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77:話したくないけどはなしたい

カウンセリングってなんなのだろう。

受けながらそのゴールというか終着点を考えてしまう。カウンセラーの方もきっと探り探りやってんだろうな。

人に言いづらい、話しにくいと思っていたことを言葉にするのは毎度不思議な感じがする。

月曜日はカウンセリングの日だった。カウンセラーは前回失言をしたと思っていたらしく最初に謝られた。次は来ないんじゃないかと思っていたくらいだったらしい。ただその失言を私は覚えていなかった。泣いたことに動揺していたのでそれどころじゃなかったのかもしれない。そんなに気にしてもらって逆に申し訳なかったな。

今回感情を過剰に押しころしてしまうという自分の癖について話した。問題の渦中では押しころしていることにすら気づかず、無自覚に溜め込んでから、ある時攻撃的に暴発させてしまったり、相手を受け入れられなくなる段階(拒絶)まできてしまう。または今のように鬱になったり。でも話しながら思った、「“ありのままなんでも人に話せる人”なんて本当にいるのでしょうか」と。カウンセラーには「言い方にもいろいろあるし、バランスじゃないですかね。」みたいに言われてまぁそうだな、となった。いつかのnoteにも書いたようにわたしはバランスを取るのが苦手らしい。

その原因について考えた時、行き着くのはやっぱり人に対する恐怖心のようなものなのかなと思う。まだ自分でもその辺がよくわからないのだけど。人見知りってたまに言われるけどそれはつまりそういうことなのだろうか。
カウンセラーに「私にもまだ言えていない、話せないと思うことはありますか」と聞かれて心がぐっとなった。痛いところを突かれた気がして、言葉が詰まりかけた。その時なぜそうなるかと一瞬のうちに色々考えて浮かんだのが恐怖心で、でもそれを相手に悟られてはいけないような気持ちになったので慌てて「あるかもしれないですね」と答えてしまい少し後悔した。あるなんて言ったら話さなくてはならなくなるじゃないか、と。

「あると(正直に)言ってくださってありがとうございます。それを話すことがあなたにとって大事な気がする。 次回のカウンセリングでもいいし、次回じゃなくてもいいから話したくなったら話してみてください。」

“話したくないけど話した方が良さそうなこと”を箱に詰めて積み上げていったらすごい数になっちゃいそうだな、とふと思った。
話すことで離せるのだろうか。

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