恥ずかしい人間



自分にしか興味関心が無いので自尊心だけが高く、周囲を見下してきた。自尊心だけは高いので、自分の為になる努力はある程度はする。そしてレールから外れている人達を見下すことで安心感を得る。自分の為になる努力とは、例えば締め切りまでに何かを間に合わせることや、進級、就活などに関することだ。しかしその過程は問わない。授業をまともに聞くことをせずに、友達にノートを見せて貰ったり、彼氏にレポート書いてもらったりだ。それで無事良い成績をとって自慢をしていた。あとで振り返ると恥ずかしさのあまり赤面してしまう。何故こういったことが出来るのか。他人の気持ちを考えず、自分の損得勘定を常に優先しているからだ。恥ずかしいことをしている自覚すら無かった。自分の為に、つまり人に傷つけられると辛いから、常に人の顔色を伺ってはいるが、心の底から他人の気持ちを考えた事は22年間一度もなかった。だから他人の為にプレゼントすることはあったが、感謝されたくてやってるし、素直に喜べない人間なので、人の誕生日会などは不快感もあった。そしてそう感じる自分にも鈍感で無自覚だったし、周囲もどうせ形だけで誕生日会やっているんだろうなと見下していた。


周囲の人の気持ちを考えたことが無いので、すぐ泣く人だった。自分の気持ちにしか興味関心がないので、人から嫌われた、評価されてない、文句を言われたなど些細なことで泣いてしまう。だから周囲の人は私を腫れ物であるかのように扱い、深く関わる友達は居なかったのだと思う。仮に私に自己中心性を指摘すると泣いてめんどくさくなるのが目に見えているからだ。結果客観的に自分を見る事が出来ない自己中心的なモンスターが誕生したのだ。

その弊害として、先程述べたように自分の世界には「自分の気持ち」しか無かった。いかに楽して人生を生きることしか考えてなかった。だから、世界の出来事に興味関心がなく、これといった趣味もない。これを知って私の役にたつの?という気持ちがあるからだ。そして自尊心だけは高いのに、とっても中身が薄っぺらい人間になった。外の世界に興味関心が無いので、先生の話や他人の話も聞こうとせずに、日々何も考えずに過ごしていた為、理解力が非常に落ちた。結果バラエティーも理解出来ずに、みんな笑っている横で何が面白いのか首を傾げているのが現状だ。またその積み重ねの結果ゆえか、長い説明文や人の話を聞くことに対して脳が拒否反応を起こしているのか、理解出来なくなった。自業自得でしかないが、人の話を聞けないのは辛いし、そんな自分に自己嫌悪してしまう。これから就職するにあたっての不安なところランキングベスト3くらいに入るだろう。

中学校高校はオタクとしてやっていたが、根本的にはオタクではない。何故オタクとしての仮面を被っていたかというと、安心して居られる場所として利用していたからだ。オタクのグループは世間的にはあまりカーストが高くなく、そこの中にいてオタクのふりをするのが楽だった。世界に興味がないので、アニメに興味あるフリをしてグループに入っていた。オタク仲間でストレートに言う友達がいたが、何か言われると泣いて、相手が悪いと言う空気にさせて、迷惑なことをしていたと心から思っている。(そのくせ私自身他人の気持ちを考えないので、ものすごくストレートな物言いをする人だが)

ストレートな物言いや演技力のない表情はすごく人を傷つけるし、周りの人が気を使うハメになる。

人のネタ話をするのが好きだ。恋愛やゴシップ、下ネタを聞いて優越感に浸りたいといった気持ちの裏返しだ。死にたい。怖くて死にたくはないがどこかに消え去りたい。自分の自尊心が高く全てを許せない。

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