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頑張らなかった年末年始

この年末年始は頑張るのを止めてみました。
およそ、物心ついてから、とは言いませんが、実家を出て自分で自分の生活や住まいの責任を持つようになってから、かれこれ40年近くになりますが、年末年始に頑張ることを止めた、それをはっきりと意識的に手放したのは、今回が初めてかも。

で、一体、何をどうしたの? というと、年末年始にやるべきことを何もしなかったということです。具体的に言うと大掃除とお節料理作りを放棄!

昨年は年末から新11月中旬から新しい職場での仕事が始まり、最初の三週間はほぼ3年弱ぶりにフルに毎日電車通勤。コロナ前までひたすらオフィスに通勤する生活を、途中あれこれ途切れることがあったにしても、何十年も続けていました。厳密に言うとコロナだけで中断したわけではないのですが、とにかく3年ぶりに電車通勤を再開してみたら、なんとまあ、体力の落ちていたこと…。駅の階段の上り下りも危ういかも?ってくらい。あの雑踏の中をスイスイ歩く感覚を取り戻すのに若干時間を要した感はありました。

そして、何より、新しい職場…神経使います。しかも、今さらまた記録更新というか、未経験の金融業界に入り込んだものだから、所属部門は慣れ親しんだ人事のはずなのに、現場の話がクエスチョンの嵐! 大げさでなく本当にチンプンカンプン! それで落ち込みました、「大丈夫?あたし、この先…やっていけるのかしらん?」と。

そんなこんなで、年末は疲労困憊。だから決心しました。この年末年始は何もしない! 大掃除もしない! お節料理も作らない!と。

それでも30日の午後は半日かけて、自分の部屋だけ整理しました。主に紙類の廃棄作業:イントレーにポイポイ突っ込んでいた書類を見直して、対応したり、ファイルしたり捨てたり。いろいろしまい込んだまま1年ほど開かずの箱の中身も同様に対処。そして棚の上で雪崩を起こしかけているノートや文具を救済するために、段組みの変更などなど。棚の中に物を詰めすぎるので、ぐちゃぐちゃになりやすい、ということは認識していたので、思い切って、一段に置く数ぐっとを減らしてみたら、使い勝手もよくなり、見た目もすっきり~。これは精神衛生上もよかったと思います。

お節料理は、今年は初めて、3段の重箱入りを注文してみたので、家族で元旦にいただく分はそれでよしとしました。

毎年、どんなに疲れていても、でもやっぱり掃除はしなくちゃとか、お節料理もたいして作らないにしても、娘が好きな昆布巻きとか、きんとんとか、黒豆とか、とかとか、多少は作らないと…とやってきました。その「しなくちゃ、やらなくちゃ、~しないと!」という思い=義務感。これで動くと、疲れます、やっぱり。

大晦日だって、他の家族は例年、テーブルに座ってお蕎麦食べてデザート食べて後は紅白歌合戦見るだけ…っていうのに、私一人が蕎麦ゆでて、海老天揚げて、次はデザート、珈琲も淹れて、食器洗いまで、と一人で疲れ果てて、最後は怒りが湧いてきたりして(笑)。怒るくらいなら、やめればいいじゃん?! ということでやめてみました。(もっとも、それがたいていの家庭での主婦の役割なのかもしれません。最近は、ご家庭によっては男性の家事分担率も上がっているので別の在り方もあるかもしれません。うちは、人員構成が「一般家庭」ではないので、私に比重がかかります)。

そういう苛立ちもご免被ろうと、毎年の決まり事をやめた結果、疲れ果てることなく、私個人としては健やかに過ごせました。

今回のことに限らず、最近、義務感からしていることをやめてみる、という試みをしています。気は楽になりますが、一方で、自分に愛がないことがよくわかります。義務感で動いていたのに、それを手放したら、やる気が失せる。ああ、本当は思いやりでも愛情でもなくて、ただ「やらねばならぬ」の一念だったんだなあ、と。情けないといえば情けないし、自分に失望します…。

一方で、どうしてもやらなければならないこともあり、それは根底に義務感しかないとしても、やるしかないことも、現実にはあります。

でも、「物事は動機が大事」と、元旦に参加した娘の教会の礼拝メッセージでも、牧師先生が語っていらっしゃいました。

義務感を取り去ったら何も残らないなら、仕方ない。愛がないところに、湧いてくるものでもない、だって、ないんだから。でも私にはイエス様がいてくださるので、私に欠けている足りない愛をイエス様が埋めてくださるように祈ることはできます…。

いやいやでなく、喜んで、他人のために仕え働くことができるように、そして心身健やかに過ごせるように、今年は特にそのことをイエス様に祈りつついこうと思います。

実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。  エペソ人への手紙 2章10節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

この御言葉が私に実現しますように! アーメン!




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