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アーサー・ランサムとクラシックカメラ(2)蛇腹の世界

この記事は、下記「アーサー・ランサムとクラシックカメラ、そして思わぬ発見」の続きです。

イギリス湖水地方などを舞台にした子供たちの冒険物語で知られる、作家のアーサー・ランサム。発行されたシリーズ全12巻の最後となる作品で重要な役割を果たすのが、カメラです。昔からのランサム・ファンで、ローライなどのフィルムカメラ好きでもある自分が、素人なりにランサムの作品とカメラについて調べるうちに偶然翻訳の間違いにも気づいた、ということを前回記しました。

ランサム・サーガと呼ばれる12冊の作品は、主に1960年代に日本語訳が岩波書店から出版されました(オリジナルの英語版は1930-40年代発行)。一冊ずつが長く、ズシリと重いハードカバーの12冊です。私が前回参照したのはこのハードカバー翻訳版ですが、ランサム・サーガは今世紀に入ってから、同じ神宮輝夫さんの手による新訳版が刊行されています。今度は、ひとつの作品を上下巻に分けて、ソフトカバーの岩波少年文庫として発行されています。

こちらの新訳版『シロクマ号となぞの鳥』で、シャッタースピードについて記されている同じ箇所を確かめてみました。

ディックはしぼりを十一にし、シャッタースピードを二十五分の一秒にした。晴天で日光がある。これで十分なはずだ。(p.204)

当たり前ですが、ちゃんと「二十五分の一秒」となっていました。それはそうだよなと、なんだか安心したような気分になって本を閉じ、棚に戻そうとしたときです。表紙の片隅を見て、「あっ!」と声をあげそうになりました。そこに小さく、カメラのイラストが出ていたからです。

ランサム・サーガの本には、ところどころに挿絵が出てきます。ランサム本人が描いたものです。英語版の出版が始まった1930年代初頭、第1作と2作は当初、別の画家の手による挿絵がついていましたが、ランサムがそれを気に入らず、自らの手で描くようになったそうです。

ランサムのイラストは、読者の想像力を邪魔しないようにと人物はあえて簡素にされていますが、船や動物などは細かく描き込まれています。先日私が読んだハードカバー版はヨットの絵だけが付いた単色の表紙ですが、新訳版『シロクマ号となぞの島』は表紙のカバーにイラストが散りばめられており、それで気づくことができました。こんなイラストです。

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Folding Camera(フォールディングカメラ、折り畳み式カメラ)と呼ばれるものですね。ケース前面のフタを開いて中のレンズと蛇腹を出し、撮影するという仕組みになっています。バネでレンズを押し出すものも多く、日本では、そうしたタイプをスプリングカメラと呼ぶこともあるようです。本の中で、ディック少年がカメラを構えているイラストはなさそうでしたが、カメラが重要な役割を持った作品の挿絵として描かれたものです。ディックが使ったのはこれだと考えて間違いないでしょう。ローライフレックスのような二眼レフではなく、前回書いた828フィルムを使うコダックのバンタムでもなく、フォールディングカメラだったのですね。

それにしても精緻なイラストです。特に蛇腹やレンズの部分。頭の中で思い浮かべながらではなく、現物を目の前に置いて、それをスケッチするように描かないと、ここまではできないのではないでしょうか。だとすると、ランサムが当時自分で使っていたカメラがモデルなのかもしれません。

私はフォールディングカメラに詳しくありませんが、先日行った「世界の中古カメラ市」では何台も展示されていました。ヴィンテージ品としての存在感では、二眼レフ以上かもしれません。ウィキペディアの「スプリングカメラ」の項目には、「1930年代から1950年代にかけて二眼レフカメラと並んで一般向けのカメラとしてもっとも人気の高いカメラとなった。」と書かれていましたから、当時広く使われたカメラなのでしょう。

自分の知っている範囲では、ツァイスイコンの「イコンタ」やフォクトレンダーの「ベッサ」などが戦前のフォールディングカメラの有名どころです。

このふたつは、どちらもドイツのメーカーです(フォクトレンダーは、現在日本のコシナが商標の使用権を持ち、その名を冠したレンズなどを販売していますが、もともとはドイツの名門光学メーカーでした)。また、少し調べてみたら、コダックやソ連のメーカー、日本ではコニカミノルタに統合する前のコニカの前身・小西六の「パール」など、1930-40年代には色々な国でさまざまなフォールディングカメラが作られていたことがわかりました。

当然、イギリス産のフォールディングカメラもあります。エンサイン(Ensign)というメーカーのものは、今でも中古品が流通しているようです。

うーん、どれも趣がありますね。私には、ランサムの本に出てくるカメラのメーカーや種類を特定することはできません。自分にわかるのは、フィルムが5コマ残っているという記述があるので、ガラス乾板ではなく120などのロールフィルムを使うフォールディングカメラだというぐらいのことです。ただ、いずれにしても当時広く出回っていたフォールディングカメラをディックが使った(そして、イラストの緻密さを考えると、それはランサムが所有していたものかもしれない)ということは言えそうです。もっと調べてみたい気もしますが、あまりフォールディングカメラの世界に深入りすると欲しくなってしまいそうなので、このあたりまでにしておきます。

さて、『シロクマ号となぞの鳥』はランサム・サーガ12巻の最後の物語で、本文の後に神宮輝夫さんによる「訳をおえて」という短い文章がついています。それによると、ランサム・サーガの新訳が刊行されたのは2010年から2016年にかけて。ハードカバーのオリジナル翻訳版が刊行されたのが1950年代末~1960年代ですから、ほぼ50年ぶりの改訳となります。

神宮さんは1932年生まれだそうですから、新訳版に取り組んだのは70代後半から80代半ばにかけて。このご年齢で、1冊ずつがかなりボリュームのある12の物語を翻訳しなおしてくださったことに、心から感服・感謝します。おかげでランサム・サーガは新たな魅力をもって、この先何十年と、また日本の子どもたちを魅了していくことでしょう。新訳版は、『精霊の守り人』などの著者である上橋菜穂子さんをはじめ、各巻末でいろいろな方が解説を寄せているとのことですので、私も少しずつ、入手して読んでみたいと思います。








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