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子どもとSNS

こんばんは。絵本「みんなとおなじくできないよ」や「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」の作者で、小児科医の湯浅正太です。

今日は、子どもとSNS、というテーマで短くお話ししたいと思います。

SNSは、Social Networking Service(ソーシャルネットワーキングサービス)の略ですね。人がつながりの中で生きる生き物だからこそできたサービスと言えるかもしれません。

僕が子どもの頃にはもちろんSNSはありませんでした。友達や家族とコンタクトを取りたければ、電話をしたり、直接会って話すことが当たり前でした。

僕がちょうど小学生の頃、隣町に出かけた時に一人で迷子になった事がありました。困って泣きながら周りの大人に道を聞いたことを思い出します。あの時SNSがあればどんなに楽だったろうと思います。

一方で、SNSでは、相手の顔や声を聞かずに、表示される文章でやり取りする機会が増えました。文章だけ見ていては、相手の表情や声のトーンは分かりません。文章から相手の様子を探る必要があるわけです。

だからこそ、そんなSNSが普及した今の生活を見ていると、社会でのコミュニケーションの質が変わってきていることを感じます。つながりやすくなった一方で、感情を読み取る力をより求められるようになっていると感じるのです。

すごいスピードでコミュニケーション技術が進歩している一方で、人間はそれについていけていない。そんな風に感じるのは、僕だけではないのではないでしょうか。

そこで小児科医として感じる違和感があります。「お友達とうまく話せない」「人付き合いが苦手」「感情をコントロールするのが苦手」、そんな子どもの診察を行う僕が目にする光景は、SNSを楽しんで、SNS上であればコミュニケーションを楽しめる子どもたちです。

現実世界の対面でのやり取りは苦手だけれど、顔が見えないSNSでのやり取りは得意。そんな子どもたちがいます。

そんな子どもたちが大人になったら、社会はどんな様子になっていくのだろう。そのことに不安がありますとはあえて言いません。興味があります。

「僕たちの頃は良かった」「今どきの子はなっていない」、こういったセリフはどの世代も経験していることと思います。自分たちの人生を肯定したいのが人ですから、その人がもつ性(さが)というものです。

SNSがある生活は、おそらく人類の進化のうえで欠かせないものと思います。ですからSNSを否定するよりも、どうやってSNSと共存し人間の幸せを実現するかを考えたいものです。

SNSが普及したのは人類の歴史にとっては、つい最近の出来事です。一旦SNSの恐ろしさを人類が経験するかもしれません。それによって、人間らしい営みの価値を再認する機会が生まれます。

SNSでは得られない、人と人のコンタクトが人に生み出すものの価値。その価値を人類が本当に認識するのは、SNSに暴露された子どもたちが大人になった後なのでしょう。そうやってようやく、SNSとの向き合い方を真剣に考えるのかもしれません。

今日は、子どもとSNS、というテーマでお話ししました。

だいじょうぶ、
まあ、なんとかなりますよ。

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