妥協ができるのは、実は器用なことなのかもしれない
以前、とある人から
このようなニュアンスのことを言われた。
「妥協できて満足できるあなたは器用だ。でも、あなたは『自分は不器用だ…』って言いながら、器用な自分を不器用な私に見せつけてくるから本当に不器用な自分がしんどくなってくる」
それを聞いたとき、頭の中に雷が落ちた。
そんなふうに捉えてなんて、
思いもしなかったからだ。
テキパキしてと皿洗いからお風呂掃除まで並行しながらテキパキと片付けていく、そんな人だ。そこかしこで失敗して「まあいいか😉」ってなっている自分とは違いすぎて、「そんなところも気づくの!言われてみればそうかも!!」と気付かせてもらうことが多かった。
これって実は鈍感力なのかもしれない。
気付かない、あるいは気付いても無視できる能力そう考えると辻褄が合うんだよな。
さっきのシチュエーションに近いことが職場でも起きている。自分にとっては気にならないことが、他の人によっては気になるケースが多々あるのだ。「○○が気になって…」ということを聞いて「たしかに…!そうしましょう🙆♂️」みたいなやり取りをする。逆はあまりない。
気にならないということは「折り合いがついている」か「そもそも認識してない」ということになるのかな。いずれにしても知らないので気にならないというわけで。「不完全でも楽しかったらいいじゃん」という考え方が根っこにあるので、そこまで突き詰める必要がなければ気にしないのだ。
妥協や折り合いをつける面では、自分は器用なのだと自覚することが大事かもしれない。
以上です。
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