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夏になると思い出す映画

こんばんは。絵本「みんなとおなじくできないよ」や「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」の作者で、小児科医の湯浅正太です。このチャンネルでは、子どもの心に関わる物事を気ままに発信しています。ですから、紅茶でも飲みながら、ゆる〜い気持ちで聴いてもらえればと思っています。

今年の夏ももう少しで終わりですが、僕は夏になると映画「少年時代」を思い出します。それは、小学生だった僕がちょうど転校を経験した後の夏頃に、テレビでこの映画を観ることになったからです。子どもながらに、自分を主人公の立場に重ね合わせながら、この映画を観ていたのを昨日のように思い出します。

あの頃少年だった僕にはよく理解できなかった映画に登場する子どもたちの行動や心が、大人になり、小児科医になり、ようやくぼんやりと見えてくるようになりました。複雑な社会状況の中で必死に生きる子どもたちの心を感じるようになったのですね。

今日はそんな「少年時代」の映画を通して感じる子どもの心についてお話ししたいと思います。

「少年時代」は、藤子不二雄Ⓐさんが漫画として発表し、1990年に映画として公開されたものです。太平洋戦争末期に、東京から田舎に疎開した主人公が経験する疎開先での出来事が描かれています。

疎開先で主人公は、本当は心優しいけれど、学校ではその優しさを表現できないガキ大将の少年と出会います。主人公は、そんなガキ大将の少年を含めた同級生同士の権力争いに巻き込まれていくのですね。

そんなストーリーの中で描かれる主人公や少年たちの様子から、その背後にある様々な社会を感じます。戦時中という死と隣り合わせの社会、武力が正当化されてしまう社会、物資が限られた中での不安定な生活です。そういった安心・安全が確保されない社会の中で、不安を抱える子どもたちは問題行動を起こしてしまう。

映画の中の子どもたちには、単に田舎の子どもたちということではなくて、様々な生活背景の中で必死に生きようとする子どもたちを感じます。

ある場面では優しく振る舞えるのに、違うシチュエーションでは優しさを表現できない。そのことに子ども自身も苦しんでしまう。そういった少年たちの様子を目にすると心が痛みます。

僕自身の子どもの頃にも色々な同級生がいましたが、問題を抱えてしまう子どもたちの背景にはそれなりの生活背景があるようでした。少年である僕にはどうしようもできない大人の社会を感じながら、同世代の子どもたちの生きづらさを目の当たりにしてきました。

そんなことを思いながら成長し小児科医になった今、色々な過去の思い出のカラクリが見えてくるわけです。「あの子の生きづらさの背景には、困難な生活があったのかもしれない」、そんな風に思うようになりました。すると、社会で生じる人の生きづらさの源は、子どもの時期に行き着くことが多いことに気づくわけです。

子どもの時期が人の人生にとってどれほど重要なのか、そのことを思うわけです。学業という視点ではなく、人の人生を支える心の成長にとって、どれほど子どもの時期が重要かということです。

子どもの心が理解される社会であれば、
だいじょうぶ、
まあ、なんとかなりますよ。

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