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歌のシェフのおいしいお話(11)ペレアスとメリザンド その1

《月の光》や《亜麻色の髪の乙女》といったピアノ曲は日本でもわりと広く親しまれているドビュッシーですが、声楽曲の分野でも名曲をたくさん残しています。彼は若い頃に歌のレッスン伴奏のバイトをして糊口を凌いでいて、そこで出会った歌手のヴァニエ夫人(ということはヴァニエさんの奥さん。人妻ですよ)にぞっこんになって彼女のために何十曲もの歌曲を書いたりしています(天才にインスピレーションを与えるミューズというのはこういう人のことを言うんですね、ヴァニエ夫人ほんとにありがとう…)(ちなみに彼は後にまた違うタイプの声をもつミューズに出会って彼女のために曲を書いています。ダブル不倫やら元妻の自殺未遂やら、昼ドラもびっくりのドビュッシーの生涯ですが、作品を享受する我々としてはそうした巡り合わせに感謝!)。

ドビュッシーは歌曲だけでなく劇音楽も生涯にわたって幾度となく(青柳いづみこ氏の勘定によれば53点も!)構想したり書き始めたり、構想しかしていないのに台本作者に書き直しを要求したりしていますが、そのうち完成したのはオペラ《ペレアスとメリザンド》ただ一つ。しかしこのドビュッシー唯一のオペラは、読めば読むほど奥が深くて、ちょうど劇中に出てくる、底の見えない泉のようです。素朴な言葉で綴られているのに、答えのどこにも書かれていない謎に満ちています。

台本にはメーテルリンクの同名の戯曲がほぼそのまま用いられていますが、用いられているボキャブラリーも表現も本当にシンプルで、私が生まれて初めて原語で最初から最後まで読めたオペラです。フランス語を勉強している方にはただ読んでみるだけでも非常におすすめ(こちらのサイトに全文が載っているようです。あるいは楽譜上で追いたい方はこちら)。
ちなみに、このオペラのペレアス役、キャリアの後半にはゴロー役として名声を博したディディエ・アンリ氏が指導しているパリ区立コンセルヴァトワールのアトリエでこの作品を1年間勉強したときにいろいろお話を伺ったのですが、彼の経験によれば「一日に少なくとも一回はこのオペラの中の一節をそのまま使える機会がある」とのことです(笑)。言われてみるとその通りで、”Je n’en sais rien moi-même (「私にだってわからないよ」)’’、”Je commence à avoir froid…(「寒くなってきた…」)”、”Il est tombé ! (「落ちた!」)”とか、誰でも言いそうなフレーズがいっぱい。最後まで読み通せた方は、ぜひこの一日一フレーズチャレンジ、やってみましょう^^
(ただし、現在でも違和感なく使えるフレーズと、ちょっと19世紀っぽいなー、現代人でも理解はできるけどまぁ使わないなー、というようなフレーズが混じっています。戯曲が出版されたのは1892年、日本でいえば明治25年。西郷さんのあがきもむなしく侍が消滅してようやく十数年経った頃、勝海舟とか徳川慶喜だってまだまだ全然生きていた頃です。その頃の言葉遣いということ。)

さてさて、今年の夏に《ウェルテル》の勉強でお世話になったロワイヨーモン修道院にて、そのときの演出家とコレペティの先生を中心に来夏は《ペレアスとメリザンド》を制作することになったとのことで、もちろん私もオーディションを受けに行きます。ロックダウンの影響で延期になっていましたがいよいよ来月決行だそうなので、せっかく改めて勉強するなら書きとめておこう!というわけで何回かに分けてこのオペラについて(主にオーディションで私に課されているシーンについて)つらつら考えたいと思います。
つづく!

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