【読書】『アーサー・ランサム』松下宏子
『ツバメ号とアマゾン号』シリーズの作者として知られるアーサー・ランサム。その人物像や来歴を知りたいとき、日本語で読める本として『アーサー・ランサム自伝』とヒュー・ブローガン著『アーサー・ランサムの生涯』があります。どちらも分厚く、かなり読みごたえがある本です。
私もずいぶん前、学生の頃に読みました。でも、内容はもうほとんど覚えていません。このところ、今の自分の目線でもう一度ランサムの世界を味わってみたいと思っているのですが、この2冊に取り組むと、ほかに読もうと思っている本がしばらく手つかずになってしまいそうです。そんなことを考えていたら、松下宏子さんという英文学の研究者が書いた『アーサー・ランサム』(2002年)という本があることを知り、まずそちらを読んでみることにしました。このエントリの冒頭に装丁の写真を載せています。
この本は、「現代英米児童文学評伝叢書」というシリーズの1冊として発行されています。ほかには、トールキンやモンゴメリ、ロアルド・ダールなどをテーマにした巻があるそうです。入手した『アーサー・ランサム』の本は130ページほど、思いのほか薄いものでした。でも、上に挙げた『自伝』と『生涯』はもちろん、日本語訳されていない『書簡集』などランサムに関わるさまざまな資料を参照してその生涯を探るというもので、ランサムに興味を持つ者にとっては大変ありがたい本でした。
学術書という扱いになるのでしょうか、執筆の目的や本文の構成を記した冒頭の部分は堅苦しさがあり、あまり一般読者向けと思えません。でも、そこを越えて本論に入ると、ぐっと読みやすくなります。本格的なランサム・ファンの方にとっては「そんなの知ってるよ」ということも多そうですが、私がこの本を読んで興味を惹かれたことをざっと記します。
▼ランサムは、自分は「どんな場合にも多数派に加担しない」という性癖を持っていると「自伝」の中で語っている。
▼湖水地方へのランサムの愛着が育まれたのは、少年時代に親に連れられてこの地で休暇を過ごしたことがきっかけ。
▼ランサムは、科学者になろうとしてカレッジに入学したが、図書館でウィリアム・モリスの伝記を読み、美しいものの創造をめざすモリスたちの生き方に魅了されて作家への道をめざす決心をした。
▼ロンドンに出た若いころ、詩人の野口米次郎(イサム・ノグチの父)、画家の牧野善雄、W.B.イェイツらと知り合った。
▼ランサムは、新聞の特派員としてロシアやエジプト、中国などに派遣されていた。『ツバメ号とアマゾン号』シリーズを書き始めたのは、報道の世界を離れた40代半ば以降。
▼『ツバメ号とアマゾン号』は、当初画家に挿絵を依頼していたが、ランサムがその絵を気に入らず、使われなかった。ランサムは、「登場人物は読者の想像を妨げないように描かれるべきだ」と考えていた。第3巻の『ヤマネコ号の冒険』以降、ランサムは自分で挿絵を描くようになった。1938年以降、第1巻と2巻にも自分の挿絵を用いるようになった。
▼『ツバメ号とアマゾン号』シリーズはチェコ語、デンマーク語、スペイン語など14言語に訳されているが、2000年時点で、12巻すべての翻訳が出ているのは日本だけ。日本では、1968年までに全12巻が翻訳された。(当時、チェコ語で10巻以外のすべての翻訳が出ていたそうなので、いまはチェコ語でも12巻揃っているかもしれません)
▼日本で愛読者の会「アーサー・ランサム・クラブ」が結成されたのは1987年。本国イギリスで「アーサー・ランサム・ソサエティ」が作られた(1990年)のよりも早かった。
この本を読んで感じたことがいくつもありました。まず、子どもの頃に「本当に楽しい」と思える体験をすること、「お気に入りの場所」を見つけることの意味深さです。ランサムは『自伝』の中で、「子ども時代のもっとも鮮明な記憶は、かならず風景に強烈な喜びを感じた瞬間なのだ」という言葉を記しているそうですが、湖水地方への愛情とその風景への思いの深さが、『ツバメ号とアマゾン号』シリーズでのきめ細やかな描写につながっているのでしょう。ランサムが、第一次大戦やロシア革命などの激動期に特派員として様々なことを見聞きした後で(ランサムがロシアのスパイだったのか、イギリス側のダブルエージェントだったのかという話は、長くなるのでまた別の機会に)、40代半ばになってから『ツバメ号とアマゾン号』シリーズの執筆を始めたということは、子ども時代の楽しい体験や幸せな記憶がいかに後々の人生まで影響を与えていくのかということを示しているように思えます。
また、ランサムが描く挿絵は余白が多く、人物は後ろ姿ばかりで顔や表情が見えませんが、それが「読者の想像を妨げないため」であったというのは、読んで深く納得しました。子どもの頃、ランサムの本を読みながら「登場人物たちがいるのはどんな景色の場所なのだろう、どんな子どもたちなのだろう」ということを、挿絵や地図を眺めながら何度も自分なりにイメージしようとしていたことを今でも覚えています。ランサムの愛読者は、それぞれに自分なりの「湖水地方の世界」や自分なりの「主人公の子どもたち像」を、頭の中に描いているのではないかという気がします。
さらに、ランサムが(付き合いの程度はわかりませんが)知遇を得たという人や影響を受けた人の名前も、驚くようなものでした。イェイツや野口米次郎、またこの本には「トールキンに『ホビットの冒険』の中での言葉づかいを指摘する手紙を送り、第二版からそれが反映された」とか「フリッチョフ・ナンセン(『フラム号北極漂流記』などで知られるノルウェーの探検家)にラトヴィアで会った」、「『女海賊の島』でミス・リーのモデルとしたのは、孫文の妻・宋慶齢」といったことが書かれていました。そうした人々と同じ時代を生き、やり取りをしていたと知ることで、ランサムの人物像をより立体的に思い浮かべられるようになった気がします。
『自伝』や『生涯』にもそうしたことは書いてあるのでしょうが、私が昔読んだときには、出てくる人のことを自分が知らなかったり、あるいは目を留めることもなく読み飛ばしていたことが数多くあったのだと思います。その意味でも、ランサムの来歴をいまの自分の眼で改めて見つめると、面白い気づきがたくさんある気がします。松下宏子さんの本を読了して、やはり『アーサー・ランサム自伝』と『アーサー・ランサムの生涯』、それとランサムが自分の若いロンドン時代について書いた『ロンドンのボヘミアン』をもう一度読み直さなければ、という気持ちになりました。