器用なことなのかもしれない

        以前、とある人から このようなニュアンスのことを言われた。 「妥協できて満足できるあなたは器用だ。でも、あなたは『自分は不器用だ…』って言いながら、器用な自分を不器用な私に見せつけてくるから本当に不器用な自分がしんどくなってくる」 それを聞いたとき、頭の中に雷が落ちた。 そんなふうに捉えてなんて、 思いもしなかったからだ。 テキパキしてと皿洗いからお風呂掃除まで並行しながらテキパキと片付けていく、そんな人だ。そこかしこで失敗して「まあいいか😉」ってなっている自分とは違い

        • エンジニアと異業種で感じた文化・観点・基準の違い

          はじめに独断と偏見でつらつら書き連ねたチラシの裏へようこそ。 めちゃくちゃ偉そうに書いてますが、平社員です。なにとぞ。 この記事は 知人との会話 過去の職歴 宋世羅の羅針盤ちゃんねる のつまみ食いからできています。 おふざけは取り消ししているので 暇な人はおふざけも読んでくださいね。 エンジニアという働き方 企業や公職などの組織に所属して開発業務をしている、いわゆるサラリーマンエンジニアの方がまだまだ多いんじゃないかと思います。 サラリーマンサラリーマンという

        最近、発言がしにくい空気になってない?

          「ゲームが出来なくなった」ではなく趣味が増えた。

          皆さん、 SwitchにPS5、Steamと言った いわゆるゲームはするだろうか。 自分はもういつのまにやら 時間を忘れるくらい好きだったモンスターハンターやポケモンすらも出来なくなってしまった。今でも出来るのは、たまにブームの来るマインクラフトのみである。 先日ゲームについて友人と会話をして、 その際に会話の中で再認識した 自分のスタンスをを記載する。 ゲームに求めるもの私がゲームに求めるものは 「一人で作業に没頭できること」だと気づいた。 思い返してみると昔からそう

          「ゲームが出来なくなった」ではなく趣味が増えた。

          もしも今、死ぬのなら

          なんのこともない ただいつか死ぬだけのこと。 あったものがなくなるだけのこと。 1から0に戻るだけのこと。 老化でそうなるならともかく、 突然起きることもあり得ることだから、と いつも頭の片隅をよぎる。 「家族にこうしておけばよかったなぁ」 「残りの仕事、大変なのに申し訳ないなあ」 「漫画の最終回はどうなるんだろう」 「あの時、もう一歩踏み出していたらなあ」 「新曲を聴きたかったなあ」 などと思うのだろうか。 20代の今、もし死というものが起こったなら、 たくさんの感情

          もしも今、死ぬのなら

          ドライブ

          先日、地元に帰ったとき おばあちゃんが行きたがっていた海岸へと ドライブに行ってきた。 かれこれ自動車免許を取ってから もう5年ほどになるが、 ずっとペーパードライバーというやつだった。 ようやく運転しようと決心がついたのは ほん今年の話だ。 家族のバタバタがあったりしたのもあり、 「自分も運転できた方がいいな」と思ったのだ。 それで合間で教習所に行って少し復習した。 その後は親に助手席へ乗ってもらいつつ 帰省のたびに運転をするようにしている。 今回は初のちょこっとだ

          ドライブ

          角砂糖

          食べると広がる無機質な甘さ 掴みどころがないようで それでいてふんわりとした甘さ 小さくて可愛らしい フォルムをしているけれど かくばっていて 実はちょっぴり危険かも ひとつ手にとって口に運ぶ ざらざらとしたその舌触りが 口の中のあちこちへ 絶妙に引っかかっては とてつもない破壊力で 掻き乱していく 摂りすぎるのは危険だけれど ついクセになっちゃう 甘さを知ったらもう 病みつきになっちゃうね あの甘い味が溶けて 消えてしまった今は すこしだけ口が寂しいな

          居間

          お盆の時期は昔から慌ただしかった。 日中は親戚や家族が家に頻繁に出入りするし、 遠方の親類を訪ねたり買い出しにも出かけた。 ふと気がつくと夜20時を回っている。 そんな記憶しかないので、 実は「一年の中で最も日が短い時期なんじゃないか?」とすら思うが、きっと錯覚なのだろう。 この時期は家族も家にいることが多かった。 夕飯を食べるときは 祖父母、父母、妹の家族全員で食卓を囲む。 そのあと四畳半の畳の居間で 布団を剥がされた抜け殻のようなコタツで 祖父母とテレビを見て休む

          自己肯定を貯金する

          自己肯定感というものは お金のようなものだと思う。 いわば選択肢だ。 たくさんあればその分だけ いろいろなことに挑戦することができる。 しかし、少なければそれだけ 踏み出す勇気がなくて可能性を自分で狭めてしまう。 お金というのは目に見える。 働いたり誰かの役に立つことをすると集められる。 (例外はあるが…) しかし、自己肯定感は見えない。 何かをしても集められる保証はない。 例えば、 親や先生に褒められたり、 友だちから認められたりしたとき、 自己肯定感が溜まっていく。

          自己肯定を貯金する

          天体観測をするには、少し天気が悪いようだ

          見えないものを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ 見えてたものが見えなくなって 何もかもを失った

          天体観測をするには、少し天気が悪いようだ

          コーヒーとミルク

          袖を捲ったサラリーマンが 暑そうに手で仰ぎながら街を歩いている。 可愛らしいプリントTシャツを着た女性が ミニ扇風機を片手に持って待っている。 入道雲はそんな街を気にもとめずに、 風に流れて消えていく。 私は今、とある喫茶店にいる。 ビルや住宅が立ち並ぶ通りの一角を歩いていると ちょこんと現れる赤い看板を引っ提げた 小さいアンティーク風の喫茶店だ。 店内にお邪魔することにして 木目調の扉を開けると 目の前には美味しそうな ケーキカウンターが出迎えてくれた。 どうやら果物

          コーヒーとミルク

          暗闇にボヤけた日差し

          暗がりのベンチに腰掛ける まだ青春の装いをした若い2人を横目に 少し汗ばんだ服で せせらぎが聞こえる遊歩道を歩く どうしてこうも歪なのか どうしてこうも愚かなのか マイナスの言葉だけが頭をよぎる。 バッドエンドならどれだけよかったろう ハッピーエンドならどれだけ苦しいのだろう こんなことになるのなら いっそのこと何もなければよかったのに。 なんて、そう思うのはきっと今だけ この先にある 窓から差し込む朝の日差しが 暗い影をかき消してくれる ああ、朝ごはんができたんだ

          暗闇にボヤけた日差し

          逃避行への渇望

          先日、友人との健全なご飯を楽しんできた。 彼らとは「楽しい」の時間を 味合うようにしている。 日常のささいな変化や少しバカな話をして、 健全な時間に解散をする。 そこには憂いや気だるさはない。 お酒も飲まず、帰る夜道は アルコールがないからかどこか物寂しくて、 まるで孤独な水槽に閉じこめられた 金魚のように狭い世界に感じた。 話は少し変わるが、 自分の中で 「この人たちとはこんな話にしよう」というのが 細かく分かれている。 人と付き合ったことのない人に 恋愛相談をあ

          逃避行への渇望

          匿名

          “匿名“というものは、得てして心地良い。 ふと、何故だろうか、と考える。 そこには「目を背ける毎日」も「迫りくる期日」も「破綻しかけたプロジェクト」もない。 耳を塞げば聞こえないくらい小さな騒音と、 目を瞑れば見えない荒廃した風景が、 少し存在するだけ。 聞くのも見るのも 選べるのが匿名の世界。

          情景の目次としての音楽

          よく聴いた音楽を聴いていて その頃の情景が浮かぶことはないだろうか。 自分はこの現象を情景の目次とこっそり呼んでいる。 もともと自分は新しい楽曲やアルバムの発売前後に、同じ曲を繰り返し聴いてしまう傾向にある。 そのため、一定期間の間に時期に決まったものを聞く状況ができる。 これを繰り返してきたことで、 ある期間の記憶がその時の音楽に紐づいて 目次となるのではないだろうか。 更に言えば、自分の認知特性は3次元映像タイプだ。 物事を捉える際は3次元の映像で内容を覚えたり、伝

          情景の目次としての音楽