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小児科医が思う子どもの支援者に求められるもの

こんばんは。絵本「みんなとおなじくできないよ」や「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」の作者で、小児科医のしょーたです。

今日は、「小児科医が思う子どもの支援者に求められるもの」というテーマでお話ししたいと思います。

「あの支援者にお世話になると、子どもの様子が改善するんです」なんて、支援者にそんな価値を生み出そうと思うと、子どもの心への正しい理解が欠かせません。

子どもの心への正しい理解の中でも、特に子どもの心を回復・成長させる上でとても大切な理解があります。それは「心の余裕がある親がその子に関わるということこそ、子どもの心の発達の上で欠かせない」という理解です。支援者がその支援を成功させるためには、その理解が欠かせないと思っています。

例えば、僕の外来には色々な病気や障がいのある子どもやその兄弟姉妹が来てくれます。

ある時、弟くんが病気で病院に入院している時に、そのお兄ちゃんが外来に来てくれた時がありました。弟くんが病院に入院すると親御さんはもちろん弟くんの対応に追われます。親御さんからお兄ちゃんへの関わりが希薄になるということです。

すると、お兄ちゃんの様子が変化します。イライラしやすくなったり、気持ちが不安定になるんです。そんな時には「弟なんていなければよかった」なんて、そんなことをお兄ちゃんが言うことも少なくありません。それは、どの家庭であってもそう言うものです。そのお兄ちゃんが特に珍しいというわけではありません。

それに、そのお兄ちゃんの言葉は本心から出た言葉ではないことは、その後の展開を予想できていれば分かります。

お兄ちゃんがそんな様子の時には色々な工夫をしながら、親御さんがお兄ちゃんに関われるよう調整をします。親御さんだけに頑張ってもらうのではなくて、親御さんがその子に関われるように周りの環境も調整する。その子自身の不安が高まらないように、その子自身にもちょっとしたアドバイスをしたりもします。

そうやって、色々なことをちょっとずつ調整していくものです。

すると、少しずつ親御さんがお兄ちゃんに関われるようになって、そのお兄ちゃん自身の不安も軽減されるようになっていきます。すると、そのお兄ちゃんが少しずつ変わっていくものです。少しずつ心に余裕が出てきて、本来のお兄ちゃんらしさが戻ってきます。

ある時外来で僕がそのお兄ちゃんに会うと、こんなことを言ってきてくれました。「今日は弟が来てるんだよ。先生にも会いたいって言ってるから会ってあげてよ」、そんな風に教えてくれました。本当は弟のことをいつも思っているお兄ちゃんの気持ちが正直に出てきてくれた瞬間でした。

「弟なんていなければよかった」と言う言葉は、自分を見てほしいという気持ちの現れです。本当は弟のことも好きだし、弟と一緒に楽しく過ごしたいんです。でも、子どもだからこそ、自分を見てほしいという気持ちも強い。そんなごちゃごちゃになった気持ちがお兄ちゃんにはあります。

「弟なんていなければよかった」というそのお兄ちゃんの言葉が本心から出た言葉でないことは、その後の展開を予想できていれば分かる。それは、こういうことです。

お兄ちゃんへの関わりを調整して、お兄ちゃんの心を整えるだけで、本来のお兄ちゃんの気持ちを確認できる。そういうものです。

「弟なんていなければよかった」、その言葉を真に受けて、「そんなことを言うものじゃない」なんて怒ってしまう親御さんもいるかもしれません。あるいは、そんな指導者もいることを知っています。でも、それでは何の解決にもつながらないことは、このケースを見ても分かっていただけると思います。

「そんなことを言うもんじゃない」ことは、そのお兄ちゃん自身がよく知っています。例えば、そんなことを言うお兄ちゃんも、もしも誰か他の人から「あんな弟なんていない方がいいよね」なんて言われたら、ムカッとなって、そんなことを言ってきた相手を殴ってしまうことがあるのも知っています。

どの子どもも、自分の家族のことを好きなんです。

僕は病気や障がいのある子どもの兄弟姉妹を支援しています。その中では、同じ境遇同士の子どもたちが触れ合う機会も大切にしています。でも、最も大切にしているのは、親御さんがその子どもたちに関わる機会を作るということです。子どもにとって、親はやはり特別な存在だからです。

同じ境遇の子どもたちが共にその経験を共有することは、確かに大切かもしれません。大人になればなるほど、親から卒業していき自分自身で生き方を模索していくようになります。ですから、親離れしていく成人の方にとっては、同じ境遇の方々と話せる自助グループは大きな存在です。

でも一方で、子どもたちはまだまだ発展途上なんです。同じ境遇同士の触れ合いが貴重だとしても、子どもたちの発達のためには親が必要なんです。子どもの時期の親の関わりって、本当に特別なんです。

そのことがわかる例を、施設に預けられている子どもたちのことをお話ししながら考えてみたいと思います。僕は子どもたちが入所する施設を何ヶ所か支援させてもらっています。その施設には親御さんはいません。施設の職員さんが、その子どもたちを見てくれています。

施設にいる子どもたちは、他の子どもたちとコミュニケーションをとります。そこにいる子どもたちは同じ境遇といえばそうかもしれません。施設の職員さんも色々な関わりを提供してくれます。

そんな子どもたちからは、こんな言葉を聞くことがあります。「僕はいつかお母さんと暮らしたいんだよ」、そんな風に教えてくれる子どもたちがいます。

子どもは親を求める。いくら同じ境遇の子どもたちと一緒に暮らして心が改善していっても、親を求める。その現実を知っているからこそ、親となる人には、子どもが求める親になってほしいと思っています。

僕からするとどんなに卑劣な親であっても、その子どもたちはその親を求めるのです。第三者からすると、どうしようもない親であっても、その子からしたら「唯一無二の存在」なんです。

例えば、保育所を考えたいと思います。親御さんの心の余裕を生み出すために、家庭の経済的余裕を生み出しながら育児をするために、保育所というシステムは欠かせません。でも、社会が「保育所を作ったら家庭への支援はそれでいい」と思っているとしたら、それは大間違いです。

子どもにとって親は欠かせない存在なんです。でもその親には、心の余裕が必要なんです。イライラしていたり、不安を抱いている親と一緒にいてもよいわけではありません。

経済的な課題、時間的な課題、そういったものを抱えて余裕がない中で育児をしてしまうと、子どもは心が落ち着かなくなってしまいます。

興味深いことに、親が不安を抱えた状態で子どもに関わっても、子どもは親を卒業することなく、常に親を求めるようになってしまう。逆に親に余裕がある中で安心安全な育児が提供されれば、子どもは親から離れられるようになってくれる。

親に余裕があるほど、子どもは親から離れられる。親に余裕がないほど、子どもは親から離れられない。とても興味深い反応と思います。親から子どもへの適切な関わりが増えるほど、子どもは親離れするんです。

時々「子どもを甘やかしていたら、子どもが親から離れなくなってしまうんじゃないですか」なんて質問を受けます。それは、正しくもあり、誤りでもあります。

子どもの不安が適切に取り除かれる状況であれば、子どもは自立していきます。親から適切に離れていくのです。でも、親が自分の不安も解消しようと子どもに関わるような共依存の関係になってしまうと、子どもは親から離れていきません。

「小児科医が思う子どもの支援者に求められるもの」は、そういった理解です。こういったコンセプトをもとに、ぜひ税金を適切に子育てに利用していただきたいです。

今日は「小児科医が思う子どもの支援者に求められるもの」というテーマでお話ししました。

だいじょうぶ、
まあ、なんとかなりますよ。

湯浅正太
小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医。一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて:https://yukurite.jp/)代表理事。イーズファミリークリニック本八幡 院長。作家。著書に『みんなとおなじくできないよ』(日本図書センター)、『ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ』(メジカルビュー社)がある。

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