ふみだそうとする子どもたちに
こんにちは。絵本「みんなとおなじくできないよ」や「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」の作者で、小児科医のしょーたです。
今日は「ふみだそうとする子どもたちに」というテーマでお話ししたいと思います。
僕の診察室には、発達の過程で「困ったこと」があった子どもたちがたくさん受診してくれます。そんな子どもたちは幼稚園・保育園あるいは学校では、「困った子」なんてラベルを貼られていることも少なくありません。「みんなと楽しく遊ぶことができないんです」「周りの言うことを聞かないんです」、そんなことを言われてきた子どもたちが僕の外来を受診してくれるんですね。
小児科医としてそんな色々な子どもたちを診察する際にどんなことを感じると思いますか?「困った子だなあ」なんて感じると思いますか。いいえ、そんなことは思わないですよ。むしろ、「この子、面白い可能性がある子だなあ」なんて感じながら子どもたちと向き合っています。子どもたちの可能性を感じてワクワクする、ということです。
日常生活で困った行動あるいは生きづらさを抱えているはずの子どもたちに、小児科医としてそんなことを思うんですね。「もしもこの社会じゃなかったら、もしもこの国じゃなかったら、この時代じゃなかったら、この子らしさがもっと引き出せるかもしれない」、そんなことを思うことさえあります。
面白いことに、そんなことを思いながら子どもたちと接していると、診察室での子どもたちの様子が変わるんですね。どの子も最初は、診察室に入って来てくれた時には緊張してこわばった表情しています。でも、そんな子どもたちと話しているうちに、ニタ〜っとした子どもらしい笑顔を見せてくれるようになるんですね。
最初は「わかんない」なんてぶっきらぼうに答えていた子どもも、診察が終わる頃には「わかりません」なんて礼儀正しい言葉に変わっていることも珍しくありません。そんな時には心の中で「君を信じている大人はいるんだよ」なんて思っているものです。
そうやって子どもたちの様子が変わる理由には、「自分のことを受け入れてくれる」という安心感が生まれるからなのかなと勝手に思っています。
日頃から叱られて自分のことを受け入れてもらえないことが当たり前な日常で、自分を受け入れてくれる場所もあるんだと感じてもらう。そのことは子どもたちを救ううえで、とても大切なことと思っています。
そんな風に子どもたちの心がほぐれてくると次第に、子どもたちは心の中にしまってある気持ちを教えてくれるようになります。
ある時、僕の外来を受診してくれた子が僕にこんなことを教えてくれたことがありました。それは、「先生ね、僕だってね、本当はね、お友達と一緒に遊びたいんだよ」ということでした。
その子はなかなかお友達と遊ぶことが苦手だったんですね。小学校ではなかなか自分の意見を言えなくて、周りには人一倍気を遣ってしまって、うまく生活できない子でした。先生やお友達からは、「空気が読めない」とか、「勝手なことをする」とか、そんなことを言われて生活していた子でした。
そんな子も、実は心の中では「お友達と遊びたい」、そう思っていたんですね。子どもはやっぱり色々な人とつながりたい気持ちが強いものです。それが発達途上にある人間というものなのかなと思っています。
人は色々な人とつながりながら、他人とは違う自分を理解していく。そしてアイデンティティを確立して自立した生活を送れるようになる。そういった人間の発達の過程を理解すると、子どもの時期には生き物として「人とつながろう」とする心の作用がやはり強いことに気づくものです。
どんなに空気が読めない子でも、どんなに言うことを聞けない子どもでも、やっぱり他人とつながってみたいという気持ちが強いものです。他人が心底嫌いでつながりたくない子どもなんていません。
そんな不器用な子どもたちの心を、どうやって育てられるかが、「社会の可能性」なのかなと思っています。その社会の可能性に最も敏感なのは、その時代を生きる若者なのかなとも思います。子どもたちの可能性を開拓してくれる可能性を社会に感じるられれば、若者たちは子どもを授かってみたい、育ててみたい、そう思います。
どんな子どもたちも、唯一無二の「その子らしさ」「その子の可能性」があります。それをその子が社会にアピールできるかどうかは、その子だけの能力にかかっているわけではありません。むしろ、子どもだけで実現できるものではないですね。そこには、必ず大人の力が必要です。
人が個性を社会で活かしていくうえで、個性を出す側とその個性を受け入れる側があります。
例えば、作家になるということであれば、どこかの編集者さんにつながることが必要かもしれません。医師になるということであれば、医学部入学が必要でしょう。その個性をどこへつなげるか、どうやってつながるか、そういった工夫を周りの大人にできるか、その情報を子どもたちに提供できるかによって、子どもたちの人生は大きく違った方向へ進みます。
でも現実的に考えると、その子の可能性を社会でうまく導いてあげられるかは、その子の周りにどんな大人がいるか、そういった「運命」という側面も大きいと思います。
周りに歌手である大人がいるのか、医師である大人がいるのか、教師である大人がいるのか、そういった条件で子どもたちの社会へのつながりも変化していくものです。
そういうことを理解したうえで、「異次元の少子化対策」が行われるかもしれないこれからの時代に期待したいことがあります。それは、これまでの時代には考えられなかった異次元の教育を子どもたちに提供するということです。特にその教育には、家庭的背景によらず「様々なつながりの機会」を子どもたちに与えることを期待したいと思います。
冒頭でお話しした、幼稚園・保育園や小学校、中学校で個性的な子どもについて話を戻しましょう。
その素晴らしい「その子らしさ」をいかに社会に気づいてもらうか。その子らしさを、いかに人生のチャンスにつなげるか。それをその子の生まれてきた「運命」に任せるのではなく、公的な社会の中で考えてもらいたいと思うのです。
しっかり国民の税金を使って、「色々な大人とつながる機会」を子どもたちに提供してもらいたいと思います。家庭での経済的な違いによらずに、子どもたちが社会で活躍する様々な大人たちと出会える。すべての子どもたちが色々な出会いを経験できる。
そういった子どもたちの将来の可能性を引き出すチャンスが教育の中に転がっているからこそ、安心して子どもたちを社会で育てられるのです。
世の中には、ネガティブな意味で「蛙の子は蛙」なんて表現を使う大人がいるものです。診察室で子どもたちの可能性を感じている僕からすると、仮に「蛙の子が蛙」になるとしたら、それは大人社会の仕業です。
どんな子どもも、これから輝かしい蝶にもなりうるし、大きな翼で世界を飛び回る生き物にもなりうる可能性を秘めています。その可能性の原石をいかに磨けるかが、社会の可能性なのだと思うんですね。
ふみだそうとする子どもたちに、様々な選択肢を与えられる社会。そんな可能性を秘めている社会だからこそ、「自分の子どもの可能性を伸ばしてくれる社会があるから、自分の子どもを育ててみたい」なんて子どもへの期待が生まれるんです。だから、子どもを育ててみたいと思うんです。
今の時代を生きる若者たちに、そういった社会の可能性を感じさせてもらいたい。子どもたちを診察しながら、そんなことを思う今日この頃です。
今日は「ふみだそうとする子どもたちに」というテーマでお話ししました。
だいじょうぶ、
まあ、なんとかなりますよ。
湯浅正太
小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医。一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて:https://yukurite.jp/)代表理事。イーズファミリークリニック本八幡 院長。作家。著書に『みんなとおなじくできないよ』(日本図書センター)、『ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ』(メジカルビュー社)がある。
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