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「メンヘラ」という言葉を再考してる

2020年5月にテラスハウスの花ちゃんのニュースが出て以来、「誹謗中傷」に代表するようなと社会と人間のエゴに嫌気がさして、何を書いたらいいのか、どの部分を出して、どの部分を出すべきではないのか、私と社会の境界線が薄くなって、結果何も書けなくなっていた。

「メンヘラ病みポエムが書けない」、わかる。

「メンヘラ」って、なんだか「メンタル弱い」をバカにしているような気がしてあまり好きな言葉ではなかったけど、今日この記事を読んで、「メンヘラ」=「キモイ・ダサい・怖い・ヤバい・ウザい」ではないんだなぁと救われる。どうやら私は自分の「メンヘラ」とどう付き合っていけばいいのか、ちょっとわからなくなっていた。

「メンヘラ」とは感受性豊かにおもしろい文章を書くためのエネルギーや能力にもなれば、悩みの種としてずっと身体の奥にとどまっているだけのエネルギーにもなる。

そして私は「メンヘラ」な人が書いたものや、「メンヘラ」な人が考えること、その深い洞察力や斜めから物事を見る力、そして「メンヘラ」がそれを文字にして書いたものを読むのが好きなのだ。

自身を「メンヘラ」といいながら書いたり、考えたりしている人は、強い。

そしてその深い思考力が、それを言語化するそのやり方が、毒が、おもしろい。

私は他の場所でメンタルヘルスや自己啓発系の発信をしたり、サービスを提供したりしている。

メンタルヘルスや自己啓発系の発信を「メンヘラ」な自分が発信するなんて、ちょっと恥ずかしいという気持ちがずっとあった。こんな私がこんなこと言っちゃってるよ的な気恥ずかしさや、なんとなくしっくりこない感じがずっとしていた。

まさにこんな感じで「コーチングやカウンセリングをする私はメンヘラではなく、やさしく、穏やかで、寛大な女性であるべきだ」という風に自分で自分自身を枠にはめようとしては、ハマらないので、なんかもう何をどう発信したらいいのかわからなくなっていた。

でももういい。メンヘラのまま、メンヘラらしく、メンヘラだからこそ書ける話を届けていきたい。

「メンヘラ」と自分のことを言える人は自分の「メンヘラ」を理解し、そして自分の人生が自分らしいものになるようにそれを上手く利用したり、上手く付き合っていっている。

ちょうど、HSPがHSPを理解して上手に使うことと同じように。というかそもそもHSPは「メンヘラ」になりやすい気質を持っている。

自分の人生のコントロールが効かなくなる時というのは自己認識が甘く自身の「メンヘラ」に気がついていない時、または「メンヘラ」と向き合うことができない時、自分の「メンヘラ」を受け入れられない時だ。

そう、すべての女子はメンヘラなのだ。

「メンヘラ」上等。メンヘラな自分を恥じる必要などない。

やるべきことは、メンヘラである自分を理解してあげることだけ。

自分が本当に望んでいるものを望んでいい、ということだけ。

メンヘラだから、

愛が欲しいと願うことは恥ずかしい

お母さんに愛されたいと願うことは恥ずかしい

さびしいと誰かに伝えることは恥ずかしい


「恥」の感情と一緒に「メンヘラ」な自分を隠そうとしないこと。

真の望みを、自分がどこに向かって何を求めているのかを常に自分に問い、アップデートし続けること。

みんな「メンヘラ」なのだから。

みんな「メンヘラ」なのだから、その悩み、その恥を抱えているあなたは、別に全然変じゃないのだ。

みんな「メンヘラ」なのだから、誰も「メンヘラ」ではないのだ


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